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第8話 母、児童館へ行く 1

「はじめまして。今日初めてですかぁ?」

「あっ、はい! お世話になります!」

「いえいえ。あたし、通い始めて四ヶ月くらいだから、ちょっと先輩。何かあったら聞いてねぇ」


 児童館。

初めて入るから、どんなとこなのかまったく想像もつかなかったけれど、なんと優しそうな先輩ママさんもいらっしゃる。

そのことに少しだけ安堵して、ベビーカーから三人を降ろし、それを畳む。


「三人兄弟? めずらしー。ここで初めて見たぁ」

「あっ、えっ、み、三つ子です」

「三つ子ちゃん! 珍しすぎる! 子育て大変じゃない?」


 横から先ほどの先輩。

心臓が口からまろび出るかもしれないと錯覚する程度には驚いた。


「ごめん、ごめん。あたし、結構距離感間違えちゃうんだ。でも、自分じゃすぐには気付けないから、嫌だったら言葉にして教えてほしいな」

「わ、かりました。でも、わたしは別に嫌とかではなかったです」

「え、えぇーっ。めずらしー! ねぇねぇ、名前なんて言うの? あたし、あなたと仲良くなりたい!」


 どうやら先輩ママさんは、随分とフレンドリーな様子。

緊張が溶け切ったわたしは、自然と綻ぶ顔に名前の響きを乗せた。


「陽毬です。あそこにいる子どもたちは、立って歩いている子が陸、座って本を読み始めているのが海、腹這いで寝ているのが空です」

「陽毬ちゃん! よろしく! が入ってて親近感ー」

が入ってる?」

「あたし、真理藻まりも! 生まれたのが、マリモの原産地のホテルだったからつけられたんだけど、変な名前でしょ!」


 随分と明るく自虐する先輩ママ、真理藻さん。

無理をしているのかいないのかすら、表面上の明るさに隠されて、うまく見えない。


「わたし、好きですよ。真理藻さんのお名前」

「えっ」


 だから、正直に思うところを伝えると、彼女は心底驚いたと言いたげに目をまん丸く開く。


「さすがにリップサービス?」

「まさか! 本当に可愛い名前って思ってるんですよ?」

「本当にー?」

「もちろん! それに、先にが入ってるって言ってくれたこと。最初の話題を出してくれたことが嬉しかったんです。ここに来て、うまく馴染めるかなって不安だったので」


 真理藻さんは、しばらく呆けていると、やがて照れたように目を逸らした。


「えー。陽毬ちゃんって変わってるぅ」


 そんな事を言いながらも、逸らした横顔は嬉しそうにニヤけている。

その顔が可愛らしくて、思わず笑った。


「……あ。海に話しかけてる子がいる」


 茶髪がかったストレートの長髪が可愛らしい女の子。

誰の子だろう。

近くに保護者がいないかと周囲を見渡すけれど、近くにそれらしい人がいない。

首を傾げると、隣の真理藻さんが少し大きめの声で名前を呼んだ。


「花ちゃーん。おいでー」

「あーい!」


 花ちゃんと呼ばれたその子は、ぽててて、と拙い足取りで歩いてくる。

話しかけていた花ちゃんが立ち上がった気配を感じたのか、動きをその目で追うと、わたしの姿を確認した。


 海も、花ちゃんの後ろを追ってこちらへ歩いてくる。

 先に辿り着いた花ちゃんが、真理藻さんに抱き締められて、こちらに顔を向ける。


「じゃーん! うちのコの花ちゃんです!」

「あいっ!」

「花ちゃん、何歳になったー?」

「にっちゃい!」


 花ちゃんは指を三つ立てて、二歳と言った。

その幼児仕草に、きゅーんと胸を打たれた。


「か、かわいい……っ!」

「でしょー?」


 これは真理藻さんを親バカとは言えない。

だって本当にお世辞抜きで可愛い。

うちのコたちが世界一可愛いのは変わらないけれど、よその子も可愛い。子供は皆可愛い。真理。


「かあさん。つぎにくるとき、ぼくのほんをもってきてもいい?」

「持ってきてもいいか、後で聞いておくね。でも、どうして? 読むものがなかった?」

「ううん。あのね。さっきのこが、うみのほんをみて、いるかがかわいいっていってたから……」


 モジモジと、海の持つイルカの写真集を見せてあげたいのだと告げるその姿に、わたしは卒倒しそうになった。


「可愛さの一日の許容摂取量を超えています……!」

