●魔 剣 士
「さあどうぞおかけになってください」
牢から出しはしたものの、部屋から出す気はないらしい。
鉄柵のすぐ前に置かれた折りたたみ椅子を
やっぱり気に入らない、と思う。
あのあと。シャンリルと名乗ったこの町長代理の男は、彼の制止を聞かずに先走った町の者たちのした非礼に丁寧な謝罪の言葉を並べてきたのだが、それがひどく儀礼的でとても本心からとは感じられなかったこともさることながら。
目を覚ました途端、こうして出すんならどうして最初っから客室へ寝かせておかなかったんだ、という不満がまだ少年の中でくすぶっていた。
「完全に魅魎でないと知る必要があったのです。あなたが町へ入られたとき、失礼ながら、それらしい気配がしていたのは事実ですし……大変申し訳ないのですが、町の者たちが、あなたのような肌色の方を目にしたのが初めてだったということもあり、魅妖が配下の
彼らを説得しようにも、わたしも、目を覚ましてからでないと正確に気を読み取るのは難しかったものですから」
シャンリルはそう釈明した。そして、すみません、ともう一度頭を下げる。
その用心は分かる。分かるがしかしっ!
ちゃんと部屋をあてがってりゃよかったんだ! そうすれば俺だってこんな気持ちにならずにすんだんだ。しかもっ! ……魘魅だと? 俺をあんなやからと思っていただと?
あんな低級で下劣で恥知らずな、どこまでも自己中心的な魅妖なんかが己をうやまう下僕として作りたがるおもちゃと、この俺を間違えただあ?
ひとを馬鹿にするもほどがあるっ!
ええいちくしょお、どうしてくれるっ! 残ってたわずかなやる気までがそっくり失せちまったじゃねぇかよっ! これじゃあ何のためにここまで来たか分からねえじゃねぇか!
くそっ、ここまでの旅費と情報料返せ! 野巫結界師っ!
と、やはりどこかねじれた論理で眼前のシャンリルをにらみつける。
その、隠そうともせず全身で不満を訴える少年に、分かりやすい人だと苦笑を漏らしながら、シャンリルは再び席をすすめた。
「さあ、とにかくおかけになってください。話はそれからです」
言って、先に正面の椅子へと腰を下ろす。
従うのはシャクだったが、確かにこのままでは何も始まらないと、不承不承椅子に手をかけたとき。シャンリルが組んだ指で隠したロ元から探るように言ってきた。
「こうして正面から視ると、よく分かる。本当にあなたは奇怪な気をしていらっしゃる。
特に、こちらの目の辺りなど――」
言葉とともに、すっ、とシャンリルの手が少年の布に覆われた右目へと伸ばされた。
その、何気ないながらも隙を突くような動作に敏感に、そして過剰と思えるほど神経質に反応し、少年は布に触れられる前にその手を強くたたき払った。
前髪の間から唯一のぞく左目に、一瞬の殺意すらはらんで。
「……ほっとけよ」
殺意の裏にはかすかなおびえがあったことを悟られまいと、顔をそむけて返したその言葉は、しかし固くこわばっており、まだ消し去れない動揺にうっすらとひび割れていた。
そして、過剰な少年の反応には、返されたシャンリルのほうも途惑っていた。
術具を用いて町に結界を張る結界師であるシャンリルは、大気やそこに含まれる気の流れに敏感だ。そんな彼も、常人にはない気配を生じさせている少年の右目のようなものを視るのは初めてだった。
おそらく、かつて彼の身にふりかかった魅魎による災いによって失ってしまったのだろうとは思うが……。
闇そのもの、不浄の存在である魅魎につけられた傷は、浄化をしなくては闇の気を帯びたまま固まってしまう。そういった人々を、これまで何人も診てきた。闇に触れて負の気を漂わせた傷や、浄化されないまま塞がってしまった傷による、精神的な後遺症などだ。
結界師である彼は、そういった傷病者の浄化治療も行っている、
定置を持たず、さすらう『流れ』の者は、常に浄化を得ることは難しい。おそらくあの右目も、浄化されないまま塞がった傷だろうとの見当はつく。
しかしこれまで視てきたどの症例とも少年の右目は違っているように視えた。
何が起きたらそうなるのか、医師として知りたい思いで胸がうずく。
だが今はその時ではない。先の反応からみて、そのときのことはいまだ少年の胸の内に消えない傷として残っているようだ。牢のこともあり、機嫌を損ねてこちらを警戒している今、心の傷に触れて無遠慮に聞き出そうとするのはさすがに得策ではないだろう。
強がっているように、必要以上に乱暴な口をきく少年は、まるで傷を負った小さな獣のように視えた。
だが、それはあくまで外側から見たフェンリルの、自分主体の勝手な判断である。
このとき。その、いわゆる『心に傷を負った小さな獣』本人が、そっぽを向いて隠した顔をしかめて思っていることというのは。
なんだよこのイガイガした沈黙はっ!!
