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第30話 生まれた憎悪

 あの半グレグループは学校に来なくなった。憶測だが、元『赤城』の集団につぶされたのだろう。


 有希といつも通り踊り場で食事を取るため、そこに向かっているとある女子生徒に呼び止められた。


「何?」


 少し警戒していると、その女子は薄く笑いながら言った。


「そんな気構えなくていいよ。ただちょっと話がしたいだけ」


 夏木は例によって存在は空気そのものだ。そんな夏木に用があるなんて何か嫌な意味があるのではないかと思った。


「私と友達にならない?」


「え、どういうこと」


 その女子は手を振って、


「特に深い意味はないよ。私と友達になれば、同じグループにいる高城姫乃ともまた友達になれるかもね。どう、悪い話じゃないでしょ」


 姫乃が最後に告げた言葉――『じゃあ、友達やめよっか』が脳裏に蘇る。


「でも、一つだけ条件があるんだ」


「何、なんなの」


 女子が夏木に近付き、そっと耳に囁いた。


「一緒に橘有希をつぶさない?」


 反射的に身を引いて、夏木は女子を睨み付けた。


「そんな条件、私が吞むとでも思った?」


 女子が鼻を鳴らして、「まあいいわ。すぐに答えを出さなくていいから。ゆっくり考えて」と言って踵を返した。


 夏木はどうするべきか思案しながら階段の踊り場に向かうと、もうすでに有希がそこにいて、お弁当を広げていた。


「遅かったね。……って、どうしたの夏木ちゃん、顔怖いよ?」


「……ああ、なんでもない」


 有希の横に座ってメンチカツサンドをもさもさと食べていると、


「うちの学校で常習的に詐欺をやってる人がいるんだって。なんか嫌だね」


「うん」


 それはあの半グレ集団のことだろう。きっとそういう人種は行いを正当化し、周囲の人間に触れ回っているのだろう。だから噂になんてなるんだ。


「私、犯罪者って嫌い。他人を騙してまで生きているような人たちがね」


「私も嫌いかな。自分の潔癖さがそういうの許せないんだ」


「気が合うね。……友達になれてよかった」


 休み時間終了のベルが鳴る。有希が弁当箱の包みを閉じて言った。


「今度、旅行に行かない?」


「旅行? どこに行くの?」


「京都かな」


「何しに? 京都って仏閣とかしか有名な場所がないよね」


「私のおばあちゃんに会わせたいんだ」



 新幹線の自由席、その窓際に座った夏木はその横の有希の話に相槌を打っていた。


「私、おばあちゃん子でね。そのおばあちゃんに夏木ちゃんのことを話したらぜひ会わせてくれないかって言われたんだ」


「それでわざわざ京都まで、ね」


「ごめんね。旅費は私が出すから。……それより早くこの牛タン弁当食べようよ。紐を引っ張ったら温かくなるんでしょ」


 有希は目を輝かせて言った。興奮するようなことかなって思いつつ、夏木もこの牛タン弁当が楽しみだった。


 早速食べてみることにした。熱々の牛タンを口に入れるとほどよい弾力とタレの甘さを感じ、肉本来のうま味を楽しむ。牛タンの下には、タレが染み込んだ白米があった。それをかきこむ。


