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第27話 母、呼び出し再び

「先生。何度もお手数おかけして申し訳ありません」

「いえ。これも仕事ですので。……それより」

「陸と空は……何も?」

「『もくひけんをこーしする』と空さんが。いやはや。子どもって、どこでそんな言葉を覚えて来るのでしょうね」

「ほんとうに」


 軽口を叩き合うその場の空気は重かった。

今日一日で色んな事が起きすぎて、先生も大分お疲れの様子。


 無理もない。

見た限り、明らかにではない外傷を拵えた子どもが、何があったかを頑として話さない。

その原因究明をしようとしていたところ、今度は目撃者もある暴行事件。

しかも、この一連の事件は全員が兄妹だというのだから、先生の苦労、親の心労は幾ばくか。

親はわたしだ。


「陸! 空!」


 開いた扉から勢いよく入り込むと、そこには陸と空。それから、多分被害者の男の子。

それと。


「先生! この害獣共を早く退学にしてください! このままじゃウチのコ、安心して学校に通えない!」


 甲高い声で喚く、多分男の子の保護者が陸と空を責め立てていた。


「お母さん落ち着いてください」

「学年主任! ……あっ?!」


 その保護者は、先生の後ろから顔を出したわたしを見て、驚いたように指さした。


「あ、あんた! 児童館の!」

「あ、あーっ! 髪切り男子のお母さん!」

「髪切り男子じゃないわよ!」

「うちの空の髪を切ろうとしてたじゃないですか! 四歳が! 無抵抗なゼロ歳の子の!」

「あれはもう時効よ時効! 今はアンタの子どもが犯罪者なのよ!」


 嫌な記憶が蘇ってきた。

いつぞや、児童館で鉢合わせた、陸と空に危害を加えていた子どものお母さんだ。


 昔の因縁を思わず喚き合っていると、先生の大きな咳払いで正気に戻る。


「失礼。少々声が大きかったもので」

「申し訳ありません……」


 直ぐ様謝罪をして口をつぐむ。

いけないいけない。大人の言い争いは子供の健全な教育に悪い。


「……さて、保護者の方も揃いましたし、お話し合いを……」

「しなくていいでしょ? 全部そっちが悪いんだから!」


 場を取りなそうとした先生の話を遮り、相手の保護者が言う。


「陸、空。相手の子を叩いたんだから、先に謝りなさい」


 相手の保護者がいくら感じ悪くても、今回は陸と空が手を出した。

だから、謝るべきと促した。だが。


「や!」


 プイッとそっぽを向く空。

陸に視線を向けると、同じようにそっぽを向いた。


「空」

「や!」

「陸!」

「ん!」


 埒が明かない。

二人はこんなに頑固だったかしら?


「二人とも!」


 強めに呼びかける。

そっぽを向いた空から金切り声。


「や! あやまんない! 空悪くないもん!」

「叩いたんでしょ? 叩いたら、まずは叩いてごめんなさいするんだよ?」

「悪くないもん。悪くないもん!」


 駄々をこねる空に困っていると、隣で陸もぽろぽろ泣き出した。


「ぇう、だって、だって……」


 しゃくり上げながら、なんとか言葉を発そうとする陸から漏れるのは、空気を含んだ嗚咽ばかり。

困って空を見れば、こちらもこちらで顔を真っ赤にして、今にも泣き出してしまいそうな目を頑張って吊り上げている。

まるで泣くのを堪えているかのように。


「だって! 空、聞いたもん! 空聞いたもん!!」


 地団駄を踏み鳴らし、小さな怪獣が暴れてる。

わぁわぁ喚き、堪えた涙もボロボロ零し、それでも叫んで伝えてくる。


「その子がろうかでゆってたんだもん! 海ははんぶん色がちがうから! にんげんのできそこないだから、ぶっても、けってもいいって! ゆってたもん! 空聞いてたもん!!」


 わあぁぁぁぁっ!

