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第5回

「あなたが魔剣士・タガーですか」


 シャンリルは初めて驚きのこもった声で返した。


「中級魅魎に属する魅妖を数多く退治した、その勇名はこの辺境の地でも聞き及んでいます。

 しかし……こんなにお若い方だとは……」


 自身、幾分用心しながら口にしたのだろうが、最後の言葉に、やはリタガーの眉が反応する。


「見えないくせに分かるのかよ」

「声の張り、仕草、立ち居振る舞いで、ある程度は感じとれます。

 わたしは結界師ですから、空気の流れにはことさら敏感なのですよ」

「そりゃそうか」


 いかにも関心外のことであるといった態度でぞんざいに応じる。


「で? 話はそれだけか? ならさっさと俺の荷物返せよ。こんな町、さっさと出ていってやるから」


 その突然の切り出しに、シャンリルはさっと一瞬で強張った顔を上げた。


「そんな……あなたは魅魎退治に来てくださったのではないのですか?」


 その中には驚きと焦り、そしてすがるような願いがある。

 拗ねるのはやめたが、だからといってこだわりを消すつもりはないそ、と目で叩きつけるが、そんなにらみなど見えない相手にしてもしょうがないとハタと気付いて、タガーはふいとあらぬほうを見上げた。


「つもりはつもりだったけどな。もうすっかりその気、なくなっちまった。

 ま、俺が一番乗りだったってだけで、ここが襲われたらしいってうわさは流れてるから、そのうち別の『流れ』がやって来るだろうさ」


 そいつはきっと白い肌をしていて、あんたらのおめがねにかなうんじゃね?


 などと口先ばかりの言葉としてつけ足す仮借のなさ。

 先のお返しとばかりにシャンリルの限界を試すような、からかいを交えた辛口を続けたタガーだが、しかし次の刹那、彼は返ってきた予想以上の反応にあわてることとなったのである。


「そんな、いつ来るかも定かではない助け手など待てません!」


 勢いよく腰を浮かせ、ダンッ、と拳を下ろす。

 てっきり気の弱い優男とばかり思っていたタガーは、その突然の感情の発露に驚いて、思わず身を退く。そんなタガーに追い討ちをかけるようにシャンリルはまくしたてた。


「ここはシシャルカータ国でも外れの外れ。しかも先月、街との中継地は旱魃ににやられて泉も枯れてしまったため、放棄されてしまいました。

 あなたもご存じでしょう? 一番近い村からここまでどのくらいかかるか。あなたはここまで来るのにどれくらいかかりましたか? どんなに詰めた行程でも4日はかかります!

 それまではたしてここの者が生き延びられると、本気でお思いですか? 結界を破られ、いつ皆殺しに来るかとも知れない魅魎の気まぐれにおびえる人たちを見捨てると、そうおっしゃるのです?」

「あ、いや、あの、ちょっと……」


 激情すら流暢な言葉で滑らかにつなげられては、満足に否定も挟めない。


 こういうやつだったのか?


 第一印象による判断の誤りに面食らったが、だからといってこのままでは向こうのペースにはまってしまうと、タガーは再度腕組みをして反論を始めた。


「つったって、雇わねえほうがあんたらのためでもあるんだぜ?

 辺境でも知らない者はないくらい、俺の名は知れ渡ってるって、あんた自身言ったじゃないか。

 ただでさえ俺は高いんだ。それに加えて入った早々のあの扱い。おかげでかなり増額しなくちゃならない。

 こっちだって生活かかってるし、1度落とせばこれからの信用までなくしちまう。

 大体、退治したあとどうやってこの町立て直すんだよ? 中継地はなくなった。新しく中継地になる場所を見つけて興すまで何カ月かかるか……。その間、結界師を増やして結界の強化を図るにしても、莫大な金がいるんだぜ? 結界師なんだから、その辺は分かるだろ?

 そんな防備のボロっちい町、魅魎にとっては絶好の遊び道具だ。結局襲う魅魎が代わるだけで、また別の魅魎が目をつけるのは間違いない。

 今あんたらにできる一番賢いことは、このままやり過ごしてほかの『流れ』か、あるいは王都から派遣されて来る魔剣士の到着を待って、この町を放擲ほうてきすることさ」


 肩を疎めるタガーに、しかしシャンリルは首を振って否定を返した。


「それはあの魅魎を排除してのち考えればよいことです。今の災いを取り除く前から後に来るかもしれない災いについて心配して、どうなるのですか? この町が滅び、生き残っている者がいなければ、そのような配慮は無用でしょう」


 かもしれないじゃなくて、絶対だって。と、細かなところを胸の内で指摘しながら、それはそうだが、とタガーも肯定する。


 タガーの出した論は、聞く上では道理を通しているようだったが、今の災いによるこれからの被害のほうを軽視したものだった。そしてそれはここを襲っている魅魎にタガーが必ず勝利するという現状打破の仮定の上に初めて成り立っている。

 タガーが負ければこの町の現状はさらに悪化するという最悪論に対するものが一切含まれていない。


 全て、自信によるものである。


 命を賭けねばならない闘いに赴く者にとって、今までの成功体験からの自信は危険極まりないものだ。

 しかも、どう上を見ても10代を抜けていない、飢えて獲物を探す獣のように目ばかりが大きくギラギラと照るこの痩せぎすの少年を見て、一体誰がそんなものを信じるだろう?

