目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第26話 海、水族館に行く 3

「ぬいぐるみー!」

「海待って、先に頭拭き拭きしようね」


 なんとか、ほんとうになんとか、イルカショーまで無事に鑑賞することができて、ほっと肩の荷を下ろしかけたその最中、イルカの大ジャンプからの着水による、大スプラッシュシャワーを浴びて濡れ鼠となった海。

床に水たまりを作るのも厭わず、まっすぐ向かおうとするのは先の話で出ていた土産物屋。


 待って海。

濡れ鼠で土産物屋は入れないの。

海は気にしなくても母さんはとっても抵抗があるの……!


 そうして言いくるめて、なんとかしっとりくらいまでタオルドライを施し、今にも全力でダッシュしていきそうな海の手を握った。


(濡れ鼠になったのは、完璧わたしのミス。カッパも売っていたのに、なんで必要なのか考えてなかった……)


 内心で一人反省会を開くわたし。

現実から離れた世界に飛び立とうとしていた意識が、海の嬉しそうな声に引き戻される。


「イルカさん! あっちにもイルカさん! こっちにも!」


 目を輝かせ、お土産屋さんをあっちにこっちに行ったり来たり。

すれ違う人とぶつからないよう様子を見て、はしゃぐ海の背中を追う。


「かあさん! 花ちゃんに、これと、これと、これとこれとこれと……」


 放っておけば、両手をいっぱいのぬいぐるみで溢れさせてきそうな海に、ストップをかける。


「お土産は一人ひとつまでです」

「がーん」


 ショックを受けたような顔をしても、だめなものはだめです。


「海、花ちゃんにたくさんお土産を渡しても、花ちゃん持って帰るの、大変よ?」


 あんまり多くの土産を渡しても、真理藻さんに遠慮されてしまうだろうし。

そんな大人の裏事情を隠し、花ちゃんに不利益が被ることを諭すと、海は渋々、賞品を元あった場所に戻した。


「それじゃあ、この子だけ……」


 最後に残ったのは、海の小さな体が埋もれる程度には大きな、イルカのぬいぐるみ。

ぬいぐるみのサイズ、S・M・L。

その中のLサイズを躊躇なく選んできた海は、もう、花ちゃん、喜んでくれるかな。としか考えていない。


(仕方ない)


 わたしは、ワガママを聞くと言った手前、跳ね除けるわけにも行かず、海の要望を受け入れることにした。


「学校に持っていくと、先生もびっくりしちゃうから、花ちゃんのお家に持っていって渡そうね」

「うん!」


 素直に頷く海の嬉しそうなこと。

学校にいた時の翳りは見えず、わたしは心底安堵した。


「陸と空にも何か買う?」

「買う。陸と空は……」


 土産屋をぐるっと見渡す海。

だけど、海の世界では全ての賞品を見渡すことはできないだろう。


 どうするのかな、と見ていれば、海は店の隅に向かう。

そこにいた店員に、二言、三言。

快く頷いた店員は、バックヤードから小さな折りたたみの台を持ってきた。


 それを気になる台の側に持っていって広げ、よじよじ台によじ登る。


(臨機応変に考えて動けるなんて……!)


 うちのコ賢い! なんて感動していると、海はひとつ、ぬいぐるみを指さした。


「かあさん、あれ、空に」


 指さしたぬいぐるみは、もちっと台にへばりつき、しょんぼりへしゃげている。

その様が何だか、丸洗いされてしょぼくれている犬のような様子を想起する。


「これ、クラゲ?」

「これはメンダコだね」

「白いのもいるの?」

「見つかっていないだけで、もしかしたらいるかもしれないね」


 そこにズラッと並ぶメンダコたちは、オーソドックスなオレンジ色。赤、黄、緑、青、紫……。そして白。

色とりどりの身体を並べ、その手に取られるのをじっと待っている。


「空はこの白いの。陸は……」


 白いメンダコを鷲掴み、台から降りた海は別の棚に向かう。

そこに飾ってあるぬいぐるみを掴み、自慢げに見せてきた。


「これ、陸の」

「……エビ?」

「シャコ」

「なぜに」


 なぜに。


 海は即答する。

陸っぽいから。と。


「陸……陸……っぽくもなきにしもあらざらむ……」


 子どもの感性を不思議に思いながら、海の持ってきたお土産をカゴの中に入れ、レジへ向かう。

かごを持つ手の反対で、海と手を繋いで歩く。


 レジを通り、会計を済ませ、車までの帰り道。

手を繋ぐ海が、わたしを呼ぶ。


「かあさん」

「なぁに?」

「……今度は、みんなで来たい」


 もじもじ、控えめに伝わる、いじらしい願い。

そんなお願いをされれば、親として叶えないわけにもいかない。


「もちろん。みんなで今度、ここに来ようね」


 そう伝えれば、たちまち広がる海の笑み。

胸いっぱいに、暖かな感情が広がっていく。

 優しい子に育った。

そう、感慨に耽るわたしの耳を、電話の着信音が劈く。


「わっ、びっくりした……。海、車に乗っててもらっていい?」

「わかった」


 自ら扉を開け、よじよじ後部座席に収まる姿を見届けて、わたしは通話のマークを押した。


「はい、もしもし……。……はい、はい、はい……。えっ」


 途端、血の気が引いた。

すぐに行きます。相手に伝えて切る電話。

運転席に乗り込んだわたしを、海が心配そうに見ていた。


「海、ごめんね。学校に一回戻るよ」

「学校? なんで?」


 後部座席から、不安そうに乗り出してくる海。

なんと言ったらいいものか。けれどそこまで悩む時間は無い。

わたしは海に、正直に話すことにした。


「……陸と空が、他の子を叩いたんだって」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?