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第12話 早乙女家の面子は守らなければならない

「コホン」山本は軽く咳払いし、穏やかな口調で言った。「映像資料の取り扱いには十分注意してください。プライバシー関連の法令違反にならないように。まずは横浜市内の主要な公式メディア数社に情報を流しましょう。《商報デイリー》だけに主導権を握らせるわけにはいきません。」


少し間をおいて、山本は続けた。「つまり、相手のやり方で応戦するということです。」


人事部長の三浦は眉をひそめた。「ただ、清源テクノロジーはこれまで技術一本でやってきて、芸能ゴシップには一切関わってきません。自ら火種を投下するのは、会社の名声に悪影響が出ませんか?」


上杉桜が三浦を一瞥し、冷静な声で答える。「三浦さん、私も本来なら会社をこんな世論争いに巻き込みたくありません。でも、相手はもう一線を越えています。私たちが沈黙したら、外部には清源が早乙女家や古川家に怯えていると思われてしまうでしょう。長期的に見ても資本市場にはマイナスです。」

「承知しました。」

三浦はしばらく考え、うなずいた。


だが、それでもその場にいた全員が心のどこかで考えていた——なぜ上杉桜はこのタイミングで黒川綾斗をCOOに強く推すのか? しかも会社のリソースまで使って、彼に降りかかる嵐を防ごうとしているのか?

誰もその疑問を口に出す勇気はなかった。


上杉桜は会議室をぐるりと見渡し、最後に黒川綾斗を見つめた。「ただし、今回の対応はあなたの個人としての評判にも影響します。綾斗、何かもっと確実な策はある?」


黒川綾斗は指先をわずかに震わせ、拳を握りしめた。「本当は争いたくなかった。早乙女家がここまで追い詰めてこなければ、見逃すことだってできた。でも、今となっては自分の身を守るために動くしかない。」


彼の言葉は明確だった——早乙女家が情けをかけないなら、自分も容赦しない。


上杉桜はすぐに指示を出す。「山本さん、法的手続きとメディア対応のリスク管理は一任します。」

「広報は坂本美智子がまとめて、チームで複数パターンを用意してください。映像資料の真偽が確認でき次第、リスクを最小限に抑えつつ最大限の効果が出る形で発表します。」

「三浦さんは市場の反応をしっかり監視して、リアルタイムで情報を共有してください。」


その一言一言に、全員が息を呑んだ。

まさか上杉社長が、早乙女家から追い出されたばかりの男のために、清源テクノロジーの名誉を賭けるとは思いもしなかった。


……


同じころ、早乙女財閥本部の社長室。

早乙女織奈はレザーソファに深く身を沈め、疲れ切った表情を浮かべていた。生活リズムは完全に狂い、化粧直しすらする気にならない。

目の前には新しいプロジェクト資料が何枚も重なっていたが、手に取ろうともしなかった。

大理石のテーブルには数紙の経済新聞が広げられ、「結婚詐欺」という見出しがひときわ目立っている。


しばらくそのタイトルを見つめたまま、織奈は思いを巡らせていた。黒川綾斗に汚名を着せて、すべてを失わせ、自分の元へ戻ってきてほしかった。

しかし、現実の展開は予想をはるかに超えていた——黒川綾斗は戻るどころか、さらに落ち着きと自信を増し、外部に一切言い訳もしていない。


胸には不安が募る。

だが、もう引き返せない。負けを認めるわけにはいかない。

早乙女家の娘としてのプライドを守らなければならない。たとえ子どものことがどうであれ、どんなに馬鹿げた状況でも、最後まで演じ通すしかなかった。


その時、オフィスのドアが開いた。

早乙女正弘が入ってきて、重い口調で言った。

「織奈、あの記事はお前が仕組んだのか?」


織奈は一瞬目をそらし、ためらいがちに答えた。「商報デイリーの編集長に頼んで掲載してもらったの……お父さん、ただ綾斗に戻ってきてほしかっただけ。」


「それで戻ってくるとでも思ったのか?」正弘は冷笑し、非難を込めて言った。「そんな浅はかな考え、誰にでも見破られるぞ。」


ため息をつきながら続けた。「夫婦の問題は所詮プライベートなことだが、お前がこうして騒ぎを大きくすれば、早乙女財閥まで世間の的になる。自分が何をしたのか、分かっているだろう。」


父が自分と時雨龍介のことを暗に指していると気づき、織奈は顔を赤らめて反発した。「お父さんは綾斗の味方をするの?彼はとっくに上杉とできてる、昨日だって二人きりで会ってたのよ!」


興奮気味にまくし立てる織奈に、正弘は顔を曇らせて言い放つ。「もういい、くだらない言い訳は聞きたくない。ひとつ聞くが、お前のお母さんも手を出しているのか?昨日も古川家と投資の話をしたと言っていた。今やるべきことは、余計なことを言わず、これ以上早乙女財閥に迷惑をかけるな。」


しかし織奈は食い下がる。「お父さん、彼は私たちから六千万も受け取っておいて、他所へ行ったのよ。社内でも早乙女家が騙されたと噂になっているわ!」


正弘は呆れて首を振る。「お前もお母さんも金のことしか考えていない。本当に早乙女家の恥になるのは、金じゃない。お前自身の行動だ!」


織奈は言葉を失い、顔が青ざめた。

時雨龍介を何度も家に連れ込み、オフィスでも隠しきれなかったことを思い出し、強い罪悪感に苛まれた。


正弘は冷たい声で続ける。「世間がどう言おうと私は気にしない。ただし、これ以上スキャンダルが表沙汰になったら、もうお前を娘とは認めない。」

「遊ぶのは勝手だが、証拠を掴まれるな。そうでなければ、グループ全体に迷惑をかけることになる。」


結局、正弘は娘を甘やかしていないわけではなかった。黒川綾斗がこの数年、どれほど早乙女財閥に貢献したかも分かっている。

だが、何より許せないのは、醜聞が世間に出回ることだった。

早乙女家の面子だけは、絶対に傷つけられない。


「お父さん、これからどうするつもり?」織奈はおそるおそる尋ねた。


正弘は厳しい目で告げる。「今は何もするな。子どものことは検査結果を見せろ。もし本当に身ごもっているなら、覚悟を決めろ。そうでないなら、もう嘘で自分を騙すな。」

「お母さんのことは俺がなんとかする。だが、これから綾斗とのことは——ここで終わりだ。」

「いいか、早乙女家の面子は絶対に汚せない。」


そう言い残し、正弘は背を向けてオフィスを出て行った。


……


その日の午後、清源テクノロジー幹部社内グループチャットに

人事異動の通知がアップされた。

同時に、横浜市の経済界にも衝撃が走る——黒川綾斗が清源テクノロジーのCOOに就任したというニュースが一気に広まった。

名門一族の離婚劇で注目を集めた男が、今度は新たな切符を手に入れたのだった。

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