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第17話 三つ子、会社見学 6

「作戦決行!」

「はいよ!」


 陸の操作によって降ろされた三歩目。

次の動作が始まるまでのタイムラグ。

その間に全速力で潜り込む。


「脚立脚立!」

「立ててる立ててる!」

「よしっ! 行ってくる!」


 軽業師のように軽やかに登ることができないことがもどかしい。

ベルトに通した工具箱がガチャガチャ揺れる。


 あと二段。あと、一段!


「やばい陽毬! 動くぞ!」

「あと三秒待って!」


 いち、に、さん!


「カナさん逃げて!」


 点検用の足場にしがみつき、ぶら下がる。

浮いた脚を腹筋で持ち上げ、もう一つの足場に掛けた。


 脚立が外される。

遠ざかっていく音。わたしは腹を覆う合金板の一部、小さな点検口の保護板を外すべく、電動ドライバーの電源を入れる。


(まだ仮設段階なのが救いだったわ)


 外すネジの数が少なくて済む。

それに、ネジの蓋もまだされていないから、外す手間が省けていい。


 ひとつ、ふたつ、外されていくネジ。

あっちとそっちに、あともうふたつ。

体を伸ばす。腕を伸ばす。


 悲鳴が響いた。


「空ちゃん! 花! 何してるの!」


 真理藻さんの悲鳴。

地面と平行になっている頭の頭頂部の方向。

プロトBEASTの進行方向から、それは響く。

 頭を反らし、腹の向こう側の景色を視界に収める。目を見開く。


 空が、大きく腕を広げて立っていた。


「りく! めっ!」

「そらちゃん、はなれよ! あぶないよ!」


 陸の操るプロトBEASTの進行を遮るべく立ちはだかる空を、必死に連れ戻そうとしている花ちゃん。

しかし空は頑として動こうとしない。


「空、離れて!」

「や!」


 わたしの叫びも、イヤッて首を振って拒否。

ネジはもうひとつ落とした。あとひとつ。


 ――機体が揺れた。


「わっ」


 バランスを崩す。

支えていた腕は離れ、輪型の足場に引っ掛けていた足だけが残る。

 工具が地面にばら撒かれる。


「陽毬ちゃん!!」


 今、手に残っているのは、感電防止の絶縁手袋と、ネジを外していたドライバー。それからベルトに挟んだ切断用のケーブルカッターのみ。

体が揺れる。振り落とされそう。


(落ち――)


 覚悟を決めて目を瞑った。その時。


「布用意できました!」

「もう少し耐えてください!」

「そっち持った? 持ったね? はいいくよ! 3、2、1!」


 ばさぁっ!

大きな布が大きく広がる音。


 目を開ける。

進行方向は、布に覆われて景色が見えない。

けど、機体は止まった。


「よし!」


 上体を起こし、足場に再び手を掛ける。

最後のネジが、床に落ちる。


 外れた板も床に落とす。

金属音が鳴る中、小さな点検口から目視で配線を確認する。


(どれ!)


 コード被覆の色が全て黒で統一されているから、どこにどう伸びているのが見辛くて仕方がない。


(落ち着け、落ち着いてわたし)


 図面を思い出す。

切らなくてはいけないコードは一本。

そのコードはどうやって伸びていた?


(このコードは……違う。あっちの方向から伸びて、あの部品に向かっていってるコードは……)


 みつけた。


「あったぁっ!」


 電線を挟む。両手で圧をかけ、そして。


「切った!」


 機体の上から、電源が落ちていく音がする。

やがて、プロトBEASTは完全に停止した。


「……っはー……」


 大きなため息。

上半身を空中に投げ出し、コウモリみたいにぶら下がった。


「おぉーい、無事かー?!」


 走ってくる金谷さん。

彼にぶい! とブイサイン。


「元整備士の面目躍如、ってね」


 立てられた脚立に手をかけて、ゆっくり片脚を下ろしていく。


「はー、よかった、本当よかった……」


 脚立を降りていく自分の足が、震えていることを今更自覚する。

そんな無様を見て見ぬふりし、金谷さんが声を上げる。


「これからもう一仕事あるだろ?」


 彼に頷く。

床に降り立ち、後ろ足の入り口、その鍵を開ける。


「頑張れ、母ちゃん」


 背中を押される。

電源を落としてしまったために暗い入り口昇降機。

当然電動で稼働していた昇降機も動いていないから、屋根を開け、点検用のはしごを登っていく。


(到着っ、と)


 最上階、操縦室。

眼の前のそこを隔てる昇降機の扉。

その向こうから、しくしくすすり泣く幼子の声。


 人力で開けるには重く閉ざされたその扉を、力任せに開き切る。

中は真っ暗。電源が一切合切落ちているから仕方のないことである。

その暗闇の中、操縦席の足元に、丸っと縮こまる影がひとつ。


「ままぁ……。ままぁ……!」


 すんすん鼻を鳴らすその影に駆け寄ると、その子は顔を上げた。


「ままっ!」


 視界に収めた母の姿を見て、安心したように顔が綻んでいく。

それでも、安堵の涙は止めどなく顔を濡らし、その小さな手は母を求めて空を彷徨う。


 叱ろうと思っていた。

会ったら、やってはいけないこと、どれだけ危なかったかを説いて、それで、めっ、て。


 するつもりでいた。


「ままっ、ままぁっ!」


 必死で手を伸ばし、抱っこをせがむ幼い息子。

どれだけ、大人顔負けの運動神経を持っていようが、どれだけ、病気知らずでいつまでも動いていようが。

 まだ、子供なんだ。

この子はまだ、子供なんだ。


 わたしを呼ぶ陸の、その小さな身体を掻き抱き、吐き出す言葉は喉を詰まらせる。


「無事で、よかった……っ!」


 怪我がなくてよかった。元気でよかった。

ただ、心の底から安堵した。


「まま?」


 きょとんと見上げる陸の頬。

空から雫が降っていた。

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