大きな泣き声が室内に響き木霊す。


 ギョッとするのは子どもたちを囲む大人たち。

男の子に真偽を問い質すのは教師のひとり。


「それは本当か?」

「そんなわけないでしょ! 親がウソつきなら子供も大ウソつきね!」


 室内は阿鼻叫喚。

大人の狂乱が子供にも伝わってしまい、相手の子は何も言えなくなってしまっている。


 わたしは彼の前に跪く。

ビクッと大きく揺れる肩。

できる限り威圧をしないよう心がけながら、にっこり笑みを作って問いかける。


「そうなの?」


 まるで友達にでも聞くような気軽さに、緊張していた彼の顔が、一気に緩んでぽかんと口を開ける。


「違うに決まってるでしょ!」

「貴方には聞いていません。この子に聞いています」


 頭上から口を挟む保護者の、耳障りな金切り声を一喝。

その後、もう一度優しく彼に問う。

俯いてしまった彼は、それでもやがて、ゆっくり言葉を紡いでいこうとする。


「だって……」

「うん」

「ママが、言ってた、から」


 はぁ?! なんて叫び、もはや半狂乱。

敢えてそちらは見ない。

ずっと、彼にだけ視線を向けて、できる限り穏やかに、続けて? と催促。


「ママに、新しい子たち、こんな子が、髪の毛がね、白い子と、真っ白を半分ずつわけっこした子たちがいるんだよって、仲良くなりたいって言ったの。そしたらね」


『なんて不気味な見た目の子供かしら! そんな子たちはね、化け物から生まれたの。だから化け物の色なのよ。人間のなり損ないだから、その子たちは蹴って、殴って、人間の世界にいれなくしてあげなさい。それがその子たちのためにもなるのよ』


