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第31話 初めての海外 3

「空……。空、起きて。そろそろ着くよ」

「んむ」


 寝ぼけ眼で目を擦る空を起こす。

静かに見ていたはずの空も内心興奮していたようで、上空まで昇ってある程度時間が経過した時には、いつの間にか眠っていた。


「ほら、見て。あそこが目的地のトゥラム諸島だよ」

「んぇ……?」


 寝ぼけ眼は相変わらず。

しぱしぱ目を瞬き、空は外を覗き込む。


「う、わぁー!!」


 途端、目が覚めたようで、ぱっちり大きく目を見開く空の姿が窓に映し出される。

広大な青が広がる目下の世界に、緑色の小さな小島が点々と連なっている。


 カフウ皇国から大体三時間。

目的地であるトゥラム諸島に到着した。


***


 トゥラム諸島は二十にも及ぶ小島が集まる島国である。

公用語はヒデ語。

昔、大国であるヒデくにの植民地であったことから、公用語がヒデ語になったという。

なお、ヒデ国はカフウ皇国独特の呼び名で、実際はヒデリアと発音する国名だとか。


 そんな情報が書かれたパンフレットに目を通しながら、保護者女性組は、ビーチに設置されたパラソルベンチに寝そべり、はしゃぐ子どもたちを見守っていた。


 トゥラム諸島に連なる島のひとつ。

現地語でと呼ばれているこの島は、ビーチアクティビティが豊富に取り揃えられていて、風を完全に味方につけて、陸が今、大きなジャンプの技を決めた。


「わっはー!!」


 とても楽しそうな叫び声が聞こえてくる。

陸が今楽しんでいるのはカイトボード。

素人目にはサーフィンに似たスポーツに見えるが、大きな違いはパラグライダーのようなカイトを駆使し、風の力で水の上を滑ってトリックを決めるスポーツ。だと説明を受けた。

