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第28話 ラピスラズリ


 九月の半ば。残暑も失せて来た頃に涼やかな風が肌に触れる。


 夏木は学校の不良グループに呼び出されていた。嫌々としながらもその校舎裏に行くと、談笑しながら煙草を吸っている不良たち。夏木の存在に気付くと、にやにやと不快な笑みを湛えて近寄って来る。


 要件はわかっているつもりだ。どうせ祖父のやっている仕事――ヤクザに興味があって、夏木と親しくなっておけば、ヤクザにでもなれるとでも思っているのだろう。


 汚い手を回してくる。はっきり言って気持ち悪い。


「なあ、俺たちと友達になってよ。……金、欲しいでしょ?」


「どういうこと?」


 強い口調で訊ねる。すると男は大笑いして、


「自分の家がヤクザだからって、寄って来る奴がそれに興味があるなんて思わないでね。俺たち今俗に言う半グレなんだ。犯罪ならなんでもやって金を稼ぎたい。ヤクザなんて今時、堅苦しくて嫌だよ」


「でも、さ。一応俺らも自由になんでも出来るってわけじゃない。縄張りの抗争だってある。そこで夏木ちゃんに“大門”の役目をやってほしんだ」


「半グレに縄張りなんてないでしょ」


 夏木が厳しく問うと、


「そう、明確に決まってるわけじゃない。でも、やっぱり他のチームとの線引きがあるんだ。ここでバイをやったら駄目とかね」


「それで、その大門って何?」


「夏木ちゃんのバックには関東最大の暴力団があるよね。それが他のチームに伝われば、うちにうかつに手出し出来なくなる。まあ、抑止力になるんだ」


 ヤクザそのものに興味があるのではなくて、その存在が持つ異質な力に興味があって、それを利用したいというわけか。


「それって、私があんたらのチームに入るってこと?」


「チームには入ってほしいけど、別に犯罪はしなくていい。いわば存在しているだけでいいんだ」


「もし、嫌だって言ったら?」


 すると目踏みするようにじろじろと見てきたあと、「あ、そういえば」とわざとらしく話題を変えてきた。


「今、一年三組の橘有希と仲がいいんだって? あいつってさ、すごい陰気だよね」


「さらに酷いいじめしちゃおうかな」


「何それ、私を脅してんの?」


「さあ、どうかな」


 夏木の肩を叩いたあと、「返事待ってるよ」と言い残し、去っていった。


 面倒なことになってしまった。半グレのチームになんて入りたくなんてない。そう夏木の潔癖さが訴えている。だが、あの半グレたちは返答次第によっては本気で有希をいじめにかかる。そう考えると有希を守るために入った方がいいのだろう。ああいう連中は他人を傷付けることに容赦がない連中だからだ。


 思わず頭を抱えそうになる。すると携帯の着信が鳴った。メールだ。


『今、どこですか』


 これを見て、あることをすっかり忘れていたことに気付いた。有希と放課後、喫茶店に行く約束をしていたのだ。


 すぐに待ち合わせ場所の裏校門に行く。夏木を見付けた有希が控えめに手を振ってくる。彼女はいつだって控えめだ。


 学校から少し歩いた繁華街にひっそりと佇む喫茶店。昭和の面影を残した外観。中に入るとわかる色褪せた内装。夏木と有希は店員に案内されて左右にそれぞれある二人掛けのソファに座る。夏木たちはカプチーノとフレンチトーストを注文する。ここのフレンチトーストが美味しいとテレビで紹介されていたのだ。


 夏木はぼんやりとしていると、有希は「あれ、綺麗ね」と言った。指差している方向を見ると、カウンターの奥の棚の上に熊の木彫りの時計があった。その熊はファンシーな見た目をしていて、愛くるしい。


「綺麗というか、かわいいね」


 数十分後、カプチーノとフレンチトーストがテーブルに届いた。


 早速カプチーノを口に含む。程よい苦味と酸味が口内に広がる。そして、フレンチトーストをナイフとフォークで綺麗に切って食べる。今度は強い甘味を感じる。この二つが絶妙なバランスでマッチしている。


「夏木ちゃんって、性格がラピスラズリみたいだよね」


「何それ」


 有希は咀嚼しながら、上手く言える言葉を探して思案しているようだった。


「ラピスラズリっていうのは宝石のことなんだけど。すごく高価で綺麗な石なんだ。夏木ちゃんの性格って一見すると硬質な感じがするけど、でもとても綺麗なんだと思う」


「そう言われるとすごく照れるんだけど」


 なぜ急にそんな話をし始めたのだろう。それを訊ねてみると、


「私ね、夏木ちゃんの存在に救われているんだ。あの時話しかけてきてくれて、友達になって今もこうして一緒に美味しいものを食べれてる。それって全部夏木ちゃんの計らいのおかげだからさ。そんな夏木ちゃんの印象を私になりに言ってみました」


 ありがとね、と微笑む有希。


 その気持ちは夏木も同じだった。夏木はアゲハのことで立ち直れずにいた。そこに有希という存在のおかげで、アゲハから吹っ切れた。有希は人を幸せに出来る力がある。そう思った。それは今こうして夏木のことを綺麗な石のようだと比喩してくれている優しさや、人を想える心があるからだ。それは普通、難しい。どうしても人間は生きていく中で捻じ曲がってひねくれていくものだ。夏木の性格が潔癖なら、有希は純粋なのだろう。


 半グレたちの言葉がよぎる。また有希をいじめに晒すことは駄目だ。だからこそ、絶対に守らないといけない。そう密かに決意した。


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