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第6話 海、知的好奇心 1

「かあさん」

「どうしたの、海くん?」

「うちゅうのはじまりって、なにがあったとおもう?」


 大人にも通じる流暢さで喋り始めた赤ちゃんが、興味ありそうだったから百科事典を買い与えたら、かなり早めのなぜなぜ期が壮大なスケールで始まった件について。


 どこかのライトノベルにでもありそうなタイトルを頭の中で思い浮かべて少々の現実逃避を。


 世の中のお父さんお母さんは、子供が自分に答えられない問を持ってきたとき、どうやって対応しているのだろう。


 三つ子たちは今、生後十ヶ月。

この問いを持ってきた海は、最近よちよちと歩き始めた。

動作は年相応なのに、お口と頭は飛び抜けて優秀。

一体どこから知識を持ってくるのか、親であるわたしでも分からないようなことを、日々問いかけてくる。

 賢い子に育ってる。親の贔屓目を除いても、そんな評価が下るだろう。


 そしてこの、なぜなぜが来た時に、わたし個人としてやりたくはないこと第一位。

問いに対して誤魔化すこと。


 わからないからと、「何でだろうね」なんてのらくら逃げては、海のせっかくの知的好奇心を潰してしまうことになりかねない。

だけど、その知的好奇心を満たすためには、親の知識が圧倒的に足りない。

このジレンマをどうしてくれよう。わたしは休みでのんびり昼寝をしている望さんを叩き起こした。


「海の知的好奇心を満たすには?」

「わたしの頭だけじゃもう、限界! 知識が足りなすぎる! 不甲斐ないママでごめんね!」


 嘆いて机に伏せるわたしの足元に、最近ようやくずり這い移動ができるようになった空が近寄ってくる。


「まぁ、ま!」


 空は覚えたての【ママ】を可愛らしく発声し、手をこちらに差し伸べてくる。


「空ぁっ! 可愛いねぇ!」

「ままぁ! あうあー!」


 因みに【パパ】はまだ覚えていないらしい。

望さんが影でこっそり教えているのを見かけたが、実を結ぶのは何時になることか。


 空のフワッフワの白い髪は、癖毛の気配が見える。

この髪の毛、大きなくりくりした眼は望さんに似たのだろう。

将来性を感じる我が家のお姫様は、抱き上げた膝の上でご機嫌に手を叩いている。


「で、海のことだけど」

「テンションの切り替えすごいね、陽毬ちゃん」


 椅子によじよじ、よじ登って来ようとする陸を捕らえ、望さんが膝の上に乗せた。

目の前で空がキャッキャと手を伸ばしているから、陸は机の上に体を乗り出し、その手を握り大人しくしている。

空は我が家の鎮静剤。


 話題の中心、海の姿を探す。

わたしの足元で寝ていた。なんてマイペース。その調子で大物に育つのよ。


「百科事典を買ってあげたはいいんだけど、どうしても分からないところは聞いてくるでしょ? でも、さっきも言ったけど、わたしの頭だけじゃ、もう分からないことばかりになっているの」


