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第60話 それはきっと、あなたの名前をしている 1

「母さん! 空たち帰ってきた!」


 玄関から様子を見ていた海が声を上げる。

バスから二人が降りてきたらしい。

陸が全力ダッシュで二人を迎えに行った。


「え? なに? なんなの陸?」

『空のお兄さんはとてもパワフルなんだね!』


 理解が追い付いていない様子の空と、呑気にはしゃぐ教授。

二人を小脇に抱えて全力で戻ってくる陸の形相は必死だった。


「おかえりなさい! よかった、無事で」

「ママ、どうしたの?」


 感極まって抱きしめた空から困惑の声。


「国境付近の戦闘が激化しているんだ。道中、銃砲とか聞こえなかったか?」


 安心したように溜息を吐き、海は空に問う。

空は首を振った。


「まったく聞こえなかった」


 空が海、それから陸に説明を受けている間、わたしは教授と現状を共有しようと声をかけた。


『教授。ラジオでも情報収集はしていたのですが、国境付近の戦況が激化しているようです。こちら側に流れ込むことは多分ないと思うのですが』

『そんなことになっていたのか』

『はい。なので、だいぶ早い帰還になってしまいますが、明日飛行機に乗って帰ろうと思うのですが、教授も帰りますよね?』


 帰りの便のチケットは人数分確保している。

……わたしとしては、教授も一緒に帰ってほしいのだけれど……。


『……そうだな。名残惜しいけど、命には代えられない。ボクも明日の便で帰還するよ』

『よかった……! 席は離れてしまいますが、人数分のチケットは確保しています。お昼頃の便ですが、早めに安全を確保するという意味合いでも朝、日が出る前に出発しましょう』

『了解したよ。では、明日すぐに発てるよう荷物をまとめてくる』

『こちらも子供たちに荷物をまとめるように言っておきますね』


 子供たちに視線を向ける。

現状を理解したようで、わたしが視線を向けると、不安そうに空がとててて駆け寄ってきた。


「ママ、どうしよ、大丈夫?」


 現状を重く受け止めているようで、体の震えが僅かに伝わってくる。

海と陸も、右と左の袖をそれぞれ、きゅっと摘まんでくる。

わたしの手前、気丈に振舞っていたけれど、内心はとても怖かったみたい。


(それもそうだよね)


 わたし含め、わたしたち家族は、戦争をこの身で経験した人はいない。

せいぜい遠くの国で、どこの国がどこの国を攻撃した。死者は何人、ケガ人は何人出た。両国の偉い人は和平会議をうんぬんかんぬん。

そんなことを、ラジオやテレビの映像や音声越しに、娯楽として消費するだけ。


 それが、こんなに身近に起こっていることを感じて、恐怖を感じない人はいない。


「大丈夫。大丈夫よ。明日の朝、ここを出るからね。そうしたら、安全な場所に行けるから」


 三人をまとめてぎゅっと抱きしめ、安心させるように背中を撫でる。

……腕の長さが足りなくて、陸と海しか撫でられていない。

けれど、二人に挟まれているぬくもりで、空はだんだん落ち着いてきたようだ。


「ぬくぬくー」


 不安を誤魔化すためか、それとも本当に落ち着いていつもの調子に戻っているのかの判断はつかない。

つかないけれど、へにゃんと顔を崩す空を見て、もう平気だろうと思い体を放した。


「さ! 明日すぐに出かけられるように、荷物まとめておいで」


 号令をかける。

三人は、ゆっくり部屋に戻っていった。


『お母さんだね』


 にっこにこ、微笑ましさを前面に押し出した教授がわたしを見ていた。


『なにか?』

『おっと、別の意図があったわけじゃないんだ。ただ、ボクも母に会いたくなったなって思っただけさ』

『母国が遠いんですか?』


 教授は、ふ、と寂しそうに笑う。


『紛争地域になってしまってね。不法侵入を防ぐために、出ることも入ることも難しくなってしまったんだ』

『あ……』


 教授は、戦争に巻き込まれた人だった。

だからか。国境付近で交戦があったと聞いたのに、三人に比べて妙に落ち着いているように見えたのは。


『ま、ここでボクがじたばたしたって世界は少しも変わらない。だったら、命を繋いで少しでも長く生きる方が、人生はきっと楽しくなると思うんだよ』


 彼はとことんまでポジティブに言ってのける。


『……その考え、いいですね』

『だろう? 真似したっていいんだよ』

『考えときます』


 安心させるように歯を見せて彼は笑う。

わたしも微笑んでそれに答えた。


「なに内緒話してるのー?」

「わっ?! 空。荷物はまとめたの? ……あとその服は?」


 ぬ、と現れた空にびっくり肩を跳ねさせる。

あまりにも気配無くやって来た空は、あの冒険家のコスプレをしている。

空は胸を張って、いいでしょ! と自慢してくる。


「陸に着て来いって言われたの!」

「え、陸?」


 首を傾げる。

外で冒険家の衣装が映えそうなところはあったけど、外は少し危ないかもしれないから、今晩は室内に籠るって話はしていたはず。


 疑問を抱えていると、カメラを手にした陸と、その後ろから海が出てきた。


「外には出られないけど、部屋の中で写真を撮るくらいはいいと思ってさ」

「集合写真撮ったらどうかって、陸と話していたんだ」

「発案は海。実行は、俺」


 自分を親指で差す陸は、得意げにカメラを構えている。


「空は映えるところでの記念撮影は我慢してもらって、集合写真でいいよな?」


 陸の確認。空は元気よく頷いた。


『うーんん、写真って聞こえたけど……家族写真かい?』


 教授が、それならボクが撮ろう。と名乗り出たけれど。


『えっ? 教授も一緒に映らないの?』


 空が心底不思議そうに問いかけていた。


『いや、家族に混ざるには、少し毛色が違わないかい?』

『今回旅行した人の集合写真でいいじゃん。教授も入ってよ。いいよね、ママ?』


 いいよね? と空が聞く時は、必ずそうするけど、が頭に付くことが多い。

わたしは肩を竦めて、いいよと答えた。


『やった。じゃあ教授、そっちそっち!』


 空は嬉しそうに教授の背中を押していく。

その動きを見て察することがあったらしく、陸は仕方ないなぁ、なんて言いながら、部屋から三脚を持ってきていた。


「空真ん中!」

「じゃ、俺、空の左」

「僕は反対行く」


 ぎゅうぎゅうと真ん中を陣取る三つ子たちに、わたしと教授は顔を見合わせて、思わず笑い合った。


『どうします?』

『なら、僕は右端をもらおうかな』

『わたしは左端ですね』


 教授が位置に着いたのを見て、わたしは三脚に付けられたカメラをタイマーに設定する。


「カウント十秒!」


 小走りで陸の隣へ。

にっこり笑顔を作り、カメラのシャッターを待つ。


「さーん、にー、いーち!」


 空の元気なカウントダウン。

一瞬の間を置いて、カメラのシャッター音が鳴る。


「撮れたー! 陸、見せてっ、見せてっ!」

「わーったわーった。ちょっと待てって」


 陸が写真を確認している。

それを覗き見る空が、わーって声を上げる。

海がさらにのぞき込んで微笑む。


「ママも見て!」


 空に促されるまま覗き込んだ画面には。


「いい写真ね」


 笑顔のみんなが切り取られて、褪せることなくそこに残っていた。

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