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第9回

『これ、お兄ちゃんにあげる』


 沈んでしまった太陽の残り火のように紫がかって燃える西の空に向かい立ち、己の大剣を手にこれからの闘いへ向けて気を高めていたタガーの首に、突然横からふわりとかけられる。

 手の主はティカナだった。


『めずらしいでしょ? 竜石よ。これをつけてると魅魎から身を守れるんだって。結界師師さまが言って、お守りにって昨日くれたの。でもあたし、行かなくてよくなったみたいだし。

 よく効くそうだから、おにいちゃんにあげる』


 翠は魅魎の嫌う色。その色を持ち、そして魅魎から疎まれるくらいには力を持つこの石は、下級魅魎を寄せつけず、人の気配も散らしてくれる。

 だが相手は中級に属する魅魎。しかも身を隠すならいざしらず、初めから接触し、闘うことを目的とするタガーには意味をなさない代物だ。


 けれど、自分の代わりに西はずれへ行こうとする彼の身を気遣う少女の優しさを拒むことはできなかった。


『ありがとう』


 自然に出た言葉は彼にしてはめずらしく、自然とほほ笑みの形をとっていた。


 その言葉でさらににこにこ笑いを強め、誉めてとばかりに胸を張って見せる。そんな彼女に応えようと、その頭に、タガーは怖々触れた。まるで自分が触れた途端、彼女の向けてくれている優しさが消えてなくなるのではないかと怯えているように。


 それだけの苦しみを味わってもおかしくないほどのことを、自分はしてきているのだから……。


『気をつけて行ってね、おにいちゃん。それから、絶対、絶対帰ってきてね』


 約束、と出された指にとまどっていると、強引に手を引っ張られ、指きりをさせられる。だがそれでも不安を消すには足りないと、ティカナは噛みつくように言ってきた。


『それで、それでね、全部良くなっておにいちゃん、どこか行くことになっても、また来てね。そしたらあたし、今度は間違えたりしないから』

『……どうかな。きっと、すぐ忘れるよ』


 こんな出来事は早く忘れたほうがいい。

 そんな思いを口にするのはさすがに気恥ずかしくて。少々皮肉って返して、タガーはティカナから離れた。


『ひっどーい! あたし、そんなに忘れっぽくないもん!

 そりゃ、言いつけられたお用事とか忘れちゃったりした時なんか、ちょっとはそうかな? なんて思うけど、でも、そんなにひどくないもんっ』


 額まで真っ赤になりながら握り拳を作って真剣な顔して言ってくる。そんな強気な姿に元気づけられた気分であははと笑って背を向けると、タガーは、西へ向けて踏み出したのだった。

 もう沈んでしまった陽に追いすがるように放出する、地熱との温度差で歪んだ空気の中を、少し先で布を持って待つシャンリルの元へ向けて。



◆◆◆



「……まいったな……」


 ここに至り、初めて、ほんの少しだけ自嘲の混じった言葉をタガーは吐き出した。

 わざわざ思い出したりして確認しなくても分かっている。自分は、あの少女のためだけにこの魅魎退治を引き受けたのだ。


 魅魎に襲われた典型の町に気にいらない結界師。おまけにあの出来事。


 べつに、今こうしているからといってあのときの自分を弁護するわけじゃないが、本当に、わざわざ助けようとしなくても済んだことではあるのだ。


 魅魎退治を専門としている『流れ』はなにも自分だけじゃない。この町が襲われる可能性が高いとの情報はすでに流れている。当然ほかにもタガーと似たことを考え、この地へと向かっている『流れ』はいるだろう。自分が一番のりしたというだけで、そのだれかは明日にも着くかもしれない。


 ほうっておけばいい。気がのらない仕事をわざわざ引き受けたりなどしなくとも、いくらでもあてはある。魅魎に襲われるのはここに限ったことじゃない。まだまだ辺境の町はあるし、もっと楽な、わりにあった仕事も簡単に見つかるだろう。

 何より、丸きり無駄と分かっている危険にまでわざわざ手を出すほどの余裕なんか、こっちにはないはずじゃないか。これは完全に、の仕業じゃない……。

 なのに。


「あーあ。ったく……」


 われながら、とんだやきが回ったものだ。

 初心者でもあるまいし、情けない、とは思うものの、かといって後悔があるわけでもない。確かにかったるいが、大まかにみて気分を害するほどのものでもない。


 ……実際ここまで来ておきながら、今になって理由探しとは。

 まったく俺ってやつは何やってんだか。


 髪をかき上げて苦笑する。まさにそのときだ。

 あるじの緩んだ注意力を叱責し、注意力を現実へ引き戻すように、一際大きく大剣はうなりをあげた。


 触れていた指から伝ってきた振動にはっとなり、再び周囲の気配に気を澄ます。それを待ちわびでもしていたかのように、次の刹那。


「これはこれは」


 嘲りのこもった、冷たく、そして美しい声が背後より発せられたのだった。

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