目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第59話 もしも快晴を言葉にするなら 4

〔ほい、茶〕

〔ありがとー。これ、何のお茶?〕

〔裏の畑で採れた茶葉を、のやり方で焙煎したものさ〕

〔おばあちゃんの手作り?! すごい! あっ、おいしい!〕

【……】


 音のない空間の中、空は招いてくれたおばあちゃんとひたすらする。

顔の表情筋を動かして、目の下の動き方で、アルファベットABCに類似する要素を使って、言葉を形作っていく。


【……空、空は彼女の言葉……でいいのかな? それを理解できているのか?】

【うん】


 おばあちゃんに、ちょっと待ってねって言ってから教授の方に振り返る。

教授は、しばらく何か考え込んだ様子で、よし。と声を出した。


【空、彼女との間の通訳をお願いしてもいいかい?】

【まかせて】


 ぐっとこぶしを握り、ガッツポーズみたくして、教授に答えた。


〔その男はあんたの……オヤジか?〕

〔ううん。ちがうよ〕


 空はおばあちゃんの言っていることを教授に伝える。

教授は少し面食らった表情を浮かべたけど、咳払いひとつですぐに気を取り直した。


【マダム。ボクの名前はアルス=マオ=リザレン。大学で言語学を教えています】

〔おばあちゃん。この人はアルス=マオ=リザレン。大学ってとこでね、言葉の先生をやってるの〕

〔けったいな名前だね〕

【けったいな名前だって】


 教授、なんか唸ってる。

【通訳ってこんな感じだっただろうか?】って悩んでる。

ごめんね、空、通訳の人と会ったことないから分かんない。


〔それで、なんだい。その先生とやらは、何をしに来たんだい?〕

【何をしに来たの? って】

【ボクは、今はもう使い手の少ない希少な言語を研究するために、こちらに来ました】

〔えっとねぇ、使う人が少なくなっちゃった珍しい言葉を研究しに来たんだよ!〕

〔そうかい、そうかい。なら、あんたたちは幸運だったねぇ〕

〔え? なんで?〕

の言葉は古ーい古ーい昔から使われている言葉だけどねぇ。今はもう、使い手は一人しかいないんだよ〕

〔それがおばあちゃん?〕

〔そうだよぉ〕


 そのまま教授に伝えると、興奮で叫びだしそうな口を慌てて両手で塞いでいた。


〔教授嬉しそう〕

〔それはよかった〕


 おばあちゃんはお茶を飲んで、喉を潤している。

落ち着いてきたら、室内にも余裕をもって目を向けられるようになってきた。


 木でできたあばら家。壁にも屋根にも穴が開いているから、天気悪いときとか寒いときとか大変そう。

使われている食器も少し汚れてる……。お茶はおいしいけど。


(外の国だと衛生が重要視されてないところもあるって聞くし、これがここの普通なのかも)


 教授は気付いてないっぽい。あとでママに、胃薬教授にあげるように言おうかな。


〔それなら、昔話でもしてあげようかねぇ〕

〔いいの?〕

〔サービスじゃ、サービス〕


 おばあちゃんは茶目っ気のある顔で笑う。


【教授】

【なんだい?!】

【おばあちゃん、昔話をしてくれるって】

【なんてことだ! 神よ、ボクにこんな機会を与えていただき感謝します!】


 教授が叫んで、大仰に天を仰いで神様とやらに祈り始めちゃった。


〔そうしたら、話し始めようかねぇ……〕


 おばあちゃんは、ぽつり、ぽつり話し始めた。


 ――昔、この国はひとつの民族だけが暮らしていた。


 その民族は声を発さず、表情のやり取りでコミュニケーションを取っていた。

現代に生きる人たちが真似できないような、複雑な表情さえも作れたという。


 平和だった。でも、陸繫がりの大国が攻め入ってきてしまった。

大国は、思想をまず統一したがった。その民族が信仰している神の像や、協会と同じ役割を果たす施設を焼き払い、大国の神を信仰するよう強制してきた。


 同時に、その国の言葉も奪われた。

表情だけで会話をする彼らは、今まで使ったことのなかった喉と声を使い、やがて表情の筋肉も退化していった。

 この国に数多の民族が生まれた理由は、言葉を使う異民族が交わり、独自の言語を生み出していったからであった。


 けれど彼らは、細く細く次世代に言葉を伝え、家の裏に穴を掘った。

その穴に祭壇を立てた。ばれないようにひっそりと、彼らは己の神に祈りを捧げた。


 奪うことしかしない大国へのささやかな抵抗。

それは今日まで連綿と続く。

そして今、その残骸はこの国の至る所に存在すると言われている――


「ほへぇ」


 空は今、放心してる。

教授に昔話を時間をかけて伝えたら、教授も言葉をなくしている。

おばあちゃんは一人、ほっほっほなんて言いながら、のんびりお茶を飲んでいる。


〔これが、伝えられる言えるすべてさ〕

〔おばあちゃん……〕


 空は考えた。

おばあちゃんは、どんな気持ちでこの言葉をずっと覚え続けてきたんだろうって。

だれも一緒に話せる人がいない中で、ずっと一人で、だれとも会話を交わすことができない言葉を、ずっと。


(まるで呪いみたい)