だった。
あーやだやだやだっ! この、見るからに、修羅場になど遭ったことなどありません、ぬくぬくの好意を向けられてきた中で大きくなりました、と言わんばかりのぼっちゃん育ちは、中も外も砂糖漬けときたもんだ!
どうせまた好き勝手に想像を働かせて、俺を悲劇の主人公にしちまってるんだろうさ! 今までのやつらと同じように!
どいつもこいつも独創性ってもんがないのかね!
この目が何だってんだよ。放っとけよ。俺のもんだろうが。町長代理やってるってことはあんた、頭いいんだろ? どうしてそれっくらいのことが分かんねえんだよ。
ひとのもんをいちいちいちいち……どんな気をしていようが、それこそ俺の勝手だろ。これのせいでてめえに災難がふりかかるとでも言いたいのか?
第一。
「あんただってひとのこと言えないぜ」
すっ、と、この息をするにも気を使わないといけないような沈黙を打破し、さらに話題の元を転換するべく、少年は身を乗り出してシャンリルの閉じた両目を指で差した。
「ずいぶん闇の気配が濃いじゃないか。『取られた』のか?」
先のお返しとばかりに言ってくる少年に、しかしシャンリルは返されて当然だと、動じた様子もなく、にこやかに頷いた。
「ええ。お恥ずかしい話ですが、先の襲撃の際に隙をつかれまして。
ですが、ほかの者と違い、わたしは気を読むことが専門の結界師ですから。視ることはできますので、そう不便ではありませんよ」
どうぞお気遣いなく、などと平然と言ってくる。
視力がなくなりゃ不便だろーが。全然大丈夫じゃねえよ。
ケッ、お上品ぶりやがって。だれが心配なんかするか。
「あっそ」
ガリガリッと頭を掻き、不機嫌そのままの声で返すと、少年はどっかり浮かせていた腰を椅子に落とした。
そのまま腕を組む。足など横に投げ出して、無礼極まりない横柄な格好だ。
そんなことをしながら全然悪びれた様子もなく、平然と目線をよそへ飛ばす少年に、シャンリルは静かな声で語りかけた。
「すっかり気分を害していらっしゃるようですね。先の折り、わたしどもがしましたことについては深くお詫びいたします。私のもらした不注意な一言があなたをあのような目にあわせることとなってしまい、大変申し訳なく思っています。
ですがどうか気を直してひとまず私の話を聞いてもらえないでしょうか」
「ひとのことを魅魎と間違うような野巫結界師なんか、信用できるわけないな」
どうどう巡りになりそうな厭味には、苦笑をもらすしかなかった。
「意地悪なんですね」
くすくすと笑う。
すっかり子ども扱いで、居心地が悪い。
だが確かにいつまでも拗ねた態度をとるのはガキの証拠かも知れないと思い直した少年は、最大限の譲歩で頬杖に切り替えて、ぼそっとこぼした。
「タガー。『流れ』の魔剣士だ。専門は魅魎全般」