ボードの上で見事にバランスを取る陸を見て、インストラクターのお兄さんはポカンと呆気に取られていた。


『貴方のお子さんすごいね。ほんとうに十歳? 嘘ついてない?』


 驚いたように捲し立てられる。

わたしは苦笑を小さく漏らす。


『十歳よ。人より運動神経がいいの』

『将来オリンピックメダリストにでもなれるんじゃない? 今からファンになっておこうかな』

『それはいいかもね。本人がやりたいって言えば、最古参よ』


 肩を竦めて軽口を叩くと、同調して彼も肩を竦める。


『いい将来を選ぶことを祈ってるよ』

『子どもたち次第ね。残り時間もお願いします』


 インストラクターの彼に頼むと、陸に教えるために、波打ち際に歩いていく。

その彼の後ろ姿から左に視線を向けると、そこには二人分の小さな波紋が立っている。


 ポコポコ、小さな泡がたくさん生まれ、大きな波飛沫が二つ立つ。


「海ー! 花ちゃんー! 楽しいー?」


 シュノーケルとゴーグルを身に着ける二人の姿に声をかけると、大きく手を振ってくる。

陸がカイトボードにはしゃいでいる横で、二人はシュノーケリングを楽しんでいた。


 初めて直に見る海の中。

海のはしゃぎようは推して知るべし。


 付き添いのインストラクターのお姉さんに休憩と告げられ、砂浜に上がってきたふたり。

興奮した風に駆け寄ってくる海と、その後ろを追う花ちゃん。


「母さん、母さん! 海の中に、すごいカラフルなサンゴ礁があったんだ!」

「おお。ここは水のきれいな海なんだね」

「水がきれいだと、何かあるんですか?」


 花ちゃんの疑問に、たしか、と記憶を辿る。


「サンゴ礁は、水がきれいな場所じゃないと生きられないって、見たことがあるんだよ」


 サンゴ礁があると水がきれい。

サンゴ礁を中心に、その海では独自の生態系を構築することができる。

サンゴ礁は隠れ家にもなるから、小魚などもたくさんいる。たしか、そんなこと。


「それなら、サンゴ礁の近くに行けばもっと色んなお魚が見れるかも!」


 ワクワクと花ちゃんが言えば、海もその気になっている。

だけどわたしは待ったをかけた。


「待って待って。ふたりがやってるのはシュノーケリングでしょ? 海には沈めないよ」

「あっ……」


 シュノーケリングは海面にフィン、呼吸をするための筒を出して、呼吸をしながら海中観察ができるアクティビティ。

筒が水の中に沈めば、当然息はできなくなる。


「そっ……か、そうでした、私ってば、早とちりしちゃって……」


 しょんぼり肩を落とす花ちゃん。

海は彼女を気遣い、こちらへ視線を向けてくる。


「ねえ、本当に潜れないの?」

「うーんん……」


 唸る。

シュノーケリングでは潜ることができないのは自明の理。

それ以外の解決策と言うと……。


『マウア、ミス、マウア!』


 困ったわたしは、インストラクターのマウアの元へ駆け寄っていく。


『シュノーケリングでも潜る方法、ですか?』

『サンゴ礁を間近で見たいって。もし無理なら、こっちで説得するから』

『ふーむむ……』


 マウアが考え唸る数秒間。

彼女は三つ、指を立てる。


『いくつか方法はありますよ。一つ目が、スキンダイビングって方法。シュノーケルを付けたまま、息を止めて潜水するの。だけど、コツが必要だし、初めてだと怖いかも』


 なるほど。

確かに、さっきまで吸えていた息を止めて泳ぐってことの切り替えは、練習なしには小学生には難しいかもしれない。


『次が、スキューバダイビング。エアータンクを背負って潜水する方法ですね。だけどこれは、何時間かの講習が必要です。扱いを間違えると死んでしまうしね』


 海に潜ると言うと真っ先に思いつく方法かもしれない。

けれどそれは現実的ではなかった。

 わたしは手を振って、無理。を表現する。

マウアはだよね。と言った。


『で、最後がこれ』


 マウアがカバンの中から取り出した、筒状の物体。

ガスボンベを圧縮したような、小型のボンベの形をしたもの。


『これ、なに?』

『エアーボンベです』


 マウアはにこりと笑った。


『小型の、最近販売し始めたやつなんですよ』


 この小型エアーボンベは、海中で連続呼吸をして四分間保つらしい。

ただし、マウアは安全のために、三分間で海上に上げると言った。


『海中にいるには短いんですけど、この下にあるサンゴ礁を観察するだけなら十分かと』


 思わずマウアの手を握る。

ワオ! と驚いた声を出したマウアへ、感激のまま声を上げた。


『最っ高! そういうの、求めていたの!』

『喜んでくれて良かった! 休憩が終わったらレクチャーから入るわね!』


 両手を握り合い、ぶんぶん上下に振るわたしたち。

離れたところから、海と花ちゃんの、何やってるんだろう……。と言いたげな視線を感じる。


『それでは休憩後もよろしくお願いします』

『もちろん。任せて!』


 マウアは筋肉質な胸を叩く。


「ハナ! カイ! やすミ、終わリ! およグ、行クヨ!」


 カフウ皇国の公用語、カフウ語を使い、張り切って海たちを呼びに行くマウアを見送る。


「さて……」


 わたしはビーチパラソルの傍らでしゃがみ込む、少女の姿を捉える。


「……空。海で遊ばなくていいの?」


 真っ白なツバ広帽子。真っ白な水着。真っ白な肌と波打つ真っ白な髪。

砂浜に降り立った真っ白な妖精は、ひたすら砂堀りをして、掘り出したヤドカリにちょっかいをかけて遊んでいた。


「うん。空はいいよ」


 特段遠慮をしているという風には見えない。

本心から言っているらしいその言葉に、わたしは疑問を覚えた。


「どうして?」

「見て、ママ! きれいなピンク色!」


 疑問に被せて空が、拾った貝殻を見せてくる。

空の手の平に収まるサイズのその貝殻は、薄く色づく桜色。

欠けも汚れも見当たらない、完璧な姿のその貝殻を、空は大切そうにビーチバックの中にしまう。


「あのね、ママ。空ね、お空を飛びたいって思ったのは本当で、お空飛んで楽しかったよ。でもね、それよりも、もっと」


 空は水面の方を見る。

大人顔負けの技を繰り広げる陸に、花ちゃんと一緒に海中に潜っていく海。

二人の様子に、空は嬉しそうに目を細める。


「空ね、陸と、海と、花ちゃんが楽しそうなのを見るのが、とっても好きなんだ」


 わたしは、空という一人の人物を、勘違いしていたのかもしれない。

自己主張の控えめな、他の人に合わせることを早々に覚えてしまった子供ではなかった。

傍目にそう見える行為を、彼女はそれが好きだと主張する。


 砂浜にぺたんと座る空の隣で、わたしもしゃがんで座り込む。


「……そうだね。とっても楽しそう」

「でしょ?」


 空は嬉しそうに、にひひと笑った。

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