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第24話 海、水族館に行く 1

 海の病院は、思ったよりも並ばずに済んだ。

念のためにとレントゲンも言われるがまま撮ったけれど、骨は健康そのもの。

診断は打撲と擦過傷。

今後、少しでもおかしいと思われることがあれば来院してほしいとの言葉をいただき、わたしたちは病院を後にした。


「大事なくてよかったねぇ」


 心底安心してしみじみと言えば、海は小さく頷く。


「やっぱり大げさだったんだよ」

「まーたそんなことを言う。いい、海? 今回は大きなお怪我は無かったけど、もしかすると大変な症状が隠れているかもしれないんだから。手遅れになる前に発見したいと思うのは親心よ」


 少々説教臭くなってしまったことを反省しつつ、海の反応を見る。


「……でも、すり傷だけでも病院に行くのはちょっと……」


 未だに遠慮気味な海。

わたしは懇々と、海に説いて聞かせる。


「でももだってもないの。それに、擦り傷だって傷口からばい菌が入ったら大変なことになるのよ」

「……」


 つんと口を尖らせてそっぽを向く海。

その様子に苦笑を少し。


「海。あなたが大したことがないって思っていることは、お母さんにとっては一大事なの」

「そう、なの?」

「そう。自分の大切な子がケガをしたり、嫌な思いをしたりして、平気でいられる親なんていないわ」


 駐車場、自家用車。後部座席に座らせる。シートベルトをかけて、「だから」と続けて声をかける。


「海が嫌だなって思ったこと、話したいときに話してほしいわ。お母さん、絶対に聞くから」


 しばらくの無言。

やがて、海から首肯がひとつ。


「話したくなったらね」

「うん。それでいいよ」


 にっこり笑って運転席。

後部座席へひと際明るい声を意識して話しかけた。


「お昼ごはん、何食べよっか!」


 悩むように唸る海。

海の回答が出るまでしばし待つ。

やがて顔を上げた海は、おずおずと確認をする。


「本当に、何でもいい?」


 対するわたし。

ぐっと親指を立て、陸と空のように力強く言い切った。


「もちろん!」


 返答を聞き、海は遠慮がちに、じゃあ……。と希望を告げてくる。


「水族館、行ってみたい」



***


 海が希望したままに、高速に乗って長めのドライブ。

県を一つ跨いだ先に、有名な水族館がある。

その水族館で、海は。


「うわああぁぁぁ……!」


 その目をきらっきらと輝かせて、小さな水槽の前に張り付いていた。


「海、もう少し行った先に大きな水槽もあるけど……」

「もうちょっと!」


 海は小魚が泳ぐ水槽に目が釘付けになっている。


(無理もないか。泳ぐ魚は、映像以外だと初めて見たはず)


 初めて見る本物の生きている魚に興奮するのも無理からぬこと。

でも、かれこれ数十分この小さな水槽に張り付いているのは、後続の人たちに申し訳ない気持ちもある。


「海、お腹空かない?」

「空かない」


 口とは裏腹に、キュルル小さく鳴くお腹の音。

海は小さな手でそれを抑えようとする。

わたしは笑い、海の手を取る。


「先にお昼ご飯しよ? それに、イルカショーもあるみたいだよ」

「イルカショー?」


 水槽を名残惜しそうに振り返りながら、足並みを合わせてくれる海に肯定する。


「イルカさんが楽しいことやってるんだって」

「へえ」


 興味を持ったように見上げてくる海。

水族館併設のレストランは、大水槽の手前に位置している。

イルカショーの場所は、大水槽を通り越した先。


(イルカショーに間に合うかな)


 この後、海が大水槽の前からテコでも動かない様子が予想されて、わたしはパンフレットのイルカショーの時間を確認した。


(最終は四時半。大体一時間くらいに一回の公演ね)


 ご飯を食べた後でも、二時間は張り付いていても問題ないことを確認し、レストランの順番を待った。


「お腹すいたねぇ」

「うん、お腹すいた」


 さすがの海も空腹を告白してくる。

水槽を前にしなければ、普通の子供のように素直だ。


「何食べる?」


 待機列の先頭から何組目までに配られたメニューをじっと見ている海に問う。


「うーん……」


 悩んでる。

すごく悩んでる。


 大方、モチーフになっている海洋生物のメニューが、気になっている子が洋食ばかりとか、そんなところだろう。


 証拠に、イルカモチーフのドリアと、エイモチーフのオムライスを見比べて、何のモチーフもない海鮮丼にたまに視線をやって、そうしてため息をついている。


 好みとしては海鮮丼。だけど好きなモチーフは全て洋食に入ってしまっている海の小さな悩みに、メニューを隅々まで探して提案する。


「……海。飲み物なんだけど、このサイダーはイルカさんが泳いでいるみたいだよ。あ、あと、こっちのアイスクリーム! サメさんの背びれが付いてるんだって!」


 提案に、メニューの最後から二ページ目のデザートを開いて、今度はそこに齧りついている。


「……かあさん」

「はーい、なに?」

「ジュースと、アイス、食べていい?」


 遠慮がちに指さした二つのメニュー。

上目に窺ってくるけれど、その目には期待の光が浮かんでいる。


「もちろんいいよ。だけどアイスだけじゃお腹空いちゃうよ。ご飯も食べよ?」

「じゃあ、海鮮丼」


 やはり名残惜しそうにオムライスの写真を見るけれど、ビジュアルよりも食の好みを優先させたらしい。


(まだまだ子供。可愛くて良し)


 物や言葉をたくさん知っていようと、まだ庇護するべき子どもであることを一連のやり取りに感じ取り、わたしは頬を緩ませた。

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