黒川綾斗は薄く笑い、「いいじゃないか。ようやく真実が明るみに出た」と呟いた。
「さっき織奈が言っていたこと……」と上杉桜が言いかけて、言葉に詰まる。
黒川は首を振る。「もう慣れてる。君がどんな目的で俺に近づこうと、俺にとって利益があるなら、協力するつもりだよ」
上杉桜は微笑み、「賢いわね」と返す。
しばらく沈黙が続き、上杉桜が口を開いた。「彼女の話、全部が嘘じゃない」
黒川は意外そうに眉を上げる。「ほう?」
「私と古川家には確かに因縁がある。あなたに話した以上にね」と、上杉桜は深く息を吸い込んだ。
「三年前、父の会社は古川家に敵対的買収されて、結局、父は耐えきれず自ら命を絶ったの」
黒川の目に驚きが浮かぶ。「だから清源テクノロジーを立ち上げたのか……?」
「そう、復讐のためよ」と上杉桜はまっすぐ黒川を見る。「でも、あなたに近づいたのは、あなたの実力を本当に評価したから。復讐とは関係ない」
黒川は彼女の瞳を見つめる。その中の強い光に、桜が嘘をついていないことがわかった。
もしかすると、彼女が手を貸してくれるのは、ただ自分の力を認めてくれたからなのだろう。
やがて、黒川は静かに頷いた。「君を信じる。これからは隠し事はなしにしてほしい」
上杉桜はほっとしたように微笑む。「わかった」
「ホテルまで送るよ」と上杉桜が先に口を開く。
黒川は頷き、彼女とともに駐車場へ向かった。
白いマセラティの中、それぞれが思いを巡らせる。
窓の外を流れる景色を見つめながら、黒川の脳裏には早乙女織奈の絶望した表情と、時雨龍介が口走った「俺の子だ」という言葉がよぎる。
「復讐だけが君の原動力か?」と黒川がふいに尋ねる。
上杉桜は指先でハンドルを軽く叩きながら、「最初はそうだった。でも今は違う。清源テクノロジーは私のビジネスであり、誇りなの」と答えた。
黒川は彼女を見つめ、「古川家は一体何をして、君のお父さんをそこまで追い込んだんだ?」
上杉桜は視線をそらさずに答える。「企業の陰謀、資産の引き抜き、世間のバッシング……一つ一つが父を追い詰めた。父が立ち上げた沢瑜テクノロジーは、横浜で最も有望なAI開発企業だったのよ」
二人の間に、静かな空気が流れる。
「変なことを聞いて悪かった」と黒川が申し訳なさそうに言う。
「誰にも触れられたくない傷はあるものよ」と上杉桜は首を振る。「でも、これが私の原動力。ただ、まさかあの小さな事故がきっかけで、古川家と共通の敵を持つあなたと出会うなんて思わなかった」
車はホテル暁光の前で停まる。黒川が降りようとしたとき、上杉桜が言った。
「明日、大事な顧客に会わせたいの。彼ら、疫雲メディカルのプロジェクトにすごく興味を持っているわ」
黒川は軽く頷く。「わかった、準備しておく」
「綾斗」と、桜が車のドアを閉める彼を呼び止める。「早乙女家がどんな手を使ってきても、私はあなたの味方よ」
黒川は微笑んだ。「ありがとう。でも、君まで危ない目に遭わせるつもりはない」
「忘れないで。今あなたは清源のCOOよ。私たちは同じ船に乗ってる」
黒川は彼女を見つめ、胸の奥が少し熱くなった。
そっと頷き、ホテルのロビーへと歩いていった。
マセラティがゆっくりと走り去るのを、上杉桜はバックミラー越しに見届ける。
携帯を取り出し、番号を押す。「山本さん、早乙女財閥の最近の財務状況を調べて。綾斗が抜けた後、どうも問題が出そうな気がするの」
「すでに調査を始めてます。早乙女財閥の株価、最近大きく動いています。明日、詳しいレポートをお渡しします」
……
翌日、早乙女財閥本社。
会議室には、早乙女親子と20人の幹部たちが並び、プロジェクターには業績の急落を示すグラフが映し出されている。
財務部長が眼鏡を押し上げる。「第3四半期の利益は17%減少。主な原因は、銀河プロジェクト第2期の進捗遅れと、投資と回収のバランスが大きく崩れていること。雲錦テクノロジーとの連携判断ミスで直接30億の損失が……それから──」
早乙女正弘は顔色を変え、テーブルを強く叩く。「もういい!今までなぜ誰も報告しなかった!」
幹部たちは顔を見合わせ、誰も口を開こうとしない。
織奈は父の隣に座り、青ざめた顔で額の包帯が目立っている。
昨夜の事故は大事には至らなかったが、子どもを失ったショックで彼女はどこか上の空だった。
「これらのプロジェクトは、全部黒川──黒川専務が担当していました」と女性幹部の一人が慎重に口を開く。
「彼がいた時は問題が表面化しませんでしたが、辞めてからは各所で混乱が続いています」
早乙女正弘は娘に向き直る。「織奈、お前は銀河プロジェクトを引き継いでどれくらいだ?なぜこんなことになった?」
織奈は小さく震えながら答える。「私……龍介に任せたの。彼なら経験があるって」
その名前を聞いて、幹部たちの表情が一斉に曇る。
時雨龍介が担当してからというもの、現場の混乱は社内で不満の的となっていた。
早乙女正弘は深く息を吸い、怒りを抑えながら言った。「会議が終わったら、私のオフィスに来なさい。他の者は、一週間以内に問題点と解決策をまとめろ!」
会議終了後、時雨龍介が廊下で織奈を呼び止めた。「大丈夫かい?昨夜、お前のために夜食を買いに行った時、医者が君のお父さんが迎えに来たって言ってたよ」
織奈は冷たい目で彼を見る。「龍介、子どもがあなたのだって、最初から知ってたの?」
「それは……」と龍介は気まずそうにする。
「私も確信はなかった。でもあの時、あなたが『大丈夫』って言ったし、黒川もあなたと……だから私も安心してた。でももういいわ。あなたも黒川も離婚したし、いずれ一緒になるんだから、また子どもを産めばいい」
織奈は初めて彼に嫌悪感を抱いた。「銀河プロジェクトはどうなってるの?数字が全部赤字よ」
龍介は手を揉みながら言い訳する。「プロジェクトが複雑で、黒川のチームが協力してくれないんだ。俺は投資は得意だけど、運営は苦手でさ。そのうち絶対取り戻すよ」
「父が今日、私と話をしたの。何て言ったと思う?」と織奈が冷たく笑う。
「このまま続けば、早乙女財閥は半年で最低でも200億の損失だって!」
龍介の顔色が変わる。「そんなはずない、黒川がわざと問題を残したんじゃ……」
「ふざけないで!」と、織奈が怒鳴る。「銀河は彼が一から築いた金のなる木よ、毎年何十億も稼いでたの。全部、あなたが台無しにしたのよ!」
龍介は気まずそうにごまかそうとする。
そこへ、秘書がやってきた。「織奈様、会長がオフィスでお待ちです」
織奈は龍介を鋭く睨みつけ、その場を去った。