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第11話 母、児童館へ行く 4

 化け物。

本人もそこまで意図して発言したわけではなかったのだろう。

けれど、それはわたしを立ち上がらせるには、十分な破壊力を持っていた。


「なに、やんの?」


 いきなり立ち上がったわたしを、強気な目で見上げる彼女は、その中に怯えを隠して持っている。


「……海」

「かえる?」

「うん。帰るよ。陸と空と、お手々、繋いでいて?」

「わかった」


 持ってきた荷物を乱雑にまとめ、空、次に陸、最後に海の順番でベビーカーに乗せる。


「真理藻さん、ありがとうございます」

「ううん。大丈夫?」

「はい。戯言って思えたので、もう問題ありません」


 真理藻さんは、わたしの手を握り、心配そうに眉を下げる。


「後で連絡するからね。それと、映像を見た結果も、後で」

「お気遣いありがとうございます。ただ、真理藻さんも無理だけはしないでください」

「無理なんて! ……あたし、陽毬ちゃんが心配よ。自分の子供を化け物呼ばわり。あたしだったら正気でいられるかわかんない」


 彼女はそこにいない花ちゃんの頭を撫でる仕草をする。

そうしてそこにいないことに気がついて、気恥ずかしそうに肩を竦めた。


「花ちゃんは?」

「向こうでスタッフさんに預かってもらってる。巻き込むわけにはいかないしね」

「英断です」


 音の出ない拍手をひとつ。

心配を描く真理藻さんの瞳の中に、傷つく女の顔が映った。

 その顔のまま、騒動を収めに来ていた男性スタッフへと顔を向ける。


「すみません、スタッフの……」

「有馬です」

「有馬さん。一度帰りますね。もし、カメラを見る際、あるいはその後にわたしが直接お話することがある時には、また来ますから」


 有馬さんは戸惑ったように、胸元からメモ帳とペンを出している。


「で、では、その際のご連絡先を」

「真理藻さん……、そこの方へ後ほどメッセージアプリで送らせてもらいます。申し訳ありませんが、必要な時にはそちらから聞いていただければと」


 ベビーカーに乗せた三つ子たちの顔色をうかがう。

……そこまで大きく傷ついた顔をしていないように見える。

隠しているだけかもしれないが、ひとまず『よかった』と安堵する。


「真理藻さん、それから有馬さん。慌ただしくって申し訳ありません。ただ、今は、一刻も早くこの子たちをここから引き離したいんです」


 子供を憂うわたしの態度に、有馬さんは首を大きく縦に振る。

肯定されたと感じたわたしは、児童館を出るべく歩みを進めようとした。


「逃げんな! 化け物! 異常者! そいつらは絶対将来不幸になるんだから!」


 ぎゃあぎゃあ、まるで怪鳥のような喚き声に振り返る。

わざとらしく、思いっきり訝しみ、彼女を哀れに思う顔を貼り付けた。


「逃げませんよ? ただ、あなたの言葉が子供にとって毒なので、いっとき避難させるだけです」


 有馬さんの方へ視線を向け、その視線を再び戻す。


「現に、必要であれば呼んでくださいと、職員の方に連絡先まで預けたではないですか」

「それをアンタが守る保証がどこにあるっていうのよ!」

「子どもたちの前で、約束事に嘘を吐くなんてできません。教育に悪いじゃないですか」


 反面教師になりたいのなら別ですけど。

片眉を上げ吐き捨てる。少々の皮肉を含んだ言葉。


(いいじゃない。このくらい。子供を化け物って言われることに比べれば、かわいいものでしょ)


