望さんの会社から、車で大体四十分。
昼休みに行って帰って来るには少々遠いここは、あまり知られていないためか
周囲に雑多なコンクリート造りの高層建造物もない、青く澄んだ空が近くに感じられる小高い丘には、海の浅瀬や、夏の青空を思い起こさせる、小さな青い花が一面に咲いている。
「こんなところがあったんだね。すごいきれい」
「わたしたちの秘密スポットなの。子どもたちも、来るのは初めて」
望さんと付き合ってから幾度目かのデートの時、ここに連れてこられて、そして。
「ここでプロポーズされた思い出の場所でもあるんだよ」
「きゃーっ! ロマンチック!」
両手で頬を覆い、キャッキャとはしゃぐ真理藻さんはまるで乙女。
見上げる望さんの頬は染まり、照れたようにかいている。
「まま、ここ、すき?」
そんな惚気を話していれば、傍に手を繋いで立っている空が、そんなことを聞いてくる。
「大好きよ。空たちと一緒だから、もぉっと大好き!」
「えへぇ、そらも! そらもここ、すき!」
空も好きだと告げると、嬉しそうに破顔し、ぎゅぅと抱きついてくる。可愛い。
「そらー! あそぼ!」
「そらちゃん、こっちおいでー!」
「まってぇ!」
「空、ころぶなよー」
子どもたちが遠くに駆けていく。
目の届く範囲で追いかけっこを始めた彼らを見ながら、わたしたち大人組は大きなレジャーシートを広げる。
真理藻さんが持ってきた大きなバスケットと、わたしが持参した重箱弁当。
それから、子どもたちの水筒と、その他に大きめのウォータージャグをその上に広げ、長閑に子どもたちのはしゃぐ様を眺めていた。
「もう、あんな危ないことはしないでね」
「反省してる? あたし、陽毬ちゃんがいなくなるかもってすっごい怖かったんだよ?」
「ほんとごめん。反省してます」
工場での一騒動を終えたあと。
わたしたちは当初の予定通り、ピクニックへ繰り出していた。
仕事で忙しい望さんとも少しでも長くいられるように考えたプラン。
ここなら、緊急で呼び出されたとしても、多少待ってもらうことになるが一時間掛からずに戻ることができる。
「本当は、呼び出しがなければ一番いいんだけど」とは本人の談。
「後は子どもたちがはしゃぎ回って、お腹が空いた頃にお昼ご飯だね」
ひと通り広げ終わって、靴を脱ぎのんびりくつろぐ大人組。
子供特有の甲高い笑い声が、丘に響き渡っている。
鬼ごっこでもしていたのか、走り回っていた四人。
いつの間にか遊びのグループは、男女で分かれていた。
「空たちは何してるんだろ」
「花冠でも作っているみたいですねぇ。あたしもよくやってたなあ」
「陸と海のあれは……チャンバラ?」
「あれは日曜早朝6時から放送している、戦隊ヒーロー、ネムレンジャーの真似だね」
「ねむれ……なに?」
「ネムレンジャー。朝スッキリ起きれない人たちをモチーフに、夜中に誘惑をしてくるヴィラングループを成敗していく戦隊モノだって」
「今って何でもやるなぁ……」
感心半分呆れ半分。
ぼやく呟きに、わたしは笑った。
「子どもたちに受けるものって、大人じゃ中々分からないよね」
和気藹々と話し、喉が渇けばウォータージャグからお茶を注いで飲み……。
時間はどれくらい経ったのか。
ネムレンジャーごっこをしていた陸と海が、こちらへ駆け寄ってくる。
「おかえりー」
「ただいま。母さん、おなかすいた」
「おなかぐーぐー」
お腹を小さくきゅるきゅる鳴らしながら、眉を下げて見上げてくる、左右対称の小さな子どもたち。
転げ回って草が付いた、陸の白髪右半分。
土が付いた海のその目元。左半分青色のオッドアイ。
よく似たふたりの汚した部位を軽く撫で払い、レジャーシートへ招く。
「パパにお手々キレイキレイしてもらってね」
「はーい」
脱ぎ散らかした靴を揃え、並べる。
その隣の自分の靴に片足を突っ込む。
「ちょっと、ふたりを呼んでくるね」
「行ってらっしゃい。ほーら陸、お手々出しなさい」
「海くんはこっちでお手々きれいにしようね」
和やかな話し声を背に、夢中になって何かを作っている女の子たちのもとへ向かう。
「ご飯食べよう」。そう声を掛けるつもりだった身体は、ふと、その動きを止めた。
「そらちゃんは、なんで白色の髪なの?」
そんな話題が聞こえたから。
空ははてなと首をかしげる。
