「ああ、よかった、間に合った!」
駐車場寄りの入り口で、写真撮影の列に並んでいると、父母が息を切らせて走ってきた。
「渋滞お疲れ様。まだ、入学式まで時間あるから、先に写真撮るよ」
「間に合ってよかったぁ。……でも、入学式の後でもいいんじゃないの?」
もしかしたら間に合わなかったかもしれないじゃない、なんて文句混じりに聞いてくる母。
わたしは緩く首を振る。
「入学式の後に疲れたってぐずったら、たぶん写真どころじゃないでしょ?」
あ。と言いそうに口を開ける母。
「そっか、そうよね。普段と違うことするんだから、疲れて当たり前よね」
「そうそう」
カメラの調子を見る。
一眼レフほど立派なものではないけれど、ミラーレスの中でもそれなりにいいものが、家から発掘された。
(……望さん)
何年越しに発掘されたこのカメラは、埃被った状態で発見された。
このカメラは、望さんが買っていたもの。
残っていたデータは、子どもたちの写真ばかり。
(……もっと、子どもたちの成長を、一緒に……)
子どもたちの成長を?
はた、と動きが止まる。
わたし、わたし……。
(わたし、いつから子どもたちのことを、ちゃんと見れていなかった?)
毎日忙しかった。
毎日手を焼いていた。
毎日必死だった。
毎日、毎日、毎日……。
(子どもたちが成長しているなんて、感じていなかった)
いつから?
(わたし……ずっと、止まっていたんだ)
気付いた。気付いてしまった。
わたしはあの日から、時間が止まっていたんだと。
「ママ!」
「かあさん」
「こっちー!」
大きく小さな手を振る三人は、いつの間にかしっかり地面を踏んで歩いていた。
いつの間にか、ちゃんとお話ができるようになっていた。
いつの間にか、ちゃんと意思表示をするようになって、いつの間にか。
(大きく、なったなぁ)
眩しい。
目を細めると、焦点がうまく合わなくなった。
「陽毬。ハンカチ使って」
母から手渡されるハンカチ。
どうして? 問いかけようとすると、三人が慌てたように足元まで駆けてきた。
「ママ、どうしたの?」
「どこか痛いの? かあさん、休む?」
心配そうに見上げてくる三人の輪郭が、どういうわけかぼやけてる。
なんでだろう。どうしてだろう。
「ママ、泣いてる」
陸の言葉に、ふと気付く。
わたし、泣いてる。
「ううん、なんでもない、なんでもないの」
子どもたちに心配を掛けてしまっていたことが。
彼らの成長を実感することなく、ぼんやり過ごしていた日々を。
子どもたちの成長を、一番一緒に感じていたかった人が、もうどこにもいないことを。
(悔しいなぁ)
悔しいな、悔しいなぁって、言葉に出せずに涙は零れる。
もう時間なんて巻き戻せない。
そんな事知っている。違う。知っている気になっていた。
今日まで、もしもしもしもを繰り返し夢想して、夢にまで見て、現実を意識の端からぼんやり逃がし続けていて。
一番向き合わなくてはいけない大変さと、向き合った先で得られる喜びを逃し続けていたこの数年を悔やみ、もう二度と逃すまいと、わたしは三人を抱きしめた。
「なんでもないの。大きく、なったなぁって。嬉しくなっただけなの」
ぎゅうぎゅう抱きしめている密集地帯から、ぷはっと顔を上げた空。
不思議そうな表情をして、首を傾げた。
「ママ、変なの。空たち、おっきくなったんだよ?」
「そう。そうね。大きくなったんだもんね」
止めどなく溢れる涙で、視界がずっと歪んでいる。
目の前いっぱいに、空の色が映っていた。
「あ、いたいたー! おーい、陽毬ちゃーん!」
遠くから、友人の声。
近寄ってきた彼女はギョッとする。
「どどど、どうしたの?! まだ入学式始まってもないんだよ?!」
「あ……、真理藻さん……」
泣いてしゃがみ込むわたしを、只事ではないと思ったのか右往左往と慌てふためく彼女。
「お母さん落ち着いて」
そんな真理藻さんの背中を軽く叩くのは、彼女の娘さんである花ちゃん。
花ちゃんはにっこり笑い、空と海の手を取り、陸をその身体で押し出し前進した。
立ち止まるのは、入学式と書かれた看板前。
にっこり笑ったままの花ちゃんは、私に向かって手を振った。
「写真! 撮ってください!」
ほぼ反射だった。
言われるがままに構えたカメラのシャッターは、いつの間にか押されていた。
「ありがとうございます! じゃっ! みんな、行こ!」
三人を連れて駆けていく花ちゃん。
向かう先にはこれから三人が通う校舎が見えている。
「真理藻さん、今日花ちゃん、休みじゃ?」
「有志で入学式の運営手伝いがあったの。花は下級生の誘導係。あたしはー、まあ、色々時と場合によって。言っちゃえばボランティアよ」
四人が去っていった方向を見ながら、親の顔をして真理藻さんは笑う。
「陽毬ちゃん」
彼女は優しく細めた目で、祝福を口にする。
「入学、おめでとう」
ありがとう。そう口にする前に、立ち止まっていた校庭に、案内放送が鳴り響く。
『新一年生の保護者の方は、体育館まで移動してください。繰り返します。新一年生の保護者の方は――』
「……だって。行こっか」
肩を竦めて真理藻さんは歩き出す。
その後ろをふと、立ち止まる。
立ち止まり、確認できていなかった、カメラの写真データを覗く。
「……あは。いい笑顔」
いつの間にか、こんな風に笑うようになっていたんだ。って。
(決めた)
わたしはもう、過去に立ち止まらない。
わたしは、