「……さ! そろそろ帰るぞ!」
ぴゃあぴゃあ泣いている空をスルーして、陸はひとつ手を叩いて場を仕切る。
「そうだな。そろそろ部活も終わり始めるから……。空、ほら、立てって」
「陸は空の仲間だと思ってたのにぃぃぃ」
ノロノロ立ち上がって尚泣き言を言う空の両脇を、陸と海が掴み上げる。
「じゃ。俺等帰るから」
「うん。空ー、また明日ー」
「ま、また明日、空ちゃん……!」
「むんー。ばいばーい」
ズリズリ引き摺られて廊下を歩く。
歩いているのは陸海のふたりで、空は引き摺られて進むのみ……。
空は宇宙人になったのだ。
「海、県外出るの?」
引き摺られ、視界に映るのは床しかない。
空は、雑談みたいに海に聞いた。
「さっきからそう言ってるでしょ。言っとくけど、自宅から通える範囲にあるならそっちを選んでたから」
「そっかぁ……。空たちと離れたくなったわけじゃないんだね」
「まさか。花もこっちにいるのにそんなこと思うわけない」
海が鼻で笑った気配がする。
「花ちゃん元気? 最近会えてないから」
「元気。勉強頑張ってるみたいだよ」
どうやらお付き合いは順調に進んでいるらしい。
空にお姉ちゃんができるのも、時間の問題ではなかろうか。
「お付き合い四周年おめでとう」
「ありがとう」
引き摺られるまま靴箱へ。
「ほら、空。靴くらい自分で履きなよ」
「むんー」
肩から外されてのたのた空の靴箱へ。
「天嶺、ちょっと」
行こうとした所、背後から声がかかった。
「はい?」
「あ、空の担任の先生」
「……空、何かやっちゃった?」
陸、海、それから空。
まるで打ち合わせたように綺麗に振り向き、綺麗に揃う空たちの返事を見て、空のクラス担任の先生は口元を引き攣らせていた。
「えぇっと、天嶺空だ。進路相談室まで来なさい」
「えっ、空、何かやった?」
えっ? えっ? と戸惑う抵抗もむなしく、空は進路相談室へ押し込まれた。
「えっ、校長先生? ……と、誰?」
中には最近頭頂部が寂しくなったことが悩みの校長先生と、その隣に明らかカフウ皇国の人間ではない、外国の風貌をした男性が座っている。
『はじめまして、空。会えて嬉しいよ』
ヒデ語だ。
ヒデ語を扱う彼はフレンドリーに握手を求めてくるけれど、空は怪しいって思ったから拒否をする。
『え、誰ですか? なんで空の名前を知ってるの?』
『おっと失礼! 自己紹介を忘れてしまったね』
彼はおどけて両手を大袈裟に上げる。
『ボクの名前はアルス。アルス=マオ=リザレン』
『……ヒデリアっぽくない名前だね?』
『おっ、分かる?! 僕の出身は、実はアビオ公国なんだ! さすが、花が言っていただけのことはあるね!』
花ちゃん?
どうしてここで花ちゃんが出てくるのか分からなくて、空は思い切り首を傾げた。
【えーと、アビオならこっちの方が話しやすい? もしかして】
『わぁ! ウソ! 僕は今、夢でも見ているの?!』
昔、トランジットで寄った国の名前が出てきて、もしかしたらと思ってその言葉を試してみたら、彼はヒデ語で大きく喜びを表現している。
【ごめんね、まさか、ここでアビオの言葉を聞けるとは思ってなかったから……。もう二度と聞くこともないかもしれないって思っていたから、嬉しくて】
ガラリと言葉が変わった。
彼はアビオの言葉で話しかけてくる。
【これはどこで覚えたの?】
【昔、トランジットでアビオに少しいたから、その時に】
【トランジット? 数日滞在していたのかな?】
【ううん。あのときは、空港の滞在も含めて八時間くらい】
【……なんだって?】
途端、彼は険しい表情を浮かべる。
少したじろぐ。
【八時間? 八日じゃなく?】
【は、八時間だよ。音を聞いていたのは】
【……空、君はどうやって言葉を覚えている?】
彼、アルスの目に灯る色が変わったのを肌で感じる。
うまく言えないけど、狩人みたいな。
【どうって……。旅行で行く国が決まったら、その国の言葉を本で見ておいて、現地でたくさん音を聞いて……。それで覚えてるけど】
【……文字のインプットはどのくらい?】
普段言葉を覚える時の予習を思い出す。
【その国の言葉で書かれた本を一冊】
【ふ……】
彼は手で顔を覆い俯く。
その姿勢で肩を震わせ始めるものだから、空はちょっと離れた。
【……ふっふふ、はっはっはっ!】
【うわ、なに】
いきなり大声で笑い始めた。
え、何この人。
【まさか、まさか! ボクは都合のいい夢を見ていると言われても信じてしまいそうだ! 現代に! ボクの眼の前に! 彼女のような人が現れるなんて!】
額に手を当て高笑い。
空は空を連れてきた先生を盾にして隠れた。
「帰っていい? 先生、空、帰っていい?」
「いや、待て待て。一応校長に頼まれて来たんだ、もう少し待ってくれ」
「でも空、この人怖いよ」
空、今、すっごくビビってる。
自分で言うのもなんだけど、肉食獣に追い詰められたうさぎみたいにプルプルしていると、ようやく笑いが収まった彼が、謝罪しながら手を出してくる。
【申し訳ない! 信の置ける学生からの情報とは言え、目の前で見るまで信じられなかったものだから!】
【信の置けるって、花ちゃんのこと?】
【そう! 今年入学してきた、ここの卒業生、和久井花から、君がいると聞いてボクはやってきた!】
学生と聞いて、ピンときた。
この人、もしかして。
【ボクはチェーロ国際大学で教鞭をとっている、言語学教授のアルス=マオ=リザレン! 空。君をうちの大学にスカウトしに来たんだ】