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第10話 母、児童館へ行く 3

「陸? 陸! 何があったの?!」

「うあ、あうあ!」

「ああ、何を言っているか分からない!」


 目の前で起こったことに理解が追いつかず、半ばパニックになりながら陸を問い詰める。

まだ言葉が発達していない陸は、スムーズに意思疎通が図れない。

だから、何が起こったかを把握するために、わたしは周囲を観察する。

 鼻血を出している子は、多分四歳くらいの男の子。

工作でもしていたのか、ハサミやノリが散乱している。

 対する陸。握り拳には血が付着し、暴れ回った痕跡か、髪はぐちゃぐちゃに乱れている。

そして足元には、何故か空が寝息を立てて転がっていた。


「なにしてくれてんのよ!! うちの子、鼻血まで出して! 頭打ってたらどうする気!? 警察呼びますからね!?」


 先程まで色彩がどうこう言っていた、圧が強めのお母さんが、般若の顔で迫ってくる。


「どんな育て方してんの!? そこに突っ立ってないで謝って! 責任取りなさいよ! 土下座して!」


 そのお母さんは、わたしが陸を守るように抱き締めている姿を見下ろし、嘲りを含む侮蔑の表情で侮辱を吐き捨ててくる。


「それにその子たち、白い髪の子も、最初から不気味だったわ。やっぱり見た目が変だと発達にも問題があるのね! あーあ! うちのコはこんな不気味な見た目じゃなくて本当によかった!」


 キイキイ、甲高い声で責め立てるそのお母さんの背後に隠れた、推定四歳くらいの男の子が、ベェっと舌を出して挑発をしてくる。


(元気そうじゃない。何。陸はそこまで言われなきゃいけないような事をしたの?)


 頭をよぎる他責思考。

あまりにも頭に痛い甲高い声で責められ続けて、目の前が歪んで霞んでくる。


 わたしにだって言い分はある。

陸は今まで暴力に訴えたことはない、穏やかな子だから、それは何か理由があったのではないか。とか。

貴方のその罵詈雑言は、正当な要求の範疇を超えて、もはや身体的な差別をしている。とか。


(さっきは数字を取れそうな見た目してるねって言っていたその口で、不気味とか言っちゃうのね)


 だとか。

頭の中で、グルグル、グルグル。


「ご、ごめ……」


 色々と考えていても、責められ続けた思考の中。口から溢れかけた謝罪の言葉。


 それは、鋭い「待った!」の声に遮られる。


 聞き馴染みのある声。

部屋の入り口から、彼女は颯爽と現れる。


「陽毬ちゃん。謝らなくていいよ。最初から最後まで、悪いのはそこの子だから」

「ま、真理藻さん……」


 見知った顔が現れたことで、安堵に泣きそうになる。

対する相手方のお母さんは、真っ赤に歪んだ怒りの表情をそのままに、罵声の対象を彼女へ変えた。


「なんですか! 部外者は引っ込んでいてくれない?! これはこの人との問題なの!」

「でも、先ほどから聞いていれば、貴方の言葉には侮辱が含まれています。差別もです」

「不気味な見た目を不気味って言って何が悪いのよ!」


 抱き寄せた陸の耳を塞ぐ。

陸はきょとんと、わたしの顔を見上げていた。


「そもそも、陸くんはこの件、悪くないと思いますよ」

「うちのコは鼻血まで出してるんですけど?!」

「あたし、最初から見てました」


 真理藻さんはじっと、ヒステリックに叫ぶお母さんを見つめる。


「陸くんは、その男の子に髪の毛を、白いほうの髪の毛を引っ張られていたんです。珍しいからなのか、ほかに理由があったのか……」


 彼女の静かな視線は、騒ぐお母さんの息を詰まらせ、黙らせる。


「陸くん、最初はじっと耐えてたんです。髪の毛を、すごく強く引っ張られて。……たぶん、何本か抜けてます。顔もしかめてたけど、泣きもせず、手も出さずにずっと我慢してた」


