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第21話 大人の時間




「アイゼンにも絵本を読んでやろうか?」

「僕に? 冗談だろ」

「ああ、冗談」



 揶揄う口調で言ってやれば、案の定アイゼンは拒否した。さっきまで開いていた絵本の表紙を上にし、刺繍を指でなぞる。



「魔王に攫われたお姫様を王子様が救い出すハッピーエンドの絵本。正に子供に読ませるのに最適な絵本さ」

「王子様に切られた魔王は悲鳴を上げて消える、か。現実の魔王はそう弱くないのに」

「絵本なんだ。子供に夢を見させるには丁度いい」

「元魔王として、そんな絵本を読んだ感想を聞いても?」

「ふふ。これを妾に渡したオシカケはセンスがある」



 絵本をテーブルに置くと向かいに座っていたアイゼンがヒルデガルダの隣に移動した。



「リュカを世話するのは、ミラを世話していたから?」

「そうかもな。いや、あいつの世話の方がかなり手が掛かった」



 最初が違い過ぎる。孤児院で保護され、細くても命の危険に関わる健康状態ではなかったリュカと違ってミラは発見当初瀕死の状態であった。全身泥に塗れ、何日も飲まず食わずで魔界を彷徨っていた。保護して分かったが怪我もしていた。退屈な時に拾ったものだから全快するまで世話をした。

 魔族時代は治癒魔法を扱えても、生命力が弱っているミラに使えば却って命に危険が迫る。一種の賭けで自身の血を分けた。結果は魔族の血がミラの体に混ざり、拒絶反応もなく順調に回復をしていった。



「君の婚約者といい、ミラといい、王子様っていうのは強運の持ち主じゃん」

「ノアン様はともかく、ミラはそうでもない。あいつは生まれから悲惨だよ」



 全快し、話せるようになったミラから様々な話を聞いた。とある帝国の第三皇子として生まれたミラは、母親が皇后であるにも関わらず帝国では冷遇されて育った。



「確か、元々皇帝は皇后を嫌っていて、皇妃にしか子を生ませる気がなかったと聞いたな」

「なら、周りに言われて仕方なく皇后との間にも子を作ったんだね」

「ああ。そんな皇后の生んだ子は皇帝や皇妃、腹違いの皇子達からしたら邪魔だったんだろう」



 偽の罪を作って皇后を失脚させ、七歳になったばかりのミラを悪徳商人に売り飛ばした。魔族とも取引をしていた商人によって魔界へ売り飛ばされ、命辛々逃げたはいいものの、異母兄達に暴行された体は早く力尽きた。死を待っている時にミラを拾ったのがヒルデガルダだった。



「その帝国は今もあるの?」

「ミラを拾った一年後に妾が消した。他国への侵略を繰り返し、属国に重税を課し、元々住んでいた国民を奴隷として売り飛ばして懐を潤わせていたからな。帝国が滅んで喜ぶ奴はいても悲しむ奴はいなかった」



 皇子として暮らしていた時より、魔界でヒルデガルダに世話をされている方が贅沢な暮らしをしているとミラは話した。実母は皇后なのに、皇帝に冷遇され憎まれているからと周囲の扱いは酷いものだったとも聞いた。



「皇帝と皇妃、皇子達は一人ずつ殺してやった」

「ミラは知ってるの」

「知ってる。妾が帝国を滅ぼすぞと言ったら、母の遺骨だけ回収する時間が欲しいと言われた。皇帝の事は他人が死んでもどうも思わないとな」

「他人、か。血の繋がった親子なのに」

「ミラにとっての家族は母だけなのさ」



 巨大で冷たい城でただ一人家族でいた母を冤罪で処刑させた皇帝を実の父と言えど情けを掛ける理由はない。皇妃や異母兄達はもっとない。一人ずつ殺す場にミラは同席させなかった。見ているより、亡き母の墓に置く花でも探して来いと街の花屋へ買いに行かせていた。無様に命乞いをする皇帝達を処刑した後は、他者を苦しめ甘い蜜を吸う帝国があっても害であろうと暇潰し目的で滅ぼした。



