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第25話 春ハ君、夏ノカゲロウ

 由依のドラムに合わせてベースを弾く。ベースラインをテンポよくギターが駆ける。三つの音に俺の歌声が乗り、一つの音楽となっていく。


 陽葵に比べたら拙い歌声だった。

「ボーカルはまるで駄目だね」。くすくすとさえずるように、陽葵のギターが笑った気がした。


 下手くそでもかまわない。俺はありったけの想いを歌詞に込めて歌った。


 なあ、陽葵。

 少しだけ、俺の想いを聞いてくれ。


 そうだな。まずは俺たちの出会いから振り返ろうか。


 ――光の見えない、黒い春を過ごしていた。


 前を向くことさえ怖くて俯いていた自分。いつものように自己主張できず、気に食わないラブソングを演奏していた。ライブハウスを出て、自分を呪いながら家路を歩く日々。


 でも、あの日は違った。

 陽葵が俺をバンドに誘ってくれた。


 最初はなんて強引なヤツだと思った。

 ワガママで自分勝手で、関わりたくないとさえ思ったっけ。


 だけど、君の生き方に焦がれてしまった。


 ――人生は一度きり。楽しまないと損。


 その言葉が夜闇を駆ける大彗星のごとく、俺を照らしてくれたから。


 弦をフレットに押さえ込まないでサムピングした。すぐさまミュート音を鳴らす。ゴーストノート。君が好きだと言ってくれた、幽霊の音。この曲は君に捧げる曲だから、ベースの手数が多くたっていいよな? 今夜は俺の音を聞いてくれ。


 指先から想いがあふれて止まらない。


 本気でこの世を呪ったよ。どうして陽葵が消えちゃうんだって。


 流行りのジャパニーズ・ロックは言っていたんだ。『音楽は世界を救う』と。

 それなのに、どうして女の子一人救えない?

 大勢に愛される楽曲は虚飾されていて、欺瞞と偽善で満ちている……その証明に他ならなかった。


 頼むよ。誰か教えてくれ。

 人が簡単に消えるこの世界で、俺は何に縋って生きればいい?


 ……そんなことを考えながら詩を書いている時点で、音楽に縋っているのだろう。


 音楽が陽葵の夢ならば、俺はそれを希望と呼ぶことにする。

 君の眩しい生き様こそ、俺のロックンロールだ。


 短い命を授かっても、キラキラした青春を送りたい……君がそう望むから、俺は音を鳴らし続けるよ。


 たとえ君がいなくなっても、空の向こうで笑う君へ届くように。


「――――」


 サビ前で音程を外してしまった。陽葵がリクエストしたんだから、クレームは受け付けない。気にせず俺は、好きな人を想いながら歌声を響かせる。


 もっとたくさんの君を知りたかった。泣いて、笑って、怒ってほしかった。バンドを続けたかった。もう一回デートがしたかった。頬を赤く染める、可愛いらしい横顔が見たかった。できることなら、この先もずっとそばにいたかった。


 ああ。これじゃあ、まるで俺の嫌いなラブソングじゃないか。下手くそでごめん。俺の気持ちが伝わらないように気をつけても、やっぱり音楽は雄弁で正直だったみたいだ。


 降参だ、認めるよ。今となっては、ラブソングは嫌いじゃないさ。愛する人に想いを届けるなんて素敵じゃないか。でもやっぱり、嘘で着飾った歌詞が鼻につくんだけどさ。「やっぱり君って捻くれているよね」って、いつもみたいに笑ってくれ。


 もういいんだ。

 俺の恋心なんて、お前は一生知らなくていい。


 名残惜しいけど、最後に感謝の気持ちを聴いてくれ。


「――――」


 ラストのサビに差しかかる。

 世界から音楽が消える。俺のボーカルソロだ。


 陰キャぼっちの俺に、居場所をくれてありがとう。

 人は変われるってことを教えてくれてありがとう。

 人生の儚さと尊さを見せつけてくれてありがとう。


 俺と出会ってくれて、ありがとう。


 俺の気持ちに呼応するかのように、音楽が戻ってきた。


 三人そろって感情的な演奏をしている。精彩を欠いた拙いギターも、走ってしまうドラムも、下手くそなボーカルも、全部このベースに乗せて強く響け。


 伝えたいことが多くてごめん。

 天国に持っていく手土産にしては、荷物になりすぎたかもしれない。


 でも、本当はまだまだ足りないんだ。


 これで終わりにしたくない。

 これが最後だなんて、信じたくない。


 だからね。

 どこにいても、俺たちは音楽で繋がっているって信じることにするよ。


 ありがとう。陽葵。

 さようなら。俺の大切な人。



 そして、演奏が終わる。


 室内は静寂に包まれた。

 胸を突き破りそうな心臓の音と、荒い呼吸音だけが耳にまとわりついて離れない。


 ふと隣を見る。


 車椅子の上には、陽葵のギターがあった。

 彼女が着ていた真っ白なワンピースは床に落ちている。


 持ち主は、どこにもいない。


「……陽葵?」


 車椅子のシートに触れる。


 手に伝う温もりは、命がそこにあったことを教えてくれた。

 わずかに濡れているのは、きっと涙のせいだろう。


 太陽に向かって伸びる向日葵みたいな笑顔も。

 たまに弱音を吐きなら、泣きじゃくる顔も。

 俺のために真剣に怒ってくれた顔も。


 車椅子の上には、もうなかった。


 大切な人を失った悲しみがとめどなく溢れてくる。


 陽葵は、消えてしまったんだ。


 ……最後の演奏になってしまった。


 今日のライブ、楽しんでくれただろうか?

 夢を叶えて、幸せな気持ちで旅立てただろうか?


 そうであったら、俺は嬉しい。


 ……そのはずなのに、どうしてだ。


 涙が、止まらないんだ。


「陽葵……ううっ……ぁぁぁっ!」


 俺も由依も、その場で泣き崩れた。大声を出して、子どもみたいにわんわん泣いた。死んじゃ嫌だとか。もっとバンド続けたかったとか。叶わない夢を叫び続けた。


 俺はこの世界が大嫌いだ。未来を考えたら、残酷で辛いことばかり。この張り裂けそうな痛みを背負って生きていくなんて辛すぎる。


 なあ。こういうとき、陽葵ならどうする?


 ……そうだよな。

 いつだって前を向いていた君なら、きっとこうする。


 俺は涙と鼻水まみれの顔で笑った。


「今までありがとう……陽葵」


 君を好きになって、本当によかった。

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