 いくら名が通っていようと、経験もせいぜい3~4年といったところだ。その倍以上の年月を費やしてきた手練れでさえ、魅魎にやられることはよくあることだというのに。


 超常能力を持った、非情な輩を相手に絶対勝てるなどと、ひどい思い上がりである。

 これではとても期待はできないと、その浮わついた構えに失望するのが普通であるのに、シャンリルは不思議と、この少年にはそれを『持ちすぎたもの』であると感じなかった。


 それは、目が見えないことも関係しているのかもしれない。

 視覚からの情報に惑わされず、シャンリルの生まれながら身につけている五感以外のもうひとつの感覚が、それを分相応、あるいはまだ過小なものであるとさえ感じとる。

 それは『数多くの魅魎を断ってきた魔剣士・タガー』などといった、どこから始まったかも定かでない、信頼性の薄いうわさという先入観のせいばかりであるとも思えない。

 何より、そういった誤りに対する用心は日ごろから気にかけている。


 このときタガーのした判断の甘さは、実力を過信しているがゆえの危なさからでなく、それとは正反対の、絶大な能力者であるがゆえの自信、心強さという好印象でシャンリルには受けとめられた。


 なんとかして、彼に引き受けてもらわなくては。


 あらためて思いを固めるシャンリルの前、しかしタガーは素っ気なく肩を竦めた。


「でも、駄目だな」

「なぜですか?」


 声に表れる、どんな微妙な考えも逃すまいと身を乗り出す。


「俺がする気になれないからさ。べつに、したくもないことをわざわざしなくても生活できるだけの蓄えはあるからな。

 まったく、この性格には俺も困ってるんだけどね。すっかり身についちまってるからしかたない」


 と、まるで他人事のようにさらりと言って溜息をつくタガーに目を丸くする。


「そんなっ……人を救うべき力を神より与えられていながら……無力な人を救い、護ること。それがわれわれの存在意義でしょう!」


 シャンリルの驚きは、結界師としての価値観だった。

 人々を救うための力を持ってこの地上に生まれたのは神の意志であり、この世界における己の使命であると。


 しかしタガーはその考えを鼻で笑い飛ばした。


「んなこと、だれが決めたんだよ。神? 知らないね。俺は「人を救うためにはこの力が必要なんです。どうかわたくしめに恵んでください」とかなんとか頭下げてもらったわけじゃない。

 見たこともないやつに立てる義理なんかないし、そんなご大層な志しがあったらこんな『流れ』なんかやってるかよ」

「じ、じゃあどうして魔剣士をなさっているんですか? 普通に生きることもできたでしょうに」


 驚きの冷めない顔で焦り気味に訊いてくるシャンリルに向け、タガーはそんなことも悟れないのかとあきれかえった目を向けた。


「決まってる。金が欲しいからだ」


 魅魎退治は金になる。それも、普通の者であれば一生かけても稼げないほど、莫大な額の。


「才があったから利用してる、それだけだ。

 そのおかげで生活に困らず、食い物も手に入れられて、こうして生きてこられた」


 その道徳観念の差に絶句してしまったシャンリルの前で、タガーは知ったこっちゃないと顔を横に向けている。


 一体どういう神経の持主なのか。


 シャンリルは混乱した頭で今さらのように考える。


 魅魎に破壊された町のことを気遣い、大金を取ることになって悪いと言うから人命救助の思いに厚いのかと思えば、金のためにやっていると言う。それはひどく矛盾していると、自分でも思わないのだろうか。


 混乱よリシャンリルが立ち直るのに、さらに数分が要された。


「……言われるだけの額をお支払いすることを約束します」


 沈黙ののち、回復した声でゆるゆると言う。


 たとえどんな思考回路をした者であろうと、それはこの際関係ない。問題は今、魅魎退治をしてもらえるかどうかなんだからと自らに言いきかせ、衝撃による価値観の崩壊を押しとどめる。

 それに考えてみれば、金でどうにかできるなら安いものだ。


「その上で、成功報酬としてさらに1割を上乗せさせていただきます」


 このずいぶんと下手に出た条件に、ピク、とタガーの眉が反応し、うさんくさそうにシャンリルを見返した。


「ほんとに払えるのか?」

「それくらいの私財はわたしにもあります。結界師として16年勤めていますから」


 全く先までと変わらない笑顔で即答してくることに、今ひとつ信じがたい思いで小首を傾げる。

 そのとき、ノックの音もなしにいきなりタガーの背後でドアが開いた。

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