 開いた口が塞がらないとは、多分きっとこういうこと。

敢えて見なかった頭上を見る。

顔を、空にも負けずに真っ赤にして鼻息も荒く、目なんて鬼のように吊り上がっているこの人は、どんな気持ちでそれを言ったんだろう。


「ママが言ってたんだ! ぶっていいって! だからぶった! ママがいいって言ったから! なんで怒られなきゃいけないの?!」


 空の泣き声すらも搔き消すほどの怒声には、理不尽を突き刺す不満で彩られている。

 怒声、罵声、泣き声、困惑。室内がカオス。

わたしはゆっくり、彼と目を合わせる。


「君、お名前は?」

「……健太」


 健太くんは、おずおずと自身の名を名乗る。

それを聞いて、わたしは微笑む。


「健太君。陸と空……。この子達に叩かれたとき、痛かった?」


 問いかけの意図を分かっていないのだろう。

ただイエスかノーかと問われたから、イエスと答えた。そんな感じの動作で頷く。


「そうだね。叩かれると痛いもんね。……海も、叩かれたとき、痛くて、怖くて、悲しかったと思うよ」


 責めないように慎重に、静かに伝える。


「あ……」


 健太君はハッとした顔をして、気まずそうに彷徨わせた手で、自分の胸元の服を握りしめる。

くしゃりと皴になったシャツを見つめ、わたしは健太君から視線を外す。


「陸、空」


 二人の名前を呼ぶ。

キョトンとした表情を浮かべて空が。未だにしゃくりあげながら、甘えっ子のようによたよたと陸が。

傍らにやってきたとき、わたしは――。


「人を叩いちゃ、だめでしょ!」

「みゅっ!」

「びゃっ!」


 ――二人の頭に、思い切り拳骨を落とした。


「いだぁぁぁい!!」

「ママがぶったぁ!!」


 びゃあびゃあ、みゃあみゃあ泣き喚く二人と目を合わせる。


「今、痛かったでしょう?」


 問いかければ首肯。


「いだい」

「ママのゴリラ」

「誰がゴリラですか」


 この期に及んで軽口をたたく空の頭を、もう一回軽めにはたく。


「健太君も痛かったよ」


 静かに告げれば、二人は顔を見合わせる。

そしてその顔は健太君へ揃って向けられる。

寸分のズレなく綺麗に揃った動き。まるでロボットのような精密さで向けられた顔に、健太君はたじろいでいる。


「……あのね。海をぶったって聞いて、空、かなしかったよ」


 空が先陣切って健太君の前へ行く。

自分よりも小さな子供にじっと見上げられているためか、健太君はぐっと詰まって身を反らす。

だけどね。空は続ける。


「空、いたいのしちゃった。ぶってごめんなさい」


 ぺこり。

ごめんなさいのお辞儀をした空に続いて、陸も頭を下げる。


「おれも、ぶっちゃってごめん」


 もぞ、と謝罪を口にする陸。

二人の謝罪に、どぎまぎ戸惑う健太君は。


「あ、う、お、オレ……」

「何言ってるのかしらね! この子はほんとにもう!」


 何かを言おうとした健太君を遮り、保護者のお母さんが彼の腕を乱暴に掴む。


「お話はもう終わりましたよね! 気分が悪いのでもう帰ります! 健太! 早く行くよ!」

「あっ……! ね、ねぇ、オレ、オレ……!」

「あんな子たちと話しちゃいけません! 化け物が移るよ!」


 罵声を最後に残してからも、ぶつぶつ言いながら部屋から出ていく。

何度も何度も振り返り、こちらに何事かを伝えようとしていた、健太君のあの顔が気になった。


「天嶺さん」

「先生。なんか、お疲れ様です」


 苦笑を向ければ、返ってくるのもまた苦笑。


「いえ。長く教職をしていれば、強烈な人の一人や二人は見るものですよ」

「その強烈な人に当てはまらないように、気を付けていきたいところです」


 雑談を一言二言。

それから、今後のことをほんの少し。

相手方が海に負わせたケガのこと、こちら側が相手に負わせたケガのこと。

軽い注意と一緒に、家でも道徳の教育を、とさりげなく言われたことに、苦笑交じりに、はいと言うしかなかった。


「気になりますか。あの保護者様のこと」

「いえ。そっちはどうでもいいんですけど……。健太君が、心配だな、と」


 教師の彼は首を振る。

聞き分けのいい人ばかりではないことも確か。家庭の事情にはなかなか踏み込めないのだと、現場の苦悩をほんの少し漏らす。


「学校では、教師一同、気を付けて見ているようにいたします」

「お世話かけます。何卒、よろしくお願いします」


 ぺこりぺこりと会釈の応酬。

やがて緊張の空気から解放されたとき、わたしは三人とともに、駐車場へ向かっていた。


「……ママ、怒ってる?」


 おずおず問いかけてくるのは空。

続けて陸が。


「わるいことしちゃった。ごめんなさい」


 しょんぼり肩を落として謝ってくる。

ふ、と表情を崩し、二人に言う。


「人を叩くのはいけないことだよ。だけど、お母さん、嬉しいんだ」

「嬉しいの? ぶったのに?」


 陸が質問で返してくるから、緩く首を横に振る。


「叩いちゃったのは、お母さん、悲しかった。だけど二人は、海がぶたれて、悲しかったからやり返したんだよね?」

「……うん」


 もじもじ、恥ずかしそうに肯定する空。

わたしは彼女の目線までしゃがみ込む。


「その、誰かを大事に思う心が、お母さんはとっても、とぉっても、嬉しかったの。もちろん、叩くのはダメ。だけど、大事な人がぶたれて、悲しいって思える、優しい子たちに育ってくれて、お母さん、嬉しいの」


 一言一言を区切りながらしっかりと伝えると、二人は照れたように俯いて、手を繋ぐことを要求してきた。


「海もだよ」

「えっ、ぼく?」


 名指しされるとは思っていなかったらしい海が、飛び起きるように顔を上げる。

目を真ん丸にして驚いている海に、わたしはにっこり頷いた。


「海は、みんなに心配かけないように、ぶたれたことを黙っていたのよね。何にも言ってくれないから、みんなすごい心配したけど……。でも、海も、誰かのためを思って選んだ行動だっていうことが、お母さんすごく誇らしいわ」


 海の成長も嬉しいのだと伝えると、陸と空と同じように俯き、照れて黙ってしまった。

そんな三人をほほえましく見ながら、わたしは夕焼けになりかけている空を見上げた。


「ハンバーグの材料、今から買いに行くよ」

「おっきなスーパー?!」

「おかし! おかし買ってもいい?!」

「たらこ……」


 途端、好き勝手に騒ぎ出す子供たちを手で制し、車の扉を開けて言う。


「お菓子がもらえる子は、いい子にシートベルト着けられる子だけだよ!」

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