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第28話 初めての海外 前日譚

「望さん。早いもので、子どもたちも四年生になって、初めての初夏になりました」


 望さんの遺影に手を合わせ、近況を報告する。

毎日、子どもたちが学校に行った後の日課になったそれは、こうして今日まで続いている。


「夏休みって概念を、陸は去年初めて自覚したようで、今年の夏休みもとても楽しみにしています。そうそう、去年から、陸上のジュニア大会に出ているんですが、その大会で優勝したんです。陸。種目は100メートル走で、ぶっちぎりの一位です。今年も出るんだって張り切ってて。去年の表彰台の写真、置いておきますね」


 仏壇にそっと、印刷した写真を額縁に飾ったものを置く。

写真の中の陸は満面の笑みで、こちらに手を振っている。


「海は今、学年トップの頭脳を持っているって褒められちゃいました。勉強が好きなようです。去年の自由研究は水族館に入り浸って、海洋生物についてまとめたものを提出しました。それが最優秀をもらったって、喜んでいました。……今年の夏は海につれていけたらいいなぁ。ずっと連れて行けてないんです」


 記念品は海がとても気に入っているから、仏壇に供えることはできない。

だから報告だけをした。


「それから空なんですが……」


 わたしは窓の外を見る。

カラッと晴れた初夏の空。

楽観的にわらう空の姿をしているようだとわたしは思った。


「オールマイティと言えばいいのでしょうか。人並みに何でもこなせるんです。教えれば料理も興味を持つし、海の難しい話にもついていけて、陸の運動にもある程度。だけど……」


 最近の悩み。

それを仏壇の望さんに吐露する。


「あの子自身が、やりたいことを見つけられてないんです」


 そう。空は、人に合わせることばかりを特異としてしまった。

陸に合わせ、海に合わせ、家だとわたしにさえ合わせてくる。

先生は、『素直で言うことをよく聞くいい子』と空を評する。

だけどわたしは、どうもそれが気に入らない。


「空には、空のやりたいことを見つけてほしいだけなのに」


 それが、陸のように運動の方面でも、海のように知識の方面でも、それ以外でも何でもいい。

空自身がやりたい! と思えることを見つけられることを願い、わたしは線香をもう一本立てた。



***


 そろそろみんなの帰宅時間。

だというのに、一向に三人共帰ってこないものだから、わたしはソワソワしてしまう。


(何かあった? 帰りに事故に遭ったとか?)


 いても経ってもいられず、家の鍵を掴んで靴に片足を突っ込んだところで。


 ピンポーン


 インターホン。


「なにも荷物は頼んでなかったはずだけど」


 このご時世、警戒しすぎて損はないと、外を映したモニターを見る。


「カナさん?」


 カメラ越しに片手を上げる金谷さんの足元には、三人の子供の姿。


「どうしてカナさんが?」

「お宅のお子さんたちのお届けだ」


 金谷さんの足の後ろから、ニンマリ笑顔で空と陸。どこかはにかんだ様子で海がこちらを覗いている。


「ただいまー」

「ママ、お腹すいた!」

「かあさん、カナさんも上がってもらっていい?」


 どたばた上がっていく空と陸に、靴を揃えるよう声を掛ける。

靴をきちっと揃える海に、わたしは聞く。


「送っていただいたし、上がってもらうけど……。どうしてみんなが一緒にいるの?」


 問えば、海が様子を窺うのは金谷さん。

金谷さんは頭を掻き、オフレコで。と声を潜める。


「……工場の中に入れたんだよ」

「えっ?! ……それはなんで? 前から約束してたとか?」

「いや、突発的に。俺の独断」


 事前に準備をしていないと、危ない所も多いだろうに。

胡乱な目で見ていれば、金谷さんは大仰に手を振って弁解をする。


「言っても遠目だ、遠目! それに、そこの嬢ちゃんは随分前から工場に張り付いていたぜ?」


 金谷さんの視線はわたしの背後に。

追っていけば、そこに空が立っていた。


「ずいぶん前って……。いつから?」

「俺が気付いたのは半年くらい前かな……。それより前はわからん」

「そんなに前から。……空。工場の何が気になったの?」


 問えば、彼女はにっこり笑う。


「飛行機!」

「飛行機」


 それは、あれか。

あの工場で製造しているのは戦闘機だけだから、戦闘飛行機が気になって、ずっと見ていたということだろうか。

それは何が気になったのだろう。製造工程? 形? それとも……。


 色々考えを巡らせていると、空から純真無垢な声が響く。


「ねえ、ママ。空、飛行機乗ってみたい!」


 わたしは確かに言った。確かに願った。空が、自分がやりたいことを見つけてほしいって。

それがすぐに叶えられない事柄であると判明し、内心落ち込みつつ、どう言おうか悩んでいると。


「空ね、お空を飛んでみたいの!」

「飛行機を運転したい……じゃなくて?」

「ううん。お空を飛びたい!」


 神様仏様望様ありがとう。

わたしが森羅万象すべての物事に感謝した日は、もしかするとこれが初めてかもしれない。


 それと同時に、夏休みの予定がひとつ、埋まりそうな予感がした。


「みんな。今年の夏休みは……」


 言葉を溜める。

空も、陸も、顔にはあまりでていないけど海も、ソワソワ、ワクワク、発表を待っている。


「飛行機に乗ってお出かけします!」

「きーつけて行ってこいよー」


 盛り上がりを見せる子どもたちを他所に、お出ししたジンジャーエールでのどを潤す金谷さんが、ゆるーくのんびり言っていた。

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