●廃 墟
半壊した石畳の上を、冷たい夜風が吹き抜けていた。
固く閉ざされた戸ロ。内側から板を打ちつけられた窓。荒れ地より飛ばされてくる砂埃によって灰色にすすけた壁は手入れひとつ見えず、丸い枯れ草の塊が幾つも道傍を風に転がされてゆく。
家屋の隙間、路地裏。そのどこにも動く影や気配はない。
住み家を持たず、その日の糧を求めてうろつくだけの、痩せた野良犬さえいないところを見ると、もうずっと前に捨てられた町なのかもしれない。
ここでは暮らしていけないと早々に見切られ、放棄された町の残骸……。
びゅるると淋し気な音をたてて町を巡り、それを確認すると、風はちょっとした崖となっている町の西外れに抜けて行く。そこには、額から右目にかけて布を巻きつけた、1人の少年が立っていた。
傍らに移動用動物の姿が見えないところを見ると、おそらくずっと歩きつめて来たのだろう。広がる荒野を背に、脆弱な月明かりの中、目前の石に足をかけ、更に乗り出すようにして崖下に広がる町を見る。
月齢五の、わずかな月光にも艶々と照る黒い髪と目。浅黒い肌。特に小柄とも思えないが、ひどく痩せているせいで実際よりもひと回りは小さく見える体躯をしており、険が立っているとまではいかないものの、少々きつめに整った顔立ちは中の上といったところか。
上をみてせいぜいが17~18の、この年ごろの若者特有の多すぎる血の気がせめてもう少し表面下に押さえられていれば「きれい」の部類に入れたかもしれない。
だが若さという未来に対する希望ゆえの不屈な目の輝きは並以上に強く、まず何よりも生きることを十全に楽しんでいると精力を張らせた全身で言っている少年は、まだそういった言葉に付随する感情への関心はなさそうである。
より強い者と闘うこと。それこそが剣士の望み。
そう、少年は剣士だった。
一見してそうとは見えない、痩せぎすの体にはしかし気をつけて見れば驚くほど無駄のない筋肉がついており、みごとに鍛え上げられ、引きしまっているのが分かる。
腰には中剣を
それはまさに、少年がそれだけの闘いを経て生き残ってきた、勝利者の証でもあろう。
そして今、少年は、足下からくる風に前髪を吹き上がらせながら、廃墟と思われる町を眼下に見下ろしていた。
その目はまっすぐ町の中央部のある一点を見つめ、ロ元には何やら意味ありげな薄い笑みを浮かべている。
やがて身を引き、足元へ下ろしていた荷袋を持ち上げると、少年はおもむろに町へ続く右の坂道へと足を向けた。
◆◆◆
至る所に空いた穴に足を取られないよう気をつけながら、瓦礫と砂だらけの道を少年は歩いていた。
耐久年数を越え、廃れ、自然崩壊したわけではなく、相当の圧力を加えられて力ずくで砕かれたらしい石畳は、町中あらゆる箇所で蜘蛛の巣状にひびを巡らし、へたに過重すると踏み抜いてしまいそうだ。
特段先を急ぐこともなく、ちらちらと左右の日干しレンガ造りの家屋に目を配りながら進む。子どもが横になってようやく通れるくらいの間隔でびっしりと隣接された、そのどこにもやはり人の気配はない。家屋のひとつを覗いてみたが、部屋中に散乱した日用品の上にはうっすらと砂埃が積もっていた。
荒地を渡る風が運ぶ砂は掃除の手を抜くと1日で数ミリは積もり、ときには数センチにも及ぶ。しかしここ数日、それほど強い風は吹いていない。この様子だとこの町が過疎化して、まだそれほど日数は経ってないまうだと判断する。
念のため先を行く途中で支路を覗き、ゴミ箱の中を見る。家庭用の地下の
そうして自分の想像を強めているうちに、おそらく広場だと崖の上で見当をつけていた場に着いた。
こういう小さな町では町民の集会所にも用いられる広場は、いわば町の中心だ。ぐるりと放射状に巡らされた支路は町のあらゆる場所につながり、右手には教会らしき建物すら伺える。ここからこの町は造られたのだと言ってもおかしくない。
その発祥地点をひととおり見渡し、さらにその中心に据えられた、この町の水源らしい井戸へ歩み寄ると中を覗きこむ。かなり下だが、暗い水鏡が見える。
と、いうことは、だ。
ここに至り、少年は己の推測を確信へと変えて、初めてにっと強い笑みをロ元にはいた。
「どうやら仕事にありつけそうだ」
『少年』特有の持ち物のひとつである、高めのハスキーボイスでそうつぶやき、横にあった水桶を蹴り飛ばす。からんからんと乾いた音をたてて、支路のひとつへ向かって転がっていくそれを見やりながら、胸いっぱいに深く夜気を吸いこむ。そして、その見かけからは到底想像もつかない大声で、少年は こう叫んだ。
「出て来いてめえら! こそこそこぞこそしやがって! 俺はそういう卑屈さが大っ嫌いなんだ!
