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第7話 提案



 王族の証たる紫水晶の瞳は濃い翳りにより本来の輝きが失せていた。どんよりとした重い空気を醸し出すノアンの向かいに座ったヒルデガルダの瞳がチラリと横に立つオシカケへ訴えた。意図を察したオシカケがノアンを気にしつつ、窓を全開にした。外から送り込まれる風が室内の重い空気を根こそぎ攫っていき、幾分か空気がマシになった。微動だにしなかったノアンの蟀谷が痙攣しているのを知っていてもヒルデガルダは触れず、用件を訊ねた。婚約者として決められた日じゃないにも関わらず訪問した理由を。


 徐に顔を上げたノアンの表情は瞳に負けない鬱々しさ全開であった。



「……ないとは言わせない」

「ああ、マクレガー公爵令嬢とランハイド侯爵令息の婚約が王命によって決定したそうですわね。オーギュストが言っていました。で? まさか、それに対する八つ当たりを私にする為に来たのですか? 暇ですわね」

「…………私が今まで見て来た人間の中でお前が一番意味不明なんだ」

「うん?」



 いつもならヒルデガルダの嫌味に反応して噛み付いてくるのにそれがなく、急に別の話を始めた。訝しく思いつつノアンの声に耳を傾けた。



「お前は私を実際どう思っているんだ」

「弱い男は好みじゃないです」

「じゃあ、強い男が好きなのか」

「ええ、まあ」

「サンチェス公爵と只ならない関係にあるというのは事実みたいだな」

「はい?」



 サンチェス公爵=オーギュストを指す。ノアンの言う只ならない関係という、遠回しの言い方を解し、馬鹿馬鹿しいと大笑した。大きな声で笑うヒルデガルダを初めて見たノアンは目を剥き、側に控えるオシカケはあーあと顔に手を当てた。



「私とオーギュストが? 養父と養女で血縁関係がないからそんな関係であると? あ、ははははは!!」



 涙目なまま大笑を止めないヒルデガルダを唖然とした面持ちで見つめるノアン。社交界では割と有名な噂だ。ヒルデガルダの傍若無人振りをオーギュストが手を焼きながらも改善の兆しがないのは、ヒルデガルダが養父を篭絡しているからという噂が立ち始めた。本人達は否定してもヒルデガルダは非常に魅惑的な女性に育ち、オーギュストも王国で一、二を争う美丈夫。関係を持っていると思われても不思議じゃない。



「私とオーギュストに養父と養女以上の関係はありません。オーギュストが強いのは知っていますが私の好みのタイプじゃないので有り得ません」

「……」

「ノアン様の先程の質問に対する答えは、正直言うと私はノアン様を好きでも嫌いでもありません」



 恋愛小説から飛び出してきたような相思相愛のヒリスとノアンのいる姿が眩しくて、互いだけを見つめる二人が尊くてヒルデガルダは何時までも見ていたかった。王命ならば従うしかなくても内心は不本意であることを改めて伝えた。



「マクレガー公爵令嬢とランハイド侯爵令息の婚約が陛下の命により決定したのであれば、最早覆る方法は無いに等しい。貴方が本気で彼女と添い遂げる覚悟があったなら、手段を選ばず強引に彼女を手籠めにしてしまえば良かった。人に八つ当たりしてばかりで悲劇の主人公とヒロインに浸っている場合ではなかったのですよ」



 見る見るうちに険しい顔付きになっていき、反論してくるかと待った。しかしノアンは言葉を出さまいと唇を噛み締め、苦味に溢れた面持ちを浮かべた。



「……この一年ずっと探した。お前と婚約解消して、もう一度ヒリスと婚約する方法を。ヒリスの魔力が弱くとも私が強くなればいいと思って魔力量を上げる研究だって何でもした! 結局全て無駄に終わったんだ……」

「……」



 鬼気迫る言葉から感じる感情はノアンの正直な気持ちなんだろうがそれだけでは国王は納得しない。瞼を閉じ、次に開かれた瞳には一つの決意が宿されていた。



「ヒルデガルダ。私もお前も互いをよく知らない。知ろうとしなかった。こうなった以上、私はお前との婚約を改めて受け入れる」



 愛する人との未来を閉ざされ、残ったのは嫌いな女との結婚のみ。何度か抱いた哀れみの中で最も強い哀れみを抱いた。可哀想な王子様とは、ヒルデガルダがノアンを揶揄う際に使う台詞。

 恋愛小説に時折登場する悲劇のヒーローヒロインはいる。きっとノアンのように絶望しながらも生きていかねばならないから苦渋の選択を取っていった。


 腹を括ったノアンへ向けるべきなのは同意、なのだろうが生憎とヒルデガルダは他者に同調するという二文字が辞書にないせいで「お好きにどうぞ」と否定とも取れる言葉を投げた。途端に強張るノアン。



「確かに私達は婚約者になって一年が過ぎているというのに、お互いを全く知りません。でも仕方ないでしょう? 貴方も私もお互いに興味なんてなかった。私はこれからもノアン様に興味は持てません」

「だが私とお前の婚約は決して解消されない」

「なら、私から提案があります。――白い結婚をしましょう?」

「なっ」



 十日前まで結婚に色があると知らなかったくせに……と側に控えるオシカケが言うがヒルデガルダが振り向いた時には普段の愛想笑いを浮かべているだけだった。



「受け入れる覚悟をしたところでノアン様が私を肉体的に愛せるとは思えません。貴方は私を抱けますか?」

「それは……」



 言葉に詰まるというのは、肯定と同じ意味を持つ。



「散々、貴方の大切なマクレガー公爵令嬢を虐めた女を抱ける程器用ではないのですから、子が出来なかったという理由で結婚した三年後離縁すればいい。そうすれば、マクレガー公爵令嬢と再婚は無理でも嫌いな女とは離れられます」

「……」



 ノアンにとって魅力的な提案の筈だが、肝心の彼から反応が来ない。固まったまま。ノアンの動きを待っていると徐に立ち上がり、無言のまま部屋を出て行った。

 はあ、と息を吐いたヒルデガルダは自身の隣を叩いた。無言の指示に従ったオシカケは隣に座った。



「実際は何をしに来たんだか」

「お嬢。王子がとても可哀想でしたよ」

「ああ、あの王子は最初から可哀想だ」

「そういう意味じゃなくて」

「なんだ」

「王子なりに覚悟を決めてお嬢と向き合おうとしていたんだと思います。それをお嬢が全部台無しにしちゃったから」

「そうか?」



 言葉では口にしても、実際の態度は……と考えた辺りで一理あるのかもと納得した。いつもなら噛みついてくるのに今日は殆どなかった。オシカケの言うようにノアンなりにヒルデガルダと向き合おうとしていたのか。



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