 昔々の、空がまだ生まれてもいないずっと昔から、未来の子孫をずっと苦しめる呪いだ。


 空がしょんぼりしていると、おばあちゃんが空の頭を撫でた。

しわしわでごつごつしている、長い時間を生きてきた手だった。

それが、どれほどの孤独を、って考えて、空はちょっぴり泣いちゃった。


〔落ち着いたかい?〕

〔ゔん〕


 おばあちゃんがゆっくり微笑む。

外のお日様はもう傾き始めていた。


【長居してしまったし、そろそろ帰ろうか、空】

【うん。あ、ちょっと待って】


 おばあちゃんに挨拶をしようと思って教授を引き留める。


〔おばあちゃん、空、そろそろ帰るね〕

〔そうかい。寂しいねぇ〕


 名残惜しそうに握手を求めてきたおばあちゃんは、最後に何か聞きたいことはあるか? って聞いてきたから、空はずっと気になっていたことを聞いてみた。


〔おばあちゃん〕

〔なんだい?〕

って、なあに?〕


 おばあちゃんが笑う。

顔にたくさんあるシワが、うんとうんと深くなって、おばあちゃんの目を埋もれさせた。


〔もうい国の、最後の名前だよ〕


***


【いやぁ……】


 教授が深い深い溜息を吐いている。


【すごい話を聞いてしまったねぇ】

【ほんとにねぇ】


 空たちは、山を下りた麓の市場で、飲み物を飲んで一休みしていた。


【学術的に本当に貴重な話ではあったし、希少言語だったはずが、絶滅間近の言葉だったとは】


 教授の言葉はとても、のしかかるような重みを含んでいる。

だけど。空は教授に違うと否定した。


【絶滅しないよ。だって、空が覚えているから】


 教授はちょっぴり寂しそうに笑った。


【……そうだね。言葉は、無くならないね】


 どうして教授が寂しそうなのか分からなくて、少し気まずくて。


【空、何か食べ物買ってくるね】


 逃げるように、近くの果物を売っている屋台に走った。


『おじちゃーん、これいくらー?』

『おー、らっしゃい。これはー……悪い、値札外れてたな』

『じゃあ、これで。多分ちょうど』

『いち、に……ちょうどだな、毎度』


 この国は、少数民族が使う言葉がたくさんあるけれど、多くの人が使う公用語はヒデ語だ。

……多分、攻め入った大国って、ヒデ国。ヒデリアって国。


『ねえ、おじちゃん! この辺にさ、珍しい言葉を使う民族の人っているかな?』

『お? んー、もっと離れたところには知っているけど……。おーい』


 おじちゃんは店の奥に大声で叫んだ。

奥から女の人の声が聞こえてくる。


『奥さん?』

『そ。オレの妻』

『美人じゃーん。おじちゃんやるぅ』


 このこのーってふざけると、よせやい、なんて言いながら嬉しそうなおじちゃんがいた。


『で、何で呼んだんだい?』

『あー、この嬢ちゃんが、珍しい言葉を使う人がいるかって』


 おじちゃんが伝えると、奥さんも少し困ったように眉を下げた。


『うーん、もしかすると山の人がそうだったかも……しれないけど……』

『あの山の上?』


 空が山を指さすと、奥さんはでも、と口ごもっている。


『あの山に住んでたおばあさんなんだけど……』


 すごく言い辛そうにしている奥さんの言葉を継いで、おじちゃんが代わりに言う。


『もう死んでるよ』

『……えっ?』

『一年前くらいだったかな。子供もいないから、しばらく放置された状態で見つかったってよ』

『えっ、でも』


 困惑した。

えっ? 死んでいるって、だれが?


 空の困惑を知らないように、おじちゃんは言葉を止めない。


『残念だけど、今はあのばあさんはいないんだよな……。まあ、一年前に来ても話すのは難しかったと思うぞ?』

『な、なんで?』

『おかしくなってたんだよ。頭。来客来るたびに草刈り鎌振り回して追っかけるもんだからさ。認知症ってやつ? 晩年は行政の福祉課の奴らがたまーに行くくらいで、ほとんどだれも関わらなかったって話だ』


 空は、呆然とした気持ちで山をもう一回見た。

信じられない気持ちって、多分こういうこと。


 だって、本当にそうなら。じゃあ。


(空たちが見たあのおばあちゃんは、誰だったんだろう)

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?