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第23話 母、呼び出し

 その日、わたしは小学校に呼び出された。


「すみません、天嶺です! 海は」

「海くんのお母さんですね。お待ちしておりました。こちらです」


 待ち構えていた教師も少し厳しい表情を帯びている。

思わず雰囲気に呑まれそうになり、ツバを呑み込む。


「海くん、お母さん来たよ」

「……かあさん」


 教育指導室。

そう書かれた部屋に隔離されていた海の姿は、息を呑むほどにボロボロだった。


「見た感じ、骨などは折れていないようですが。念の為病院に行っていただいて」

「もちろんです。それで、何があったんですか」


 顔にも腕にも足にも打撲痕。

ぱっと見で目立つ傷は、擦り傷からの流血だろうか。

 こんな有り様になった経緯を問うも、教師は首を振るばかり。


「何も。本人も言いたくないのか、ずっと黙秘したままで」

「海」


 問うも、海は無表情のまま、首を振った。


「階段から落ちただけだよ。先生もかあさんも、大げさすぎ」

「もー、この子は嘘が下手!」


 思わず天井を仰ぎ叫ぶと、海はビクッと肩を大きく揺らした。


「わかった! 言いたくないなら、言わなくってもいいよ。その代わり、今日は病院の後にワガママを言って」

「ワガママ?」

「そう。海の食べたいものとか行きたいところとか……。叶えられるものなら叶えてあげるから」


 わたしは教師に振り返る。


「お手数おかけして申し訳ありませんが、天嶺陸と天嶺空を呼んでもらってもいいでしょうか」


 了承を返した彼は、足早に教室を出る。

残されたのはわたしと。


「かあさん、こんなことで来てもらってごめん」


 申し訳なさそうに、こちらを窺う海のふたり。

わたしはしゃがみ、海と目線を合わせる。


「海、いい? お母さんは、海がケガをしたって聞いて、お財布を忘れて飛び出してきてしまうほど、海のことが大切です」

「……おさいふ忘れたの?」

「忘れたの。靴を履くのも忘れそうになるくらいには慌てていたわ」

「なにそれ」


 少し可笑しそうに、海が小さく吹き出す。


「海。海も、陸も空も。三人はお母さんの大切な宝物よ。だからね、海の心配事も、嬉しかったことも悲しかったことも、お母さんは全部大切なの。面倒だなんて思うことは、これっぽっちも無いんだから」


 そう言って海を抱擁する。

海はくすぐったそうに身を捩り、くふくふ笑っていた。


「ママ! 海は!」


 そうしていると、やがて扉が勢いよく開かれる。

真っ先に入ってきたのは教師の彼ではなく、空だった。


「海! なにがあった?」


 続けて入ってきた陸が海の惨状を見て、ムッと口をへの字に曲げている。

空は大慌てで、かわいい柄の絆創膏をペタペタ貼っている。


「階段から落ちただけだって」


 海はそんな二人の様子を呆れながら、しかしどこか嬉しそうに眺めていた。


「ママ、空たちはどうして呼んだの?」


 絆創膏をたくさん貼って満足したのか、空がようやくなぜと問う。


「今から病院に連れて行くから、海はおうちに帰るんだけど、二人はどうする? もしも一緒に帰りたいなら早退届を出すよ」


 空と陸の二人は顔を見合わせる。

そして二人揃って視線を向けるのは海の方。


「海は病院の後、ずっとおうち?」


 空の問いかけに首を振る。


「海が食べたいものを食べに行ったり、行きたいところに行ったりするよ。海のリクエストを今日は優先するけど、もちろん二人も一緒に行こう」


 もう一度、二人は顔を見合わせた。

次にこちらへ向けられた顔は、にんまりと何かを企んでいるような笑みだった。


「ううん。おれたちは学校にいる」

「海はずっとおりこうさんだったから、今日は海のおねがい、いっぱい聞いて!」


 ふたりは遠慮とも違う優しさで、海に譲った。

確かに思い返せば、海は子供にしては聞き分けが良すぎて利口なため、つい手のかかる二人を優先してしまっていた。

 それに気が付かせてくれた空の言葉。

親としての不甲斐なさをここでも感じ、尚且つ海に譲った二人の成長に涙が出てきそう。


「優しい子になって……!」

「それに空たち、まだやりのこしたことがあるから。ね、陸」

「ん!」


 どどーん。胸を張って自信満々に告げる二人を見る海の目は、呆れだけになっていた。


「それじゃあ、先生。海だけ失礼します」

「はい。こちらも目撃証言などないか当たってみます」

「ありがとうございます。陸、空、またあとでね」


 二人に手を振ると、大きくぶんぶん振り返してくれる。

そして揃ったサムズアップをする先は、海。


「……やりすぎるなよ」


 呆れたまま、小さく手を振る海。

それはどこか心配そうな響きも伴っている。

わたしは海が何を心配しているのか分からず、問いたくなった。

だけど。


「まかせろ!」


 男前ににっこり笑う空を見て、海の表情がうっすら綻ぶ様子を見たら、何も言えなくなった。


「ママ、今日の夕ごはん、ハンバーグがいい!」

「えっ! じゃあ、空、パンも食べたい! まるいパン!」


 無邪気な陸のリクエスト。

それに同調する空に、わたしはもちろんイエスと返す。


「おいしいの作って待ってるから、学校頑張ってね」


 やったあと喜ぶ二人の笑みを背に、海と手をつないで校舎から出ていく。

駐車場までやって来て、海はぽつりと遠慮がちにリクエストをしてくる。


「母さん」

「どうしたの? 海」

「夕飯、ご飯も用意してほしい……」


 パンがあまり好きではない海の、かわいらしい要望に、わたしは思い切り破顔した。

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