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第8話 恋愛小説の読みすぎ




 ヒリスの婚約が決まった。お互い結婚は避けられないと悟った以上、どちらも腹を括るしかなくなった。昼間にノアンが来た旨をオーギュストに夕食の席で伝えたら「知ってる」と返された。



「城にいたらノアン様が私の所へ来た。お前との婚約を改めて受け入れると言われた」

「妾はごめんだ」

「ああ。お前に白い結婚を提案されたとも言われたよ。ヒルデガルダ、人間として生きていくなら少しは妥協してやれ」

「お前が誘ったんだぞ。人間の世界は退屈しないと」

「それといくらかの面倒には目を瞑れとも言ったぞ」



 覚えのあるヒルデガルダはむすっとするも、文句を言ってもオーギュストには右から左へ流されるだけで終わる。

 鶏肉のトマトソース煮込みという好物が出されているのにどうして気分が優れない。ナイフを切り込むと溢れる肉汁、切り身をトマトソースに絡め口へ持って行く直前手を止めた。



「あの王子がマクレガーの娘のように妾を愛せるとは到底思えん。白い結婚にすれば、離縁する大きな理由となるだろう。子が作れない原因を妾のせいにしたらいい」

「陛下のことだ、無理矢理にでもお前達の子を作らせようとするぞ」

「そうなったら、お前が動け。問答無用で妾は暴れるぞ」

「はあ~」



 深い溜め息を吐いたオーギュストへ同情の欠片も抱かない。強い魔力を持つ子を欲するのは王国に限った話じゃない。魔界とて同じ。魔界の女王であった頃、愛人も夫も作らなかったヒルデガルダの側に置いてもらおうとする男は多数いた。ほぼ全てアイゼンが排除していた為、不埒な真似を実行した輩は皆無に等しい。

 魔王は世襲制の時もあれば、ヒルデガルダのような孤児出身の成り上がり魔族もいた。政は高位貴族共にやらせればいい。魔王の最重要仕事は魔界を覆う結界の維持。膨大で強い魔力を持つ者でないと効果は半減してしまう。



「私にお前の事を訊ねてきた。お前の事を知りたいと」

「今更だな」

「マクレガーの娘に新しい婚約者が出来てしまった以上仕方ない。ちょっとは人間の若者に優しくしてやってくれ」

「はいはい」

「時に話を変えるが例の魔族の件についてはどうなった」

「あれか」



 トマトソースに絡めた鶏肉を味わいつつ、十日前国王の命により向かった村を思い出す。あれから魔物の出現はなくなり、魔族らしい生き物も姿を現さない為、村の警戒態勢は解除された。今後同じ場所を狙わない可能性はなくもないがヒルデガルダとしては無いだろうと判断した。

 魔界の住民の情報は、魔界に住む者が一番詳しい。アイゼンから返事が来たのは夕食が始まる少し前。魔界から届けられた封を切った手紙をそのままオーギュストの前に出現させた。宙に浮かせ、手で触れず手紙を取り出したオーギュストはワイングラスを片手に文面に目を通した。綴られた内容は該当する子供が一人いるとあった。



「子供? 魔族の子供が犯人なのか」

「更に読んでみろ。ただの子供じゃない」

「うん?」



 促されたオーギュストは続きを読んでいき、徐々に呆れた表情へと変わっていった。ワインを一口飲み、手紙を元に戻してヒルデガルダに返した。



「どうする?」

「どうしようか……妾達の手に余るなら処分するしかあるまいが……手を差し伸べてやれば懐いてくれそうな気もする」

「ふむ」



 とある高位貴族が美しい人間の娘を無理矢理魔界に連れ帰り、屋敷に閉じ込めた挙句子を産ませた。女性は亡くなり、残された子は高位貴族の庶子として正妻や異母兄弟達に虐められて育った。魔物に好かれる特殊体質で高位貴族の男が連れて帰ったシルバーウルフと共に人間界へ逃げ出し、現在も行方不明のままだとか。年齢は十歳程。その年頃であれば幻覚魔法も使える筈。



「お前の探知能力を持っても見つけられなかったな」

「いや、少し探し方を変える」



 元々、魔族だと決めつけて魔族の魔力を探知しようとしていた。人間のハーフなら、人間の魔力が邪魔をしてヒルデガルダに探知させなかったのだとすれば、両方の魔力性質を一つの肉体に有する者を探し出せば辿れる。人間と魔族のハーフなんてそうはいない。見つかればほぼ間違いなく目的の子供となる。



「明日丘の上に行ってそこで探知能力を全開にして探す。それでいいか」

「ああ。頼む」





 夕食を終え、部屋に戻ったヒルデガルダはお気に入りのカウチに座ると一緒に入ったオシカケを見上げた。



「人間と魔族の子がいたとはな」

「人間でもありがちな話ですよ。男って美しい女性に目がなくて、女性は自分よりも美しい女性に嫉妬を隠せない」

「人の見目に興味はない」

「お嬢の興味は食と戦いだけですもン。一つ聞いても?」

「なんだ」

「本当に王子と白い結婚を?」

「ああ。その方があの王子にとっても良いだろう」



 白い結婚を隠し通し、三年経ってもヒルデガルダが懐妊しなければ十分離縁する材料となる。



「いくら国王でも妾や王子の間に子を儲ける能力がないと知れば諦めるだろう」

「なんだかお嬢が石女みたいに思われそうで嫌なンですけど」

「構わんよ。他人の評判など取るに足らん」

「お嬢が良いなら良いですけど」



 今頃ヒリスは悲劇の自分に涙を流し、ノアンはまたとない提案に衝撃を受けていたが冷静さを取り戻せば自身にとってかなり利益となると気付いている頃。今度会う時、どんな反応を見せてくれるか楽しみだ。