「旅行先で食べるご飯っていつにも増して美味しいね」


 確かに、そうかもしれない。その旅行先の空気とか、新鮮さとかが味覚にも影響があるんだよな。


「で、そのおばあちゃんってどういう人なの?」


 有希が箸を口にくわえたまま考え込む。


「おっとりしてて、とにかく優しいかな」


「そっか。優しいおばあちゃんってつい甘えたくなるよね。私のおばあちゃんもそんな感じなんだ」


 なんでもない会話をしつつ、京都駅に着いた夏木たちは駅から降りて、バス停へと向かう。


 列に並んで待っていると、有希が喋りかけてきた。


「うちの祖父母は飲食店を経営してるんだ。抹茶は好き?」


「好きだよ」


 バスが到着した。夏木と有希が乗り込むとすでに席が空いておらず、立つことにした。


 揺られながらかれこれ二十分。有希が降車ボタンを押した。


 バスから降りると住宅街だった。そこから歩くこと十分。喫茶店がぽつんとある前に来ていた。


「ここが祖父母の家。一階がカフェで二階が家になってるんだ」


 裏口の方へと回り、その扉を開けて二階に上がる。


「ただいまー」


「おかえり。遅かったね」


 人のよさそうなおばあさんがリビングにある椅子に座っていた。この人が有希の祖母なのだろう。夏木に気付いたおばあさんが、


「その人が前に話していた織田夏木さんね。よろしく」


 と柔和な笑みを見せてきてくれた。夏木は頭を下げて、「初めまして」と挨拶した。


「そんなにかしこまらなくていいのよ。ゆっくりしていって。今からお茶、いれるわね」


 そう言って立ち上がり、冷蔵庫を開けた。


 すると、別の部屋から来た、家の中でもダウンを着ていたおじいさんが夏木を見て、驚いた。


「こちらは?」


「有希の友達。名前は夏木さん。あんた人相怖いんだから、夏木さんを驚かさないでよ」


 答えたのはおばあさんだ。それにおじいさんは頷いて、「わかった」と言った。


 おじいさんが笑いかけてきて、


「有希は学校でどんな様子なのかな?」


 夏木はえっと、と有希に目配せする。有希は上手く誤魔化して、と目で訴えかけていた。


「有希ちゃんはとても優しい子です。学校では趣味の読書に没頭していて、よくその本の感想を教えてくれるんです」


 婉曲的に伝えると、おじいさんの瞳に喜びが映った。孫を褒められて嬉しかったのだろう。


「私は内気な性格でなかなか友達が出来なかったけど、夏木ちゃんが喋りかけてくれて友達になったんだ。それから毎日学校が楽しいんだよね」


 そう楽しそうに話す有希。その気持ちは夏木も同じだった。孤立してしまい、それからアゲハとの出会いをきっかけにして価値観が変わって、有希に話しかけてみようと思った。それから毎日学校生活が楽しく、ここが居場所なんだって思える。


 抹茶オレを出してもらい、ダイニングテーブルの椅子に座ってそれを飲む。本格的な味で、さすが本場の京都だな、と思った。


 夕食も食べさせてもらい、帰りがけにはお土産まで頂いた。


 それから新幹線でぼんやりとしていた。横にいる有希はうつらうつらしている。


 今日、楽しかったなという気持ちと、移動疲れを感じていた。


 すると肩に違和感があった。見ると、有希がもたれかかって寝ている。

その姿が愛おしくて、有希の髪をすく。こんなかわいい姿を独り占め出来ていることに、優越感がある。


 どうしてこんな少女を人はいじめるのだろう。人の醜悪さを、恨んだ――。


********


 教室が騒然としていた。


 いつもの喧騒とは違う、物々しい雰囲気。


 夏木に一心に注目が集まっていた。何か嫌な予感がする。生徒が集まっている板書へと近付いた。そこには一枚の写真があり、それは煙草を吸っている不良グループと夏木が話している場面を切り取られたものだった。


 急いでその写真をはがし、咄嗟に有希の姿を探した。有希はいつも早い登校で、この時間にはすでに教室にいるのだ。だが、見渡せどいない。


 焦って教室を飛び出した。有希の姿を懸命に探す。もしかしてと思い、いつも昼食を一緒に取っているあの踊り場へと向かった。だがそこにもいなかった。


「どうして黙ってたの?」


 冷たく攻める言葉が後方から届いた。血の気がさぁっと引いた。


 振り返ると侮蔑の眼差しを向けてくる有希が立っていた。


「夏木ちゃんがあんな不良グループと関係を持っていたなんて信じられない。ほんと、気持ち悪い」


「違うの。これは——」


「何も違わない。あの写真が真実じゃない。もう嘘は終わりにしよう」


 そう言って有希は去って行った。夏木は呆然とする。


 また汚れた人物のせいで、夏木が築いた幸せが崩壊するのか。ふざけるなよ。こんなのおかしいじゃないか。夏木は何も悪くないのに……。


 そう思うと社会に、運命に、与えられた宿命に嫌気が刺してきた。全てがどうでもいい。


 誰かを壊してやろう。そう思った。この不条理さに復讐してやるんだ。上手くいかない物事を真っ向から対抗してやる。


 有希をつぶすことを持ちかけてきた女子と会おう。そう思って教室に行こうとすると丁度廊下で出会った。


「ねえ、前に言っていた話、やってあげる。友達になりましょう」


 と言って夏木は笑った。女子も不気味な笑みを見せて、


「契約成立ね。仲良くしましょ」


 この時、すでに夏木の潔癖さは消えた。同時に生まれたのは憎悪だった。これを原動力に、夏木は生きていく。全てを恨みながら、優しさのかけらも感じられずに――。

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