ついにこの時がやって来てしまった。
空は白紙の紙を握りしめて、教室の扉を開ける。
「陸ーっ! 海ーっ!!」
叫んで二人の姿を探すも、中にはいない。
「陸くんは顧問に呼ばれて、海くんは図書委員の仕事してるよ」
「ニアピンだったか……」
「結構前だよ」
代わりに声をかけてきたのは、クラスメイトの茂庭さん。
二年生にしてレスリング部のキャプテンを務める、背の高いカッコいい女の子。
「そ、そんなに慌てて、ど、どうしたの……?」
おずおず控えめに聞いてきたのは三浦ちゃん。
なんと同じ中学校からこの高校に入学した、中学生からのお友達!
後は別の学校だけど眞鳥ちゃんって友達もいてー。
「……って、それは今関係ないんだった!」
「いつも唐突だよね、空って」
茂庭さんが苦笑する。
空は、茂庭さんに紙を見せる。
空が記入するところは何も記入されていない、白紙の紙を。
「んー? 進路調査?」
「提出はもう少し先のやつだよね……? 夏休み明けの」
ふたりが紙を覗き込み、どういうことだろうと首を傾げている。
「空には、空には二ヶ月ばかりじゃ足りないの……っ!」
将来なりたいものなんて、何も決まっていないから!
「えーん、助けてぇ! ふたりは将来どうしたいとか決まってるのー?」
空の嘆きに三浦ちゃん。
「わ、ワタシは行きたい大学があって……。できるなら院まで進んで、研究職に就けたらいいなって……思ってるよ」
「頭いい。すごい。さすが未来のノーベル受賞者」
「んえぇ、そんなこと無いよぉ……。もっと頭のいい人なんて、いっぱいいるもん……」
進学科で海と張り合うくらいに頭のいい三浦ちゃんは、照れたように笑って謙遜する。
「茂庭さんは?」
「私は……。多分将来的には実家の道場継ぐことになるだろうけど」
「道場? レスリングじゃなくて?」
「うん。うち、柔道場経営してるの」
あ、でも。
茂庭さんは少し恥ずかしそうに視線を逸らしながらモゴモゴ呟く。
「……最近、メイクに興味が出てきたから……。専門学校、行けたらいいなって……」
「えー! すっごくいい! 茂庭さん、メイク絶対映えるし、背も高いから……。メイクまでマスターしちゃったら、モデルさんみたいにもっとカッコよくなっちゃうよ!」
それに比べて空は。
「今日の夕飯なんだろな、とか、そんなことしか考えられないんだぁ」
「お腹空いたの? メイトゥー食べる?」
「食べる」
うう、パサパサ。
茂庭さんからもらった、一本でカロリーをしっかり摂れると有名なメイトゥーを食べると、口の中の水分がカラッカラに干からびた。
「おなかすいたぁ」
「大喰らいめ」
茂庭さんが触れる程度で頭を小突く。
「あっ、空ちゃん、ヒデ語……話せるんだよね?」
「ん? うん。去年の旅行も含めて、九ヶ国語話せるようになったよー」
「きゅっ?!」
「杏のこと頭いいとか言ってたけど、空も大概じゃないの……」
だけど。空は不貞腐れて頬を膨らませた。
「でも、空は喋れるだけだもん」
「じ、十分すぎるよ?」
「カフウ皇国だと、何ヶ国語も喋れたって、意味ないもん」
すごいね、だけで終わっちゃう。
頬を膨らませたまま机に突っ伏すと、膨らんだ頬がつぶれて空気が抜けた。
「えっと、空ちゃんが嫌じゃなければだけどね」
「? うん」
「多言語に対応している大学とか行ってみるの、どうかなって……」
「多言語の大学」
三浦ちゃんの言葉を反芻する。
彼女は強く頷く。
「そ、そう! そういうとこなら、他国の留学生とかもいるだろうし……。コミュニティも広がって、空ちゃん、楽しいかなって……」
「就職なら、通訳者とか、翻訳者とか……。あっ、キャビンアテンダントとかも言語力使いそう!」
続けて茂庭さんも、三浦ちゃんを援護する。
「キャビンアテンダント……」
毎年海外に行くとき、飛行機の中で笑顔を浮かべて、きびきび働く女の人たち。
カッコいいなぁって、見惚れていた。
「……カッコいいよねぇ」
「だよね?!」
気分がやや上向きになった空を盛り上げるように、ふたりはやんやと肯定の嵐。
(でも)
多分空は、キャビンアテンダントじゃなくて……。
「……決めた」
「え?」
「今の時間でもう決めたの?」
戸惑ったような二人の顔を見て、空はにぃっと笑って見せる。
「今年の夏休み過ぎたら考える!」
ふたりはきれいにずっこけた。
「空、いる? ……あ、いた」
「海ー」
委員会の仕事が終わったらしい海が教室に顔を覗かせる。
よ、と手を上げれば、よ。と片手で返してくる。
「陸は?」
「なんか、顧問に呼ばれてるんだって」
「また何かやらかしたのか?」
「最近大人しかったのにねぇ」
井戸端会議のように話す傍ら、海はふたりに、「空の相手してくれてありがとう」と言っていた。
「海、悪い、遅れた。空もいたのか」
「陸やほー」
「よ。茂庭さんと三浦さんも。空の相手ありがとな」
「ちょっと、兄弟で同じこと言ってるよ」
けらけら笑う茂庭さん。
空は、お? って思った。
(茂庭さん、なんか嬉しそう?)
ほーん、ほーん、ふーん?
空は
「今、空たちと将来の話をしてたとこなの」
茂庭さんが経緯説明をする。
陸は机に投げ出された空の進路調査の紙を摘まみ上げた。
それを後ろから海も覗く。
「白紙じゃん」
「夏休みが明けたら決まるの。きっとそうなの」
からかう海に小さく対抗。
「そういう海は決まってるの? 進路なんて」
「うん。
「それって県外……っ!」
「下宿するつもり。クジラの研究をしたくって」
空は、既に将来展望が見えている海に焦る。
「り、陸は? 陸はまだ決まってないよね……?」
陸は空の仲間だよね……?
縋る思いで見上げれば、バツが悪そうに頬を掻く陸の姿。
「ま、まさか……」
「あー、顧問から、さ。ある企業が陸上競技を続けるためのスポンサーになってくれるって話を聞いてさ……」
その企業で働きながら、陸上選手続けるかもしれない。
「……う」
「う?」
「裏切者ぉ!!」
空はわぁって泣いちゃった。