「ヒルダは……」

「うん?」

「ヒルダは、あの婚約者をよく知っているの?」

「どうして?」

「ヒルダにとっては可哀想な王子だろうけど、実際はどんな事を知ってるのかなって気になるんだ僕は」



 婚約が成されて一年経過しており、互いを知っているのは当然と思われる。けれど二人はそうじゃない。



「アイゼンの期待に応えられないで申し訳ないがよく知らない」

「知らない?」

「妾が知っているのはこの国の第二王子で、相思相愛の婚約者がいたのに王命で無理矢理引き裂かれて、妾に虐められて可哀想。これだけ」

「ほぼヒルダのせいじゃん」

「まあ、な」



 内心はどうであれノアンは新しい婚約者にも誠実に接しようと、決められた婚約者との茶会にもパーティーの同伴にも応えようとしていた。律儀で損な性格な男と哀れみ、敢えて悪女になり切って常に翻弄し続けた。歩み寄ろうとするノアンを受け入れず、元婚約者のヒリス共々虐め続ければ国王も考えを変えて再び二人を婚約させると本気で予想していた。オーギュストもこの考えには賛同していた。



「ま、妾とオーギュストの読みは見事に外れたがな」

「魔力持ちの減少は王国に限った話じゃない。人間界全体の話さ。そう遠くない未来、人間達は魔力を失うだろうね」

「どれくらい先になる」

「大雑把に計算したら……三千か四千くらい先]

「まだまだ先なんだ、その間に人間達がどうにかしようと策を講じる」



 短い生を精一杯生きる人間ならば、必ず解決策を見つけてくる。心配ないと笑うヒルデガルダの頬に手を触れたアイゼンが一言漏らした。



「そろそろ、大人の時間に入らないか」

「冗談かと思っていた」

「酷いなあ。僕はヒルダに対して冗談を言わない。君に聞かせる言葉はどれも本物。ほら、連れて行ってあげる」



 背に腕を回され、両膝裏に手を入れたアイゼンに抱き抱えられると隣の寝室へ連れて行かれた。そっと寝台に乗せられ、アイゼンも寝台に乗りヒルデガルダの頬にキスを落としていく。色っぽい雰囲気はなく、擽ったいだけのそれを笑って受け入れる。



「妾は本当に一切経験がないぞ」

「経験がなくて寧ろ嬉しいよ」

「本には、女も偶に動くとあったんだが……妾は何をしたらいい?」

「何も。全部僕に任せて。ヒルダは僕にされるがままでいて」



 ちゅっ、ちゅっ、と頬にキスをしながら段々と唇が首へ下がり、鎖骨辺りに触れ始めた。擽ったい感覚が変わらない。されるがままと言われても実際のところはどうなのかと考えつつ、手をアイゼンの頭へやり髪を撫でてみた。見た目よりも柔らかく、撫でるだけで甘い香りが立つ。



「こう、でいいのか?」

「ヒルダの好きなようにでいい。決まった答えなんてないんだからさ」



 最近読んでいたラウラお勧めの恋愛小説では、ヒロインは確かにヒーローにされるがまま。作品によって女性優位が目立つものもあるらしく、今度その本を読みたいとラウラにお願いしよう。

 器用にナイトドレスを脱がすアイゼンの背に手を回した。開けたシャツの合間から覗く胸元といい、体つきといい、この間襲ったノアンと違って男らしい。王子でバリバリの軍人ではないノアンなら必要以上に鍛えなくても良いのだが、男の上半身というとオーギュストやオシカケ、アイゼンが基準のせいか平たくて弱弱しく見えてしまった。



「ふむ……」

「ヒルダ?」



 あの時のノアンは抵抗する術を奪われたせいでヒルデガルダに良いようにされていた。可哀想な婚約者という言葉にピッタリなくらい。頭からノアンが離れない。アイゼンの背に回していた手を離し、両肩を押してアイゼンを寝台に倒した。

 ポカンとするアイゼンだがすぐに笑みを見せた。



「気が乗らなくなった?」

「ああ。嫌じゃないのは本当だ。何て言えば良いのか……」



 ヒルデガルダ自身上手い言葉が見つからない。こういう場合どんな言葉を使うべきなのか。恋愛小説から言葉を探してもない。



「いいよ」



 アイゼンの手が頬に触れた。



「代わりに今日は僕と一緒に寝て」

「何もしないんだ。娼館へ行っても」

「行かないよ。ヒルダが側にいるんだよ? 行く理由なんてある?」

「妾には分からん」



 誰かが側にいようと性を発散させたいなら、プロの女性に相手をしてもらえばいいというのがヒルデガルダの意見。ヒルデガルダが側にいてくれるだけでいいアイゼンとでは思考は一致しない。言われるがまま隣に寝転がったヒルデガルダは抱き締めてきたアイゼンの腕の中で眠りに就いた。



 朝になってオシカケが起こしに来ると「マクレガー公爵令嬢からお手紙が届いてますよ」とアイゼンがベッドにいることをスルーされた。









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