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閑話 枝分かれした運命の 

 私は今、ものすごい気が立っている。

生徒がモーセのように左右にはけていく。

きっと、今の私の表情が、そうさせてしまうほどに凄まじいものである証左だろう。


 けれど、今の私にはそれっぽっちのこと、まったく気にもならなかった。


(まったく。まったく、まったく、まったく!!)


 足を踏み鳴らし、廊下を進んだ先にある、とある教授の部屋を開ける。

勢い余って、扉が壁に打ち付けられた。


『ウワッ?! ビックリした、花くんか』

『頼まれた資料デス! こちらニ置いておきマスね!』

『うんうん、最近の花くんのヒデリア語はちゃんと通じるようになってきたね。いいことだ』

『アリガトウございまス!』


 大学に入って初めて学び始めたヒデ語は、あの三つ子の妹、空ちゃんレベルには程遠いけれど、なんとかカタコトながら使い物になるようになってきた。


 教授からは、まだまだ伸びしろがある、との評価。

一層奮起することを誓った。


 資料を置いた机の上は、乱雑に置かれた片付いていないメモ書きの束。

周囲にはたくさんの本が几帳面に詰め込まれた本棚。机と本棚のギャップがすごい。


 雑多にも見えて綺麗にも見える、まるで美術館の抽象画のような部屋にいるのは、言語学の、アルス=マオ=リザレン教授。

先程までコーヒーでも飲んでいたのか、濃い残り香が漂っている。


『なんだかとてもカリカリしているね? 嫌味でも言われたのかい?』

『言われてませン! 男ってやつはって思ってただけデス!』

『なんだ、海くんか』

『なんでバレてるンですか?!』


 訳知り顔で頷いた教授へ、驚愕の声ひとつ。

彼はしれっとネタバラシをした。


『空から聞いていたからね。花くんと海くんが恋人同士ってことは』

『空ちゃん……!!』


 まさか身内から刺されているとは思わなかった。

ガックリ肩を落とす真似をすると、教授がケラケラ笑いながら言う。


『ボクが強引に聞き出しただけだよ。話を誘導したらあっさり溢しちゃって』

『空ちゃんは、絶対知略謀略に向いていないと思いマス』

『うーん辛辣。ボクも同意見』


 軽い調子で同調する教授が、それで、と話を戻す。


『花くんはどうしてそこまで憤っていたんだい?』

『聞いてもらえますか?!』


 私は自分でも気付かないうちに、誰かに話したい欲が高まっていたらしい。


『海ってば、お葬式の後いきなり別れようって言ってきたンですヨ!』


 頭に血が上っているのがわかる。

こっちの意見も聞かないで、理由さえ教えてもらえずに一方的に告げられた別れほど、神経を逆撫でるものはない。


『ぜぇっったい! 地元から離れて別の大学でカワイイコとチョメチョメ楽しむつもりで私を振ったんデスよ! そうに決まってマス!』

『あれ、花くん、君、聞いてないのか?』


 驚いた教授の呆けた声。

動きが止まる。


『聞いてない……って』


 問い質す。

教授はどこか残念そうな声音で言葉を落とした。


『彼ら、みんな、自分たちに示された進路をすべて蹴って、別の道を選んだんだよ』

『……え』


 聞いてない。

だって、あのお葬式から海から別れを告げられて。

メッセージも既読が付かなくて。

海はおろか、陸くんも、空ちゃんでさえも何も言ってくれなかった。


(私は、何も聞いてない)


 彼らの、彼女のでいたつもりだった。

類稀なる才能をその身に宿して、それでも尚平然と生を歩めるあの子らの。

親を亡くして悄然としているあの子らの、力になるつもりだった。


 話、聞くよ。遊びにだって付き合ってあげる。

あなたたちの豪雨で荒れ狂う心の中が、快晴で満たされるまで、長く、永く付き合っていくつもりだった。


 だのに、三人は勝手に立ち上がっていた。

自分の足で、自分の思いのまま、自分たちの進むべき道を、自分たちで選び取った。


 喜ぶべき成長に、一抹の寂しさを覚えるのはなんでだろう。

両手を挙げて祝福の言葉を投げかけるべき場面で、これだけ悲しいのはなんでだろう。


(私、そんなに頼りない?)


 せめて、せめて。

相談はなくてよかった。ただ、こっちの道に進むよって、雑談だけでも欲しかった。

友達として、彼らの道を知りたかった。


『……三人は、自衛軍の士官を養成する、士官学校を志望したよ。卒業後は将来、軍の中枢に立つであろう士官候補の軍人として、任務を熟していくだろうね』


 絶望にも似た方針を、顔を歪めてみる教授。

彼は何を思っているのか分からない。

内心はわからないけれど、彼が指を目の前に立てたことだけは分かった。


『君は、これからどうする?』

『どう……するって』

『幸いと言うべきか、残念と言うべきか。埋まる予定だったボクの助手枠が一つ空いているんだ』


 教授の机に散らばった紙が目に入る。

それは、真っ白な髪をした、快晴の空のような彼女が残した、遣い手がもういなくなる最後の言葉、その記録。


 律儀にも、お葬式の後に度々訪れては、細々と研究に協力していたらしい。

その間一切出会うことは無かったけれど。


『もちろん、すべては卒業してからの話さ。けれど、君にはその道も用意されていることは覚えておいてほしい』


 教授はそう言ってくれるけれど、きっとその席に一番欲しかった人は、それを選んではくれなかった。


『わ、たし……は……』


 私が。私自身が選ぶ道は。

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