 どうしたらいいと思う? 問いかけに、望さんは少し考え、そして。


「……よし。お出かけしよっか、みんなで!」

「今から?!」



***


「ここは……」

「科学館だよ。身近なものから遠くの物まで、科学を知りたい子達の御用達。プラネタリウムもあるから、海が言っていた宇宙の何某も、近い答えが出てくるんじゃないかな」


 ベビーカーに空と海。大人しく乗らなかった陸と望さんが手を繋ぎ、やって来ました科学館。


「プラネタリウムかぁ……。陸、大人しくできるかな?」

「体を使って体験するアトラクションもあるみたいだから、もしよかったらプラネタリウムの間、陸はそっちに連れてくよ」

「望さん……!」


 望さんの心遣いに感激し、両手の前で手を組む。

その様子を見上げる陸は、「う?」と首を傾げた。


「海、プラネタリウム見ようね」

「ぷらねたりうむ?」

「お星様とか、いろんな映像が見られるんだよ」


 説明をする。海の目が輝き出す。

知らないことを知るのが、今のこの子にとって、とても楽しいことであるのは間違いない。


「ぷらねたりうむ! みる、はやくみたい!」


 現に、今まで見たことがないくらいにはしゃいでいる。

百科事典を買った時も、ここまで大はしゃぎなんてしていなかった。


 海を宥めながら、上映作品のタイトルと時間を見る。

宇宙の成り立ちを説明しながら、季節の空を映す作品。

大人向けの、仕事終わりの夕方頃から上映される朗読作品。

変わり種として、海の中の映像を映す作品もあって、こんな映像もあるのかと驚いた。

 プラネタリウムは空の映像しか映さないなんて先入観を、わたしはどうやら持っていたらしい。


 朗読劇の上映は時間的に無理だったが、海の強い希望により、宇宙の映像、それから海の映像の二本立てで鑑賞することを決めた。


 チケットを空と、海、それからわたしの三枚分購入する。

陸の分も、と一瞬考えたけれど、映像を見て大人しくしているよりも、動き回っている方が性に合っているらしい陸は、プラネタリウムの注意事項、静かに騒がず大人しく、を実践できないような気がして、望さんに預けることになった。

 気がかりは、海と空のふたりをこっちで預かること。二人がいないと気付いた陸は、泣いたりしないだろうか。それが心配だった。


 プラネタリウムの上映が始まるまで、まだ時間がある。

それまでの間、館内を見て回ることになったのだが。


「りく! みろ、だ! きょうりゅうのおうじゃだ!」

「うあっ!」

「そら! あれはで、そらをとぶきょうりゅうだ!」

「あおも!」


 どうやら恐竜展をイベントとしてやっていたようで、海のはしゃぎようときたら。


「男の子って、恐竜好きよね」

さがと言うべきか……。僕も何の変哲もない石を、化石だって言い張ってた時期があったよ」

「あらまぁ」


 望さんの小さい頃の話も聞けて、海の子供らしい一面も見れて。わたしはこれだけで非常に満足していた。


 陸のように、走ることがまだできない海は、わたしの抱っこ、都合によりベビーカーで移動している。

見たいものがあれば、都度床に下ろす方式を採用。


 この科学館は、子連れに優しい。

子供がジャングルジムのように昇り降りできる、上階と下階を繋ぐ遊具の隣にエレベーターが設置されている。

ベビーカーを押していても、労せず階の移動ができるようになっている。

 この遊具には陸がはしゃいでいた。

すばしっこく昇り降りするものだから、エレベーターが間に合わないこともあった。

だから、望さんが階段での駆け上がりを余儀なくされていて、「足が攣った」なんて呟いていたのは、ここだけの話。


「かあさん」


 陸のすばしっこさに、てんやわんやと振り回されている望さんが、上映の時間だからと、汗だくになりながらわたしたちを送り出して少し。


 海が、ある一点で足を止めた。


「どうしたの、海?」

「あれ、なに?」


 指さした先には、天井から吊り下げられている、大きな骨。

プラネタリウムへ向かう途中の、連絡通路からは、近くて大きく見えるそれは、シロナガスクジラの骨格標本らしい。


「しろながすくじら」

「海に泳ぐ、クジラって生き物だよ。……説明文だと、世界で最も大きな動物なんだって」

「うみ……」


 海は呆然と、その骨格標本に魅入っている。

海の目線までしゃがむと、確かにこれは大迫力。


「うみって、どういうところ?」

「この世界にある、しょっぱいお水がいっぱいの、大きくて広い場所よ」

「そこに、しろながすくじらはいるの?」

「そうだよ。海の中でも、うんっと深い場所にいるの」


 放っておけば、いつまでも魅入っていそうな海と手を繋ぐ。


「今からプラネタリウムで、海の中が映されるんだって」

「うみのなか?!」

「そうだよ。見たい?」

「みたい!」


 意識を逸らすことに成功し、ひと安心。

プラネタリウムの時間も迫っていたから、これ以上張り付かれていたら見せてあげられないところだった。


 わたしはベビーカーに海を乗せ、早足でプラネタリウム入り口まで駆けた。

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