「ぬいぐるみー!」
「海待って、先に頭拭き拭きしようね」
なんとか、ほんとうになんとか、イルカショーまで無事に鑑賞することができて、ほっと肩の荷を下ろしかけたその最中、イルカの大ジャンプからの着水による、大スプラッシュシャワーを浴びて濡れ鼠となった海。
床に水たまりを作るのも厭わず、まっすぐ向かおうとするのは先の話で出ていた土産物屋。
待って海。
濡れ鼠で土産物屋は入れないの。
海は気にしなくても母さんはとっても抵抗があるの……!
そうして言いくるめて、なんとかしっとりくらいまでタオルドライを施し、今にも全力でダッシュしていきそうな海の手を握った。
(濡れ鼠になったのは、完璧わたしのミス。カッパも売っていたのに、なんで必要なのか考えてなかった……)
内心で一人反省会を開くわたし。
現実から離れた世界に飛び立とうとしていた意識が、海の嬉しそうな声に引き戻される。
「イルカさん! あっちにもイルカさん! こっちにも!」
目を輝かせ、お土産屋さんをあっちにこっちに行ったり来たり。
すれ違う人とぶつからないよう様子を見て、はしゃぐ海の背中を追う。
「かあさん! 花ちゃんに、これと、これと、これとこれとこれと……」
放っておけば、両手をいっぱいのぬいぐるみで溢れさせてきそうな海に、ストップをかける。
「お土産は一人ひとつまでです」
「がーん」
ショックを受けたような顔をしても、だめなものはだめです。
「海、花ちゃんにたくさんお土産を渡しても、花ちゃん持って帰るの、大変よ?」
あんまり多くの土産を渡しても、真理藻さんに遠慮されてしまうだろうし。
そんな大人の裏事情を隠し、花ちゃんに不利益が被ることを諭すと、海は渋々、賞品を元あった場所に戻した。
「それじゃあ、この子だけ……」
最後に残ったのは、海の小さな体が埋もれる程度には大きな、イルカのぬいぐるみ。
ぬいぐるみのサイズ、S・M・L。
その中のLサイズを躊躇なく選んできた海は、もう、花ちゃん、喜んでくれるかな。としか考えていない。
(仕方ない)
わたしは、ワガママを聞くと言った手前、跳ね除けるわけにも行かず、海の要望を受け入れることにした。
「学校に持っていくと、先生もびっくりしちゃうから、花ちゃんのお家に持っていって渡そうね」
「うん!」
素直に頷く海の嬉しそうなこと。
学校にいた時の翳りは見えず、わたしは心底安堵した。
「陸と空にも何か買う?」
「買う。陸と空は……」
土産屋をぐるっと見渡す海。
だけど、海の世界では全ての賞品を見渡すことはできないだろう。
どうするのかな、と見ていれば、海は店の隅に向かう。
そこにいた店員に、二言、三言。
快く頷いた店員は、バックヤードから小さな折りたたみの台を持ってきた。
それを気になる台の側に持っていって広げ、よじよじ台によじ登る。
(臨機応変に考えて動けるなんて……!)
うちのコ賢い! なんて感動していると、海はひとつ、ぬいぐるみを指さした。
「かあさん、あれ、空に」
指さしたぬいぐるみは、もちっと台にへばりつき、しょんぼりへしゃげている。
その様が何だか、丸洗いされてしょぼくれている犬のような様子を想起する。
「これ、クラゲ?」
「これはメンダコだね」
「白いのもいるの?」
「見つかっていないだけで、もしかしたらいるかもしれないね」
そこにズラッと並ぶメンダコたちは、オーソドックスなオレンジ色。赤、黄、緑、青、紫……。そして白。
色とりどりの身体を並べ、その手に取られるのをじっと待っている。
「空はこの白いの。陸は……」
白いメンダコを鷲掴み、台から降りた海は別の棚に向かう。
そこに飾ってあるぬいぐるみを掴み、自慢げに見せてきた。
「これ、陸の」
「……エビ?」
「シャコ」
「なぜに」
なぜに。
海は即答する。
陸っぽいから。と。
「陸……陸……っぽくもなきにしもあらざらむ……」
子どもの感性を不思議に思いながら、海の持ってきたお土産をカゴの中に入れ、レジへ向かう。
かごを持つ手の反対で、海と手を繋いで歩く。
レジを通り、会計を済ませ、車までの帰り道。
手を繋ぐ海が、わたしを呼ぶ。
「かあさん」
「なぁに?」
「……今度は、みんなで来たい」
もじもじ、控えめに伝わる、いじらしい願い。
そんなお願いをされれば、親として叶えないわけにもいかない。
「もちろん。みんなで今度、ここに来ようね」
そう伝えれば、たちまち広がる海の笑み。
胸いっぱいに、暖かな感情が広がっていく。
優しい子に育った。
そう、感慨に耽るわたしの耳を、電話の着信音が劈く。
「わっ、びっくりした……。海、車に乗っててもらっていい?」
「わかった」
自ら扉を開け、よじよじ後部座席に収まる姿を見届けて、わたしは通話のマークを押した。
「はい、もしもし……。……はい、はい、はい……。えっ」
途端、血の気が引いた。
すぐに行きます。相手に伝えて切る電話。
運転席に乗り込んだわたしを、海が心配そうに見ていた。
「海、ごめんね。学校に一回戻るよ」
「学校? なんで?」
後部座席から、不安そうに乗り出してくる海。
なんと言ったらいいものか。けれどそこまで悩む時間は無い。
わたしは海に、正直に話すことにした。
「……陸と空が、他の子を叩いたんだって」