「作戦決行!」
「はいよ!」
陸の操作によって降ろされた三歩目。
次の動作が始まるまでのタイムラグ。
その間に全速力で潜り込む。
「脚立脚立!」
「立ててる立ててる!」
「よしっ! 行ってくる!」
軽業師のように軽やかに登ることができないことがもどかしい。
ベルトに通した工具箱がガチャガチャ揺れる。
あと二段。あと、一段!
「やばい陽毬! 動くぞ!」
「あと三秒待って!」
いち、に、さん!
「カナさん逃げて!」
点検用の足場にしがみつき、ぶら下がる。
浮いた脚を腹筋で持ち上げ、もう一つの足場に掛けた。
脚立が外される。
遠ざかっていく音。わたしは腹を覆う合金板の一部、小さな点検口の保護板を外すべく、電動ドライバーの電源を入れる。
(まだ仮設段階なのが救いだったわ)
外すネジの数が少なくて済む。
それに、ネジの蓋もまだされていないから、外す手間が省けていい。
ひとつ、ふたつ、外されていくネジ。
あっちとそっちに、あともうふたつ。
体を伸ばす。腕を伸ばす。
悲鳴が響いた。
「空ちゃん! 花! 何してるの!」
真理藻さんの悲鳴。
地面と平行になっている頭の頭頂部の方向。
プロトBEASTの進行方向から、それは響く。
頭を反らし、腹の向こう側の景色を視界に収める。目を見開く。
空が、大きく腕を広げて立っていた。
「りく! めっ!」
「そらちゃん、はなれよ! あぶないよ!」
陸の操るプロトBEASTの進行を遮るべく立ちはだかる空を、必死に連れ戻そうとしている花ちゃん。
しかし空は頑として動こうとしない。
「空、離れて!」
「や!」
わたしの叫びも、イヤッて首を振って拒否。
ネジはもうひとつ落とした。あとひとつ。
――機体が揺れた。
「わっ」
バランスを崩す。
支えていた腕は離れ、輪型の足場に引っ掛けていた足だけが残る。
工具が地面にばら撒かれる。
「陽毬ちゃん!!」
今、手に残っているのは、感電防止の絶縁手袋と、ネジを外していたドライバー。それからベルトに挟んだ切断用のケーブルカッターのみ。
体が揺れる。振り落とされそう。
(落ち――)
覚悟を決めて目を瞑った。その時。
「布用意できました!」
「もう少し耐えてください!」
「そっち持った? 持ったね? はいいくよ! 3、2、1!」
ばさぁっ!
大きな布が大きく広がる音。
目を開ける。
進行方向は、布に覆われて景色が見えない。
けど、機体は止まった。
「よし!」
上体を起こし、足場に再び手を掛ける。
最後のネジが、床に落ちる。
外れた板も床に落とす。
金属音が鳴る中、小さな点検口から目視で配線を確認する。
(どれ!)
コード被覆の色が全て黒で統一されているから、どこにどう伸びているのが見辛くて仕方がない。
(落ち着け、落ち着いてわたし)
図面を思い出す。
切らなくてはいけないコードは一本。
そのコードはどうやって伸びていた?
(このコードは……違う。あっちの方向から伸びて、あの部品に向かっていってるコードは……)
みつけた。
「あったぁっ!」
電線を挟む。両手で圧をかけ、そして。
「切った!」
機体の上から、電源が落ちていく音がする。
やがて、プロトBEASTは完全に停止した。
「……っはー……」
大きなため息。
上半身を空中に投げ出し、コウモリみたいにぶら下がった。
「おぉーい、無事かー?!」
走ってくる金谷さん。
彼にぶい! とブイサイン。
「元整備士の面目躍如、ってね」
立てられた脚立に手をかけて、ゆっくり片脚を下ろしていく。
「はー、よかった、本当よかった……」
脚立を降りていく自分の足が、震えていることを今更自覚する。
そんな無様を見て見ぬふりし、金谷さんが声を上げる。
「これからもう一仕事あるだろ?」
彼に頷く。
床に降り立ち、後ろ足の入り口、その鍵を開ける。
「頑張れ、母ちゃん」
背中を押される。
電源を落としてしまったために暗い入り口昇降機。
当然電動で稼働していた昇降機も動いていないから、屋根を開け、点検用のはしごを登っていく。
(到着っ、と)
最上階、操縦室。
眼の前のそこを隔てる昇降機の扉。
その向こうから、しくしくすすり泣く幼子の声。
人力で開けるには重く閉ざされたその扉を、力任せに開き切る。
中は真っ暗。電源が一切合切落ちているから仕方のないことである。
その暗闇の中、操縦席の足元に、丸っと縮こまる影がひとつ。
「ままぁ……。ままぁ……!」
すんすん鼻を鳴らすその影に駆け寄ると、その子は顔を上げた。
「ままっ!」
視界に収めた母の姿を見て、安心したように顔が綻んでいく。
それでも、安堵の涙は止めどなく顔を濡らし、その小さな手は母を求めて空を彷徨う。
叱ろうと思っていた。
会ったら、やってはいけないこと、どれだけ危なかったかを説いて、それで、めっ、て。
するつもりでいた。
「ままっ、ままぁっ!」
必死で手を伸ばし、抱っこをせがむ幼い息子。
どれだけ、大人顔負けの運動神経を持っていようが、どれだけ、病気知らずでいつまでも動いていようが。
まだ、子供なんだ。
この子はまだ、子供なんだ。
「無事で、よかった……っ!」
怪我がなくてよかった。元気でよかった。
ただ、心の底から安堵した。
「まま?」
きょとんと見上げる陸の頬。
空から雫が降っていた。