その日、わたしは小学校に呼び出された。
「すみません、天嶺です! 海は」
「海くんのお母さんですね。お待ちしておりました。こちらです」
待ち構えていた教師も少し厳しい表情を帯びている。
思わず雰囲気に呑まれそうになり、ツバを呑み込む。
「海くん、お母さん来たよ」
「……かあさん」
教育指導室。
そう書かれた部屋に隔離されていた海の姿は、息を呑むほどにボロボロだった。
「見た感じ、骨などは折れていないようですが。念の為病院に行っていただいて」
「もちろんです。それで、何があったんですか」
顔にも腕にも足にも打撲痕。
ぱっと見で目立つ傷は、擦り傷からの流血だろうか。
こんな有り様になった経緯を問うも、教師は首を振るばかり。
「何も。本人も言いたくないのか、ずっと黙秘したままで」
「海」
問うも、海は無表情のまま、首を振った。
「階段から落ちただけだよ。先生もかあさんも、大げさすぎ」
「もー、この子は嘘が下手!」
思わず天井を仰ぎ叫ぶと、海はビクッと肩を大きく揺らした。
「わかった! 言いたくないなら、言わなくってもいいよ。その代わり、今日は病院の後にワガママを言って」
「ワガママ?」
「そう。海の食べたいものとか行きたいところとか……。叶えられるものなら叶えてあげるから」
わたしは教師に振り返る。
「お手数おかけして申し訳ありませんが、天嶺陸と天嶺空を呼んでもらってもいいでしょうか」
了承を返した彼は、足早に教室を出る。
残されたのはわたしと。
「かあさん、こんなことで来てもらってごめん」
申し訳なさそうに、こちらを窺う海のふたり。
わたしはしゃがみ、海と目線を合わせる。
「海、いい? お母さんは、海がケガをしたって聞いて、お財布を忘れて飛び出してきてしまうほど、海のことが大切です」
「……おさいふ忘れたの?」
「忘れたの。靴を履くのも忘れそうになるくらいには慌てていたわ」
「なにそれ」
少し可笑しそうに、海が小さく吹き出す。
「海。海も、陸も空も。三人はお母さんの大切な宝物よ。だからね、海の心配事も、嬉しかったことも悲しかったことも、お母さんは全部大切なの。面倒だなんて思うことは、これっぽっちも無いんだから」
そう言って海を抱擁する。
海はくすぐったそうに身を捩り、くふくふ笑っていた。
「ママ! 海は!」
そうしていると、やがて扉が勢いよく開かれる。
真っ先に入ってきたのは教師の彼ではなく、空だった。
「海! なにがあった?」
続けて入ってきた陸が海の惨状を見て、ムッと口をへの字に曲げている。
空は大慌てで、かわいい柄の絆創膏をペタペタ貼っている。
「階段から落ちただけだって」
海はそんな二人の様子を呆れながら、しかしどこか嬉しそうに眺めていた。
「ママ、空たちはどうして呼んだの?」
絆創膏をたくさん貼って満足したのか、空がようやくなぜと問う。
「今から病院に連れて行くから、海はおうちに帰るんだけど、二人はどうする? もしも一緒に帰りたいなら早退届を出すよ」
空と陸の二人は顔を見合わせる。
そして二人揃って視線を向けるのは海の方。
「海は病院の後、ずっとおうち?」
空の問いかけに首を振る。
「海が食べたいものを食べに行ったり、行きたいところに行ったりするよ。海のリクエストを今日は優先するけど、もちろん二人も一緒に行こう」
もう一度、二人は顔を見合わせた。
次にこちらへ向けられた顔は、にんまりと何かを企んでいるような笑みだった。
「ううん。おれたちは学校にいる」
「海はずっとおりこうさんだったから、今日は海のおねがい、いっぱい聞いて!」
ふたりは遠慮とも違う優しさで、海に譲った。
確かに思い返せば、海は子供にしては聞き分けが良すぎて利口なため、つい手のかかる二人を優先してしまっていた。
それに気が付かせてくれた空の言葉。
親としての不甲斐なさをここでも感じ、尚且つ海に譲った二人の成長に涙が出てきそう。
「優しい子になって……!」
「それに空たち、まだやりのこしたことがあるから。ね、陸」
「ん!」
どどーん。胸を張って自信満々に告げる二人を見る海の目は、呆れだけになっていた。
「それじゃあ、先生。海だけ失礼します」
「はい。こちらも目撃証言などないか当たってみます」
「ありがとうございます。陸、空、またあとでね」
二人に手を振ると、大きくぶんぶん振り返してくれる。
そして揃ったサムズアップをする先は、海。
「……やりすぎるなよ」
呆れたまま、小さく手を振る海。
それはどこか心配そうな響きも伴っている。
わたしは海が何を心配しているのか分からず、問いたくなった。
だけど。
「まかせろ!」
男前ににっこり笑う空を見て、海の表情がうっすら綻ぶ様子を見たら、何も言えなくなった。
「ママ、今日の夕ごはん、ハンバーグがいい!」
「えっ! じゃあ、空、パンも食べたい! まるいパン!」
無邪気な陸のリクエスト。
それに同調する空に、わたしはもちろんイエスと返す。
「おいしいの作って待ってるから、学校頑張ってね」
やったあと喜ぶ二人の笑みを背に、海と手をつないで校舎から出ていく。
駐車場までやって来て、海はぽつりと遠慮がちにリクエストをしてくる。
「母さん」
「どうしたの? 海」
「夕飯、ご飯も用意してほしい……」
パンがあまり好きではない海の、かわいらしい要望に、わたしは思い切り破顔した。