 ――と期待した自分が馬鹿だった。



 翌日、ノアンに呼び出されたヒルデガルダはオシカケを連れて登城した。待ち合わせ場所に指定された庭園に着き、準備されていた席に座ってノアンを待った。


 待つこともなくノアンはやって来た。席に着くと早速話題を切り出した。



「今日お前を呼び出したのは、昨日の提案を断る為だ」

「は?」



 提案とは白い結婚のこと。



「白い結婚はしない」

「理由を聞いても? ノアン様にとっても悪い話じゃない筈です」

「……昨日言ったな、お前ほど理解不能な人間はいないと」



 多分言っていた気がする。



「婚約を結ぶ前と後でお前に対する印象は大きく変わった。陛下の命により、ヒリスとの婚約を破棄され、お前と婚約を命じられた時の憤りは今でも忘れられない。けれど、お前も王命によって私と婚約させられた被害者なのだと自分を納得させたんだ」



 最初は、と強い口調で付け足された。



「時折、お前と同じ場所にいるといつも視線を感じていたんだ」

「……」

「ずっと見られているのに不快感はなかった。私を見守るような、温かくて優しい……居心地の好い視線だった」



 側に控えるオシカケが言わんこっちゃないと言わんばかりの視線をヒルデガルダにやるものの、肝心の本人は視線の正体が自分だと分かったが顔に疑問符を浮かべていた。口を挟まず、最後までノアンの話を聞こうと開かなかった。



「少なからず私のことを好いていてくれていると思っていたんだ……」



 誰が? と言いそうになるのをオシカケの強い視線を貰い口が開きそうになるのを耐える。



「私の心がヒリスにあってもヒルデガルダ。お前の気持ちに応えて見せようと……努力しようと決めたんだ」

「……」

「だが……婚約が決まった後のお前に会ったら、今まで見ていたお前は別人じゃないかと疑う程に変わっていた。意味が分からなかった」



 その後はノアンに対する傲慢で嫌味な態度を崩さず、ノアンへの気持ちが捨てられないヒリスを虐げる悪女と化した。



「ノアン様」



 もう口を挟んでもいいだろうとヒルデガルダは何度も瞬きをしつつ、どうしても言いたい事があると身を乗り出した。



「いつ私が貴方を好いていると言いました? 一度もありませんが?」

「だ、だが、お前はいつも私を……」


「……あ~……おれが喋ってもいいですか?」



 顔を近付け迫るヒルデガルダとたじろぐノアンを見兼ねてオシカケが咳払いをして場の主導権を握った。二人の視線を受けて話しづらそうにしながら、ノアンがヒルデガルダから受けていた視線はノアンとヒリスが相思相愛だったからだと話した。



「オーギュスト様がお嬢に人間関係をよく知るなら本を読むのが一番だと言って恋愛小説を与えたのが原因です」

「恋愛……小説……?」

「人間の感情がとても繊細に描かれているでしょう? お嬢が恋愛小説を気に入ってよく読んでいる時に、王子殿下とマクレガー公爵令嬢の相思相愛ぶりを見て感動してしまったンです」



 紙の世界でしか知らない相思相愛な男女を現実世界で見られるとはとヒルデガルダは初め驚き、姿を見掛けたら必ず二人を見ていた。互いだけを視界に映し、幼いながらも愛し合う男女の光景は恋愛小説で読んだヒロインとヒーローそのもの。ノアンが感じていた視線はヒルデガルダが向けた恋愛小説から飛び出してきたような男女を見守る熱心な読者のものであった。



「王子殿下が勘違いなさる程、熱い視線を送っていたお嬢もお嬢です」

「私も悪いの?」

「そうです。勘違いさせた時点で」

「……」



 納得したくないがオシカケの言う通りでもあるので不満そうにするだけで留めた。視線をノアンに戻すと大きなショックを受けたように固まっていた。試しに名を呼んでみるが反応はない。固まってしまうくらいショックを受けるものか? とオシカケに問うと肩を竦められた。



「……お前が最初に言った、私を愛する気はないという言葉も恋愛小説の影響か?」

「え? ええ、まあ」

「……そうか」



 二度会話をするとノアンはまた固まってしまった。困ったように眉を曲げオシカケにどうにかしろと視線で訴えても首を振られるだけ。「ノアン様」と発したかけた時、突然三人の声でもない人物がノアンを呼んだ。

 一斉に振り向くとマクレガー公爵が立っていた。十日前に見た時より少し瘦せており、表情に滲む疲労の色が濃い。



「公爵? 今はヒルデガルダと大事な話をしている最中だ。用があるなら後にしてくれ」

「無礼は重々承知しております。後で如何様な罰も受けます。ですが今はどうか私の話を聞いてくださいませんか」



 ノアンから一瞥を貰ったヒルデガルダは了承の意を示す頷きを見せ、ヒルデガルダから了承を貰ったノアンはマクレガー公爵を促した。



「レイヴン=ランハイド侯爵令息との婚約が決められて以降ヒリスは部屋に引き籠るようになってしまい、私や家族が説得しても聞く耳を持ってくれず……殿下からヒリスを説得してくださいませんか」

「マクレガー公爵……」



 愛した人の現状を聞いたノアンが次にどんな言葉を発するかヒルデガルダの濃い青の瞳に期待が募る。



「恋愛小説の読み過ぎ……」

「何か言ったか?」

「いいえ、なにも」



 絶対何か言った気がするもオシカケがいいえと言うならそうしておく。



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