さまざまな疑問が頭を巡り、黒川綾斗はベッドに横たわっても、どうしても眠れなかった。迷いながらも携帯を手に取り、上杉桜にメッセージを送る。数分後、桜から返信が届いたが、その内容に綾斗の疑念はますます深まった。
翌朝、城東区の豪邸では、早乙女月代が静かに過ごしていた。
ソファに座る織奈は、やつれた顔で訴える。「お母さん、どうして綾斗はあんなひどいことをするの?」
月代は冷たい表情で答えた。「だから前から言っていたでしょう。あの男は信用できないって。案の定、離婚するには七千万要求してきたのよ。」
「七千万!?」織奈は目を見開いて驚く。「どうしてそんなに…?」
「あなたと龍介のことが原因でしょ?」月代は苛立ちを隠せない。「綾斗は証拠を握っているのよ!」
織奈の顔色が一気に青ざめる。「そんなはずない…私たち、本当に気をつけてたのに…」
「気をつけてたですって?」月代は嘲るように笑う。「あの男を家に連れ込んでおいて、綾斗に気づかれないとでも?」
織奈は唇を噛みしめた。「でも……でも私、本当に妊娠してるの。」
月代の目が鋭くなる。「誰の子なの?」
「私にもわからない……綾斗の子かもしれないし、龍介の子かもしれない…」織奈は視線を伏せる。
月代は怒りのあまり手をあげかけ、しかし途中で止める。「なんてだらしないの!どうするつもり?もし綾斗の子だったら、彼に親権を主張されるかもしれないのよ!」
織奈は目を動かしながら答える。「もし綾斗の子だったら、離婚を拒む理由になるよね?」
「そんな話、綾斗が信じると思う?」月代は冷たく言い放つ。「必ずDNA鑑定を求めてくるわよ。」
織奈は焦って声をあげた。「そんな…どうしたらいいの?」
月代はしばらく考え、「まずは彼をなだめて離婚届にサインさせること。それからお金を手に入れて、後のことはまた考えましょう。」
織奈は納得できず、「でもお母さん、私は本当は離婚したくない…」と呟いた。
「なぜ?」月代が怪訝そうに娘を見る。「龍介がいるんじゃないの?」
織奈は唇を引き結ぶ。「龍介とは遊びだっただけ。綾斗は私に本当によくしてくれたし、仕事もできる人。会社の多くの事業を任されてるし、彼がいなくなったら早乙女財閥も困るわ。」
月代はため息をついた。「今さらそんなこと言っても、もう遅いわよ。」
その時、執事が入ってきた。「奥様、綾斗様と山本様がお見えです。」
月代は服を整え、「お通しして。」
綾斗と山本維がリビングに入ると、織奈は立ち上がり、必死に声をかける。「綾斗、ちゃんと話し合おうよ?」
綾斗は無視し、そのまま月代の方へ向かう。「早乙女さん、書類は用意できていますか?」
月代は無言でうなずき、テーブルの書類袋を指差した。
山本は前に出て、書類を取り出して確認し始める。
織奈は涙ぐみながら立ち尽くす。「綾斗、本当に私のこと、もう何とも思ってないの?」
綾斗は彼女を見ず、山本にだけ話しかけた。「山本さん、書類に問題は?」
山本は丁寧にチェックし、「基本的には問題ありません。ただ、いくつか細かい修正が必要ですね。」と答え、ペンで箇所を指摘して月代に渡した。「早乙女さん、ここは直しておかないと後々トラブルになります。」
月代は書類を受け取り、眉をひそめる。「弁護士って、本当に面倒ね。」
山本はにこやかに応じる。「お互いの権利を守るためです。」
月代はため息をつき、秘書を呼び寄せて書類の再印刷を指示した。
織奈は何とか綾斗の気を引こうと、「綾斗、私が間違ってた。本当にやり直せないの?」と懇願する。
綾斗はやっと織奈に目を向け、冷たく言い放つ。「織奈、もう自分を騙すのはやめろ。」
「違う!私は本気で愛してるの!」織奈は必死で訴える。
綾斗は鼻で笑った。「愛してる?俺の能力が好きなだけだろ?家のために稼いでくれるからだろ?龍介が俺ほど役に立たないってわかったから戻りたいのか?」
織奈の顔が怒りで赤く染まる。「綾斗、ひどすぎる!」
「ひどい?お前と龍介が俺たちのベッドでイチャイチャしてた時は、何とも思わなかったのか?」
その一言は織奈を打ちのめすのに十分だった。
場の空気が凍りつく中、月代が慌てて話題を変える。「まあまあ、書類もすぐできるから、とりあえずお茶にしましょう。」
綾斗は首を横に振る。「結構です。急いでるので。」
その時、執事が再び現れる。「奥様、龍介様がお見えです。」
その言葉が終わるか終わらないうちに、時雨龍介が慌てて部屋に入ってきた。綾斗の姿を見て一瞬固まるが、すぐに気まずそうに笑って「綾斗さんもいたんだ」と声をかける。
綾斗は無視したまま。
龍介は織奈の元に駆け寄り、小声で尋ねる。「どういうこと?」
織奈は彼を突き放す。「来ないで。」
龍介は困ったように、「心配で来ただけだよ。昨日あんなに落ち込んでたから…」と呟いた。
綾斗は冷笑を浮かべた。「仲が良いことだ。」
重苦しい空気が部屋を包む。
そこへ秘書が新しい書類を持ってきた。山本が再度確認し、間違いないことを確かめてから綾斗と月代に署名を促す。
月代が署名を終えると、書類を織奈に渡す。「あなたもサインして。」
織奈は涙を浮かべて綾斗を見上げる。「綾斗、本当にこのまま終わりにするの?」
綾斗は黙ってサインを促し、織奈は迷いながらも、ついに自分の名前を書き入れた。
サインが済むと、綾斗はすぐに立ち上がった。「振込が確認でき次第、区役所に行こう。俺は六千万だけ受け取る。一千万は早乙女家の名義で寄付する。せめて“子ども”のために功徳でも積んでおこう。」
山本が電話を終えてうなずく。「十時半に予約が取れました。」
そのやりとりを見ていた龍介は、六千万と寄付された一千万の話に一瞬、欲深そうな目をした。もしこの七千万が自分に入れば、時雨家の危機も乗り越えられるのに——そんな思いが露骨に顔に出ていた。
黒川綾斗は書類をまとめると、そのまま部屋を出ようとした。その時、織奈が彼の前に立ちふさがる。「綾斗、本当に私と子どものことは放っておくの?」
黒川綾斗は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに彼女を押しのけて言い放った。
「本当に俺の子なのか?」