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第22話 入学式 2

「ああ、よかった、間に合った!」


 駐車場寄りの入り口で、写真撮影の列に並んでいると、父母が息を切らせて走ってきた。


「渋滞お疲れ様。まだ、入学式まで時間あるから、先に写真撮るよ」

「間に合ってよかったぁ。……でも、入学式の後でもいいんじゃないの?」


 もしかしたら間に合わなかったかもしれないじゃない、なんて文句混じりに聞いてくる母。

わたしは緩く首を振る。


「入学式の後に疲れたってぐずったら、たぶん写真どころじゃないでしょ?」


 あ。と言いそうに口を開ける母。


「そっか、そうよね。普段と違うことするんだから、疲れて当たり前よね」

「そうそう」


 カメラの調子を見る。

一眼レフほど立派なものではないけれど、ミラーレスの中でもそれなりにいいものが、家から発掘された。


(……望さん)


 何年越しに発掘されたこのカメラは、埃被った状態で発見された。

このカメラは、望さんが買っていたもの。

残っていたデータは、子どもたちの写真ばかり。


(……もっと、子どもたちの成長を、一緒に……)


 子どもたちの成長を?


 はた、と動きが止まる。

わたし、わたし……。


(わたし、いつから子どもたちのことを、ちゃんと見れていなかった?)


 毎日忙しかった。

毎日手を焼いていた。

毎日必死だった。

毎日、毎日、毎日……。


(子どもたちが成長しているなんて、感じていなかった)


 いつから?


(わたし……ずっと、止まっていたんだ)


 気付いた。気付いてしまった。

わたしはあの日から、時間が止まっていたんだと。


「ママ!」

「かあさん」

「こっちー!」


 大きく小さな手を振る三人は、いつの間にかしっかり地面を踏んで歩いていた。

いつの間にか、ちゃんとお話ができるようになっていた。

いつの間にか、ちゃんと意思表示をするようになって、いつの間にか。


(大きく、なったなぁ)


 眩しい。

目を細めると、焦点がうまく合わなくなった。


「陽毬。ハンカチ使って」


 母から手渡されるハンカチ。

どうして? 問いかけようとすると、三人が慌てたように足元まで駆けてきた。


「ママ、どうしたの?」

「どこか痛いの? かあさん、休む?」


 心配そうに見上げてくる三人の輪郭が、どういうわけかぼやけてる。

なんでだろう。どうしてだろう。


「ママ、泣いてる」


 陸の言葉に、ふと気付く。

わたし、泣いてる。


「ううん、なんでもない、なんでもないの」


 子どもたちに心配を掛けてしまっていたことが。

彼らの成長を実感することなく、ぼんやり過ごしていた日々を。

子どもたちの成長を、一番一緒に感じていたかった人が、もうどこにもいないことを。


(悔しいなぁ)


 悔しいな、悔しいなぁって、言葉に出せずに涙は零れる。


 もう時間なんて巻き戻せない。

そんな事知っている。違う。知っている気になっていた。


 今日まで、もしもしもしもを繰り返し夢想して、夢にまで見て、現実を意識の端からぼんやり逃がし続けていて。

一番向き合わなくてはいけない大変さと、向き合った先で得られる喜びを逃し続けていたこの数年を悔やみ、もう二度と逃すまいと、わたしは三人を抱きしめた。


「なんでもないの。大きく、なったなぁって。嬉しくなっただけなの」


 ぎゅうぎゅう抱きしめている密集地帯から、ぷはっと顔を上げた空。

不思議そうな表情をして、首を傾げた。


「ママ、変なの。空たち、おっきくなったんだよ?」

「そう。そうね。大きくなったんだもんね」


 止めどなく溢れる涙で、視界がずっと歪んでいる。

目の前いっぱいに、空の色が映っていた。


「あ、いたいたー! おーい、陽毬ちゃーん!」


 遠くから、友人の声。

近寄ってきた彼女はギョッとする。


「どどど、どうしたの?! まだ入学式始まってもないんだよ?!」

「あ……、真理藻さん……」


 泣いてしゃがみ込むわたしを、只事ではないと思ったのか右往左往と慌てふためく彼女。


「お母さん落ち着いて」


 そんな真理藻さんの背中を軽く叩くのは、彼女の娘さんである花ちゃん。

花ちゃんはにっこり笑い、空と海の手を取り、陸をその身体で押し出し前進した。


 立ち止まるのは、入学式と書かれた看板前。

にっこり笑ったままの花ちゃんは、私に向かって手を振った。


「写真! 撮ってください!」


 ほぼ反射だった。

言われるがままに構えたカメラのシャッターは、いつの間にか押されていた。


「ありがとうございます! じゃっ! みんな、行こ!」


 三人を連れて駆けていく花ちゃん。

向かう先にはこれから三人が通う校舎が見えている。


「真理藻さん、今日花ちゃん、休みじゃ?」

「有志で入学式の運営手伝いがあったの。花は下級生の誘導係。あたしはー、まあ、色々時と場合によって。言っちゃえばボランティアよ」


 四人が去っていった方向を見ながら、親の顔をして真理藻さんは笑う。


「陽毬ちゃん」


 彼女は優しく細めた目で、祝福を口にする。


「入学、おめでとう」


 ありがとう。そう口にする前に、立ち止まっていた校庭に、案内放送が鳴り響く。


『新一年生の保護者の方は、体育館まで移動してください。繰り返します。新一年生の保護者の方は――』


「……だって。行こっか」


 肩を竦めて真理藻さんは歩き出す。

その後ろをふと、立ち止まる。

立ち止まり、確認できていなかった、カメラの写真データを覗く。


「……あは。いい笑顔」


 いつの間にか、こんな風に笑うようになっていたんだ。って。


(決めた)


 わたしはもう、過去に立ち止まらない。

 わたしは、現在いまを生きていく。

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