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序章 青い花の咲く丘で 三つ子、小学生編

第21話 入学式 1

 望さんを喪ったあの日から、わたしは身体の見えないところに、大きな穴を抱えて生きている。

 大きな穴は、成長するにつれて手がかかるようになってきた三つ子の世話で無理やり埋めて、わざとらしい充実感で、そのぽっかり空いた虚ろさから目を逸らし続けていた。

 忙しさという日々で埋まっているように感じても、実際は変わらず大きな穴のままであることは、わたしが一番よく分かっている。

 分かっているけれど、今日は陸の癇癪に手がかかった。今日は空のお絵かきに付き合った。今日は海の欲しい本を買いにお出かけした。今日は、今日は、今日は。


 そうして目を逸らし続けたまま、両手が日常で埋まり手一杯になってしまい、空虚に目を向けることもできなくなって、わたしはわたしを大事にする感覚をどこかに置いてきてしまった。


 時間の感覚もわからなくなって、だけど散歩のときに桜が咲いていたら、一年が経ったと自覚する、そんな日々を過ごして、望さんがいなくなった日から、大体二回の春が過ぎた。


「ママ! ランドセル、似合う?」

「似合ってる! 今日から小学生さんだね」


 朝起きて、子供たちの朝ご飯を作っていると、一番に部屋から出てきたのは空。

パジャマのまま、義父母に買ってもらった水色のランドセルを、自慢げに見せつけてくる。


「ほら、空。着替えておいで。あ、あと、陸は起きているだろうから、一緒に海も起こしてきて」

「はぁい」


 嬉しそうな足取りで部屋へ戻っていく空。

今、子供たちは一部屋に固まって寝起きしている。

もう少し大きくなったら、空いている部屋を掃除して、それぞれに一部屋ずつ与えた方がいいかしら。

そんなことを考えていると、少し焦げ臭いにおいがした。


「あ、ウインナー焦げた」


 焦げたウインナーを自分の皿にポイポイ。

子どもたち用に、新しく焼き始める。


 そうしてパンの焼ける匂いも漂ってくる頃、しゃっきり目が覚めているけどパジャマのままの陸と、着替えてはいるものの、ぐちゃぐちゃの身だしなみのまま、寝ぼけ眼でのたのた歩く海を、空が引っ張ってきた。


「ママ! ごはんなーに?」

「目玉焼きとパンよ。海にはご飯」

「やったぁ! あ、ねぇねぇ、ママ!」


 両手を二人からパッと離し、両腕を上げて駆け寄ってくる空が、下から上目遣いに覗き込んでくる。


「今日、入学式だね!」

「そうだね」

「空たち、小学生さんだよ!」

「そうね、一週間前からも言っているわよ」

「ねぇねぇ、ママ!」

「はいはい、なぁに?」

「うれしい?」


 空の問いかけに、一瞬の間が空く。

一年前くらいからだろうか。空が、何かを窺うように、度々わたしに問いかけてくるようになったのは。


「……ええ、もちろん。嬉しいわよ。どうして?」

「……んーん、なんでもない」


 空は二人の元へ帰る。

床に座り込んで再び眠り始めた海を叩いて起こしている。


 子供の挙動は摩訶不思議である。

なぜ空がそんなことを問いかけるのか、考えようともしないで、わたしは朝食を机に並べた。


「はい、ほら、海、起きて! ご飯食べて! もうちょっとでおばあちゃんたち来るよ!」


 むにゃむにゃ寝言のようなおしゃべりをする海を抱え、椅子に座らせる。

空と陸は既に座っており、空はお行儀よく待機しているのに対し、陸は早速食べ始めている。


「りーくー? いただきます、した?」

「あっ」


 思い出したようにハッとした陸は、既に半分以上食べ進めていたパンを皿に置いて手を合わせる。


「いただきます!」

「はい、どうぞ。空もいただきますして食べちゃって。こら、海、おーきーてー」


 慌ただしく支度をしていると、鳴り響くチャイムの音。


「鍵開いてます!」


 モニター越しに、義父母の到着を確認。

オートロックを解除して、音声を通して伝える。

少しして、彼らが部屋に入ってきた。


「お! きれいな着せてもらってるな!」


 義父の第一声。

空が自慢するように、くるっとターンを決めてみせた。


「陽毬ちゃん、子供たちは見ておくから、陽毬ちゃんも支度してきて」

「ありがとうございます!」


 バタバタ足音を鳴らし、自室のクローゼットを開く。

今日のために用意していた、ベージュのスーツがそこに吊り下がっている。


 急げ急げとブラウス、ズボン、それからジャケットを羽織り、鏡と向き合う。

しばらくしていなかった化粧を、感覚を思い出しながら顔に施し、簡単に髪の毛をひとつに纏めた。


「お待たせしました!」

「そのスーツ、よく似合ってるわ」

「ありがとうございます」


 ランドセル自慢大会を開いていた子供たちから視線を上げて、お義母さんが微笑む。

なんだか久し振りに、まともにお義母さんの顔を見れた気がする。そんな不思議な感覚に陥った。


「陽毬ちゃんのご両親は」

「道が少し渋滞しているみたいで。小学校で合流します」

「そうなの。なら、いつ出てもいいのね」

「はい。……あ、みんなー、ハンカチは持った?」


 出かける直前、最後の忘れ物チェックを行い、問題ないことを確認した。

 戸締まりをし、ガスなどの確認もし、指さし確認いち、に、さん。


「よし、問題ありません。行きましょう」


 家の鍵をかける。

駐車場に停まっている義父の車。

いつか孫と遠出のお出かけをしたいからと、最近購入した六人乗りの大きな車に乗り込み、シートベルトを締めた。

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