 わたしは今度こそ、わたしにとっての反面教師に背を向ける。


「あ、それから」


 ……と、思ったが。ああ、そうだ。彼女にもうひとつ言わなきゃ気がすまないことが。


「先ほどから聞く悪口。幼稚ですよ」


 大人気なく、苛ついていたことを自覚する。

胸に燻る怒りとも呼べない苛立ちを、言葉にして外に押し流す。


「幼稚園児でも言える悪口に励む暇があるなら、お子さんが悪さをしないようきちんと見張っていればよろしいのではないですか?」


 背中を向けたまま捻った身体の先で、視界の端に彼女の姿を僅かに映し、厭味ったらしく微笑んだ。


「では、失礼」



***


「えーん! 大人げないこと言っちゃったかな?! 望さーん!!」

「よしよし。よくその場で大暴れしなかったね。えらいよ陽毬ちゃん」


 夜、仕事から帰ってきた望さんに今日の出来事を打ち明ける。

彼はヨシヨシわたしをあやしながら、陸の離乳食を手伝っていた。


「こら、陸。食べ物で遊ばない」

「う?」


 陸は最近、あそび食べが多くなってきた。

粘土やおもちゃを扱うように、捏ねたり、掴んだり、放り投げたり。


 幸いなのは、食べ物で遊んでも、その遊んだ食べ物はちゃんと完食するというところ。

大変なのは、その食べ物を食べさせないと癇癪を起こすところ。

それがどんなにばっちくても、一度手に掴んだ食べ物は自分の物と認識しているらしい。

 だからわたしたちには、机を神経質なほどに清潔に保ったり、できるだけ床に落ちないように世話したりすることくらいしかできない。


 反対に、同年代と比べても綺麗に食べるのは空と海。

与えられたカトラリーを見事に使いこなし、多少食べ零すことはあっても陸ほど派手に汚すことはない。

 だが、基本与えられたものは何でも食べる陸、そして空とは対照的に、やや偏食気味なのが海。

大変なほどに偏食というわけではないが、どうも好みが和食寄りらしい。

人参ひとつとっても、コンソメスープは食べないのに、筑前煮なら食べる。そんな程度の偏食。

 ただし空にあーんをされた場合は洋食でも食べる。親の努力とは。


「それで、その後の話し合い、というよりも監視カメラ鑑賞会? 行ったの?」


 ご飯を食べ終わり、今日も今日とて派手に汚した陸の手足を拭きながら、望さんが聞いてくる。

わたしはため息を吐きながら答える。

その声音に疲れが滲んでいても、取り繕う気は無い。


「行ったよー。向こうの親御さんの熱烈な希望で、お巡りさんも呼んでの鑑賞会」

「それはまあ、強烈だったね」

「ちゃんと公平に見てもらえるって点では有り難かったけどね」


 わたし、向こうの親御さん、児童館の職員さん。

お巡りさんが二人、向こうの親御さんと仲良くしている人が数名、あと野次馬。

随分と大所帯で――皮肉たっぷりに感想を言うのなら、随分と賑やかな鑑賞会だった。


「結論から言えば、文字通り『子供のしたことでしょ』。お巡りさんもできるだけ民事不介入にしたいみたい」

「それはまた。ぼくは強烈度合いによっては保険の適用も考えてたんだけどね」

「それはもう、保険屋さんに連絡して対応済み。我慢した末の暴発とは言え、ケガをさせちゃったのは陸だから。その分の治療費は保険から出しているよ。……だけど」


 言葉が詰まる。あの時の喧騒を思い出すと、頭痛がしそうだった。


「相手方がどうやら、絶対に警察に捕まえてもらうって思考回路になっていたみたいで」

「あらら」

「お巡りさんも辟易としてたよ」

「だろうね」

「『もし、大人と同じように、お子さんを傷害で捕まえるというのなら、監視カメラの影像を見ても、先に手を出されていたお子さんの正当防衛が認められるでしょう』って言ってた。呆れてたよ」

「警察に捕まえてもらうって、うちのコ達をって意味?!」


 驚いたように勢いよく立ち上がった、その物音にびっくりしたのか、空がスプーンに乗せていたお味噌汁を机に零した。


 ごめん、と空に謝りながら、ゆっくりと席に着いた望さんは、なんとも言えぬ長音をその口から吐き出した。


「それは……。辟易とするだろうね」


 わたしは頷き同意する。


「相手方に……。わたしも含めてだろうけど、太めの釘を刺されたよ」

「なんて?」

「今後、この事がキッカケでもそうでなくとも、相手への執拗な迷惑行為を行う場合は、本当に警察にお世話になる可能性がありますからね。って」

「そりゃそうだ」


 ぬるくなったお茶をひと口。

それで? 望さんは問いかける。


「また行くの?」


 わたしは緩く首を振る。


「あそこにはもう行かない。件のお母さんは出禁になったみたいだけど、その人と仲のいい人はまだ通っているから」

「出禁になったんだ、その人」

「いろんなトラブルを起こしていたみたい。今回のことだけじゃなくて、積もって、その結果」


 だけど。

わたしは机に突っ伏す。


「わたしがもう少しうまく立ち回っていればなぁ!」

「無理でしょ」

「なんでぇ?!」

「陽毬ちゃん優しいもん。そういう人って、自分に言い返したり反抗したりしない人に狙いを付けるって言うから……。遅かれ早かれ、ターゲットにはされていたと思うよ」


 キッカケも、アルビノの珍しい色を話のネタにしたんでしょう?

そう聞く望さん。わたしは頷き返す。


「なら、仮に仲良くなっても、その色の関係でまたひと悶着あったと思う。数字が取れる……だった? その人が言っていたのは」

「そう! それも結構イラッてきたの!」

「それなら、あり得たかもしれない問題として、例えば無断で写真や動画を撮られて、SNSにアップロードされる……くらいはされたんじゃない?」

「え。こわ」


 こわ。

脊髄反射で言葉が口から出ていった。

望さんは笑ってた。


「そうならなくてよかったー、くらいに気楽に考えておけばいいと思うよ」

「……でも、この子たちの友達を作る機会を奪っているようにも思えて」


 近くに座る空を見る。

お腹いっぱいになって、うつらうつらと眠そうに頭を振っている。

海がそれを見て陸を呼ぶ。陸は椅子ごと倒れそうになった空を背中で受け止め、そのまま背もたれに落ち着いた。


「たくさんの友達は、児童館では作れなかったけど、それでも残ったものはあるんでしょう?」


 望さんが微笑む。

ポケットの中の携帯が鳴る。

 新着メッセージと表示されたアプリを開くと、『真理藻さん』と表示された。


【今日は色々あって大変だったね! あんまり力になれなくてごめんね。もし良かったら、今度子供たちも連れてどこかに遊びに行けたらいいな。花が、海くんにイルカの写真を見せてもらうって、ずっと言ってるの!】


「ね?」


 わたしの表情の中に何かを読み取ったのか、にこにこと笑顔の望さんに、わたしはひとつ、頷いた。

 揺れた頭から落ちた水滴は、見ないふりをして。

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