 わたしはその言葉にハッとして、慌てて陸の頭を観察する。

ほんの僅かだけれど、確かに一部の髪に、引き千切られたような痕跡が残っている。


「でも、その子」


 真理藻さんの視線は、鼻血を出していた男の子と、その隣にいる別の男の子の二人に向けられる。


「そちらのお子さんの、そのお隣の子が、空ちゃんを抱えて連れてきたんです。彼はハサミを持って……。空ちゃんの、髪を切ろうとしてたんです」

「いつの間に?!」


 思わず声を上げる。

だって、空たちのことはちゃんと見ていた。

危なくないように、ちゃんと。それなのに、どうして。


「そこのお母さんに、陽毬ちゃんが話しかけられていたときだね。視線をずっと離していた時に、連れ去りが重なっちゃったんだね。バッドタイミング」


 空を守るように、陸と一緒に抱え込む。


「ふぇあ……?」


 空はぼんやりと目を開けて、大きなあくびひとつ。再び眠りについてしまった。この大物感よ。


 そんな空の様子を微笑ましげに見ていた真理藻さんは、その視線をお母さんへと戻す。


「陸くんは、きっと咄嗟に止めたんだと思います。自分の時は耐えても、妹のことは……守りたかったんでしょう」


 一緒に抱き締めた空の手を、陸がきゅっと握っている。

ピスピス、寝息を立てている空へ、おあおあ何事かを、ずっと語りかけている。


「その手が、結果的に当たってしまった。それだけのことです」


 真理藻さんがそう締めくくる。

しん、と静まり返る部屋の中では、様々な空気が渦巻いているように感じる。

 その中でひと際、怒りの感情が強く現れている男の子のお母さん。


「な、そ、な、デタラメを!」

「嘘だとお思いなら、監視カメラでも一緒に見ましょうか? そこに、ほら、あるでしょう?」


 指差した方向へ視線を上げれば、確かに監視カメラ。

角度的にも、ちょうど陸のいざこざが見える位置。


 それでも甲高く何事かを言い募ろうとするお母さんに、真理藻さんは呆れた風に言う。


「そもそも、自分より小さな子を攻撃してもいい、なんて教育する方が問題ではないですか?」

「はぁ?! そんなこと教えてないわよ! それに、その子も同じくらいでしょう?!」


 陸を無遠慮に指差してくる男の子のお母さん。

反射的に陸と空を抱く腕に力が入る。


「かあさん」

「海、ごめんね、ちょっと待っててね」

「そこのおばさんさぁ」

「おばさん?!」


 青筋を立て、海の余計な一言にさらに怒りを募らせる彼女に、海は呆れた様子で一言。


「かめらみればすむことなのに、いやがるってことは、わるいことをしているってじかくがあるからじゃないの」


 子供とは思えない的確な反論に、彼女は悔しそうに口ごもる。

だが、彼女から放たれる悔し紛れの返答は、やはり侮蔑を含むもの。


「随分お口が達者な子供ね! そのくらいの歳でそんな動きしかできないのって、発達に問題があるんじゃなくて?!」


 何だか、この人に怯えていた少し前のわたしが馬鹿らしくなってきた。


(発達、発達、発達。……うるさいなぁ)


 口を開けば他者を貶める言葉しか吐かない人。そんな評価を彼女に付けたわたしは、彼女の勘違いを訂正する。


「この子たち、まだ生後十ヶ月です」

「……は?」

「一歳にもなっていません。明らかに、そちらのお子さんよりも小さい子供のカテゴリーに入るかと」


 彼女は幾度も子どもたちに視線を彷徨わせる。

特に、陸と海を見る視線は、未知のものでも見るかのような怯えが含まれている気がする。


「は、なに。十ヶ月でそこまで会話ができて? 腕力強くてって……」


 半笑いに引き攣る口元から吐き出された言葉。

今日浴びた、どんな罵詈雑言よりも醜く痛い、たった一言。


「化け物じゃないの……」

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