「はなちゃん、そらのかみ、きらい?」
「ううん。すっごくきれいな色。目の色もおそらの色できれい。そらちゃんの色は大好き。だけど、そらちゃんみたいな髪の人、いないもん。なんで?」
んー、と悩む空。
わたしはハラハラしてその様子を見守っているしかできない。
「あのね、そらね、かみさまにゆわれたの」
空が語り始める。
作業をする手元は止まらず、口が動く。
「ままのおなかには、ふたりのあかちゃんがいるけど、ふたりはさいしょ、ぜんぶそらのおいろだったの」
「うんうん」
「それでね、ふたりがそらのおいろをぜんぶだと、ずーっとこんこんするし、おひさまもいたいいたいだし、げんきになれない。それはかわいそうってゆわれたの」
空は空を見上げた。
「だから、そらがげんきになれるおいろで、ままのおなかにいって、ふたりにおいろをはんぶんこしてねって、ゆわれたの」
荒唐無稽な子供の話。
だけど、そう一笑に付す事が出来ないのは。
空の語る荒唐無稽な話しに、真に迫るものを感じたから。
「だけどはんぶんこしたらそら、いなくなっちゃうから、ふたりのそらのおいろを、はんぶんずつもらってねって。それでそらができたの」
「それじゃあ、そらちゃんは元気じゃないの? 陸くんと海くんの、元気じゃないお色でできているんでしょう?」
「そら、ふたりのおいろをもらっても、げんきでいられるこだから、かみさまがそらをえらんだの」
空はにっこり花ちゃんへ笑みを向ける。
「だから、そらはそらのいろ。りくは、おはしをもつほうがそらのいろで、かいは、おはしとぎゃくのほうがそらのいろ。そらたちは、みんなでそらなの」
語り話に呆気にとられていれば、できたー! と伸びをするように完成品が掲げられる。
「そらちゃんすごーい! 花かんむりだ!」
「これね、はなちゃんにあげる!」
青色の花が連なってできた花冠が、花ちゃんの頭の上に乗せられる。
「いいの?」
「うん! そら、はなちゃんのこと、すき!」
「わたしも、そらちゃんのこと大好きー!」
キャッキャと手を取り合う仲睦まじさを見せるふたりが、背後に立つわたしの存在に気が付いた。
「あっ、まま!」
わたしは、この場でさっきの話を深く考えることを控える。
今は、ピクニックをただ楽しもう。と。
「ご飯食べよう」
「わーい!」
「今日、お母さんサンドイッチ作ってくれたんです! オススメはスモークサーモンのやつ!」
「それは美味しそう! 楽しみね」
左右に子どもたちと手を結び、みんなの待つレジャーシートへと歩みを進めた。
***
「……空、そんなことを言っていたんだ」
帰り道、後部座席で眠る三人をミラー越しに見ながら、望さんが興味深そうに呟く。
「子どもの話って不思議だよね。わたしたちの知らない世界のことをよく知ってるの」
窓の外を眺める。
夕日に照らされていた街に、夜の帳が降り始める。
「……もし、その話が本当なら」
「……うん」
「ぼくたちの子は、みんな健康で生まれるために、三人になってくれたんだよね」
背後を覗く望さんの横顔は、慈愛の言葉がぴったりで。
「嬉しいことだよ。子どもたちが元気で生きてくれる、それ以上の喜びはない」
彼の言葉に深く同意する。
「この子たちは、どういう成長を遂げてくれるんだろうね」
夢想する。
三人が大人になった時の姿を。
「陸は、今でさえびっくりする運動神経を持っているから、オリンピックでメダルを取るかもしれないね」
「海、イルカとかクジラとか、海の生き物に興味を持っていたから、海洋生物の研究者とか?」
「空は可愛い。これは絶対に芸能界からのスカウトが来るね」
二人で語る未来予想図。
それは暖かな温度を持った未来の話。
望さんがぽつりと、夕闇に呟きを零す。
「みんながもう少し大きくなったら、海に行ってみようか」
「海に?」
「シュノーケリングで海の中を覗くのは、海が喜びそうだ」
「陸は……サーフィンとか興味あるかな」
「海のきれいな所に行こう。そうすればシーグラスとか、面白い形の貝殻とかも転がっているだろうから、空も探索で思いっきり楽しめると思うよ」
もう少し大きくなった時。
その時にはランドセルとか背負っている頃だろうか。
「……それ、すごくいいね」
絶対行こうと約束した。
その約束は、ついに果たされることはなかった。