「わかるー」


 のほほんと同意する真理藻さんが、海と目線を合わせる。


「こんにちはぁ」

「……こんにちは。だれ?」


 海は警戒したようにわたしの背中に隠れてしまう。

その様子に苦笑を零し、背中から出るように促した。


「海。この人は花ちゃんのお母さんだよ」

「……そうなんだ」


 まだ若干の警戒は見られるものの、恐る恐るわたしの背中から離れ、姿を見せる。


「そうだよぉ。あたし、花ちゃんのお母さん。お名前なぁに?」

「……かい。うみが、すき。さっき、そこのこが、いるかすきっていったから……。こんど、いるかのしゃしんもってきて、みせてあげる」


 短く自己紹介をした海は、また背中に引っ込んでしまった。


「すごいおしゃべりが上手なんだねぇ! 今何歳?」


 感心したように声を上げる真理藻さんに、わたしはへらっと伝える。


「この間生後十ヶ月を過ぎたばかりです」

「……ん?」


 真理藻さんは首を傾げる。

理解を拒んでいるのか、その口からこぼれるのは「ちょっと待って」と制止の声。


「……えぇっと、一歳と十ヶ月?」

「ううん。0歳と十ヶ月」


 あり得ない。そう言いたげに海を見た。


「十ヶ月で、もうここまでちゃんと文章をお話できるものなの?」

「子育てが初めてだし、比較対象も見てきたことがないので断言できないですけど、成長は早い方だと思っていますよ」

「いや、これは早いどころじゃないでしょ。だって、これって……」


 わなわなと震える真理藻さん。

その口から、先ほどまでよりも大きめの声が飛び出した。


「天才ってことじゃない……!」

「ですよね……! うちのコたちって、天才なんですよ……!」


 拳を握り、真理藻さんへ熱弁する。

海は、この年で大人に通じる論理的なおしゃべりができるようになっていること、文字を読むことができ、本を読み漁っていること。

陸は、言葉は全然年相応だけれど、身体能力がずば抜けて、この年で走り回れるくらいになったこと、ボルダリングや登り棒なんかの、腕の力を使う運動が得意なこと。

空は、言葉も体の発達も、一番赤ちゃんらしいのに、人一倍空気に敏感なこと。陸と海が険悪な雰囲気で泣きそうであれば、傍に行って添い寝することで、あっという間にその空気を穏やかに変えてしまうこと、などを。

それはもう、熱を入れて語った。


「なにそのエピソード。本当に天才児ってことじゃない」

「天は二物を与えてくださったんです」

「二物?」

「見てください。幼子にして、将来性を感じる、このお顔の美人さを」


 どこからか親バカと聞こえてきそうなセリフを、わたしは自慢げに吐く。


「たしかにこれは二物だわ」

「そうでしょう、そうでしょう」

「でも、それを上回るくらいアルビノって気をつけなきゃいけないこといっぱいありそうね」


 真理藻さんの視線が、目の前の海、走り回る陸、転がっている空の順番に動く。

私もその言葉に深く同意したい。心情的には同意したいところなのだが。


「そもそもうちのコ達って、本当にアルビノなんですかね」

「んん? 見た目はどう見ても……だけど?」

「見てくれれば分かると思うんですけど、うちのコたち、特に空ですね。あの子……」


 曇り空から晴れ間が見える。

窓に射し込む日の光。

その日が掛かる床を見付けた空は。


「おお、素早い寝返り移動!」

「このコロコロ移動可愛いんですよねぇ」


 ほんわかと見守っていれば、空は日の光が射す床に到達する。


「おぁあ~」


 空は日の光を一身に浴びて、恍惚と蕩けた表情で、床に大の字で寝そべった。


「あれ、大丈夫なの? 日の光って特に気をつけなきゃいけないんじゃ?」

「空、日光浴が大好きなんです。それで、以前病院に相談に行ったんですけど……」


 担当医ののほほんとした顔を思い出す。

彼は親指を立ててあっけらかんと言っていた。


「異常なしでした。日の光による肌の過剰な炎症等も見受けられず、とりあえず日焼け止めを塗って様子を見るだけという結論に落ち着きました」

「本当にアルビノ……?」

「わたしも疑い始めてきました」

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