どうせそこかしこにいやがるんだろ? 隠れてこっそり見てねえで、さっさとその姿を見せやがれ!」
見せやがれ……やがれ………がれ……
周囲の建物には、代表者のロ上を広場に集合した全員に届かせる役割もあるのだろう。小気味良いほどきれいに反響する少年の粗雑な言葉が消え去る前に、雲間に隠れた月と入れ代わるように黒い影の一団が闇の中へと現れる。
いち速く気配を察し、そちらへと向き直った少年は、ざっと見で20はいるその者たちを見渡して、ぽんと腰に手をあてた。
「あーらら。どいつもこいつも殺気立っちゃって。やだねー。俺はべつにおまえさんたちを呼んだわけじゃねーぜ。それとも――」
もう、
そう、少年が何やら意味深な言葉を言い終わるのも待たずに、逸った者が声を張り上げ、手にした棒を振り上げて襲いかかってきた。
ただ直進し、盲滅法振り降ろすだけの大根切りだ。どうぞ殺して下さいと言わんばかりの全く隙だらけな、自暴自棄としか見えないその雑な攻撃に、まさかと少年が目を丸くしながら避けたとき。続くようにして駆けてきていた者の棒が、横から振り降ろされた。
「うわっ」
間一髪で割られるのを避けられた頭を引いて、とっとっと、とおぼつかない足取りで後ずさる。
「ち、ちょっと待て!」
もうやる気はないと手を振るが、すっかり血走った目をした男たちは意味が通じないらしい。それどころか、見えてさえいないようだ。
こりゃ駄目だ、完全にキレてる。
などと冷汗で悟りながら、次々と仕かけられる棒の間を、少年はまるで魚が泳ぐように楽々すり抜けていた。
しかし。
まるっきり素人の、いかにもこんなことは初めてですと言わんばかりの攻撃は避けやすいが、いかんせん、数が多すぎる。
余裕のあるうちに反撃するべきだとは思うが、かといって腰の剣を抜くわけにはいかないぞ。それこそ仕事の交渉どころじゃなくなると、そこまで思案したときだ。
突然下からはい上がってきた何かが少年の体を盲縛した。
「なにっ!?」
不快感にけばだつ、身を襲ったその異常な感覚に敏感に反応して、ばっと下を見る。
少年の足元の地面を蜘蛛の糸ほども細い光の線がぐるりと小円を描いて走っており、それが火花の弾けるような音をたてて白い稲妻を放っていたのだ。
「しまった」
ここへたどり着くよう誘導され、追い込まれていたのだ。
縛陣と悟り、力ずくくで抜けようと無理に動いた体を再び白い稲妻がチロリと舐める。
それ自体には大した痛みを感じなかったものの、瞬間、おそろしく不自然にもがくりと膝から力が抜けた。
「くっ……」
とても立ってはいられずその場に両膝をついた少年に、チャンスとばかりに男達の棒が振り降ろされる。
少年を
立ち、反撃しようにもすでに光は少年の手や頭にまでからみつき、どうしても力が入らない。地に伏し、されるがままになりながら、そのうちの一撃をうなじに受け、少年はついに気を失ってしまった。