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閑話 鯨の瞳をした男

 カチカチ。カチカチ。時計の針が進む音。

カリカリ。カリカリ。紙にペンが走る音。

パタパタ。パタパタ。誰かが廊下を走る音。


「お茶入ったっすよ。そろそろ休憩にしましょ」

「その前に扉を足で開けるんじゃない」


 いつもの癖を披露する部下に、私は深くため息を吐いて立ち上がる。


 ここはカフウ皇国大使館。

隣国の紛争が激化した煽りを受けて、国の一部が戦場に変わってしまった、不運な国の、その内部に建てられた、カフウ皇国の大使館。


「……それで、あれから巻き込まれた民間人の中に、カフウ皇国の者がいると連絡はあったか?」

「まだ無いっすね。一応暇を見てはオレも外に出てみているんっすけど、ここの国の国民ばかりで、あとは稀に他所の国の観光客がチラホラ。その中にカフウの者は居ませんでした」

「……そうか。報告ご苦労」

「いいえー。では、また調査の進展等ありましたら、報告いたしまっす」


 どこの組織出典なのかが分からない、アレンジが随分利いている敬礼を披露した部下。

彼は踵を返すこと無くその体勢のまま背後に後ずさって、最終的に扉を開いた。


(仕事もできる愉快な部下なんだが。態度から不真面目に見えるのがいかんな)


 現に、あの部下のチャラチャラした態度に眉をしかめる別の部署もある。


(私は問題を起こさずに仕事ができていれば関係ないと思うんだがな)


 眉間に寄ったシワを揉みほぐす。

しばらく鏡は見ていないが、ずいぶん深くなってしまった気がする。


(戦争区域になってしまった場所の、自国民の避難支援……だけだったらどれほど楽だったか)


 実際は、現地政府との調整やらなんやら、やることが多い。多すぎる。


 本日何度目のため息を吐く。

大きく反らした背中、頭の後ろ。両目は背後の窓を見る。

真っ青に晴れた空に、飛行戦闘機が何機も飛び交う異常事態。


 その色彩に、カフウ皇国まで送還した、三人の子どもを思い出した。


 男二人、女一人の兄妹と言っていた。

ずいぶんと、遺伝子の不思議を感じる、神秘的な色彩をした子どもたちだった。


 彼ら、彼女は、不運なことに親を亡くした子どもたちだった。

ただバカンスを楽しんでいただけで、敵国兵士に母親を殺された子どもたちだった。


 母親は、宿泊場にあった秘密の隠し空間に、子どもたちと同行者を押し込んで、自らはそのまま凶刃に伏した……。


 私が母親の行動で理解し難かった行動は、なぜ逃げなかったのか。

よしんばその隠し空間が満員だったとしても、家の中で隠れられるところなど無数にあっただろう。

調査の中で、林も付随している裏庭もあったと言うし、その中に紛れ込めば生き残る可能性は格段に上がっただろうに。


(思いつかなかったか。……それとも)


 母の愛。とでも言うのだろうか。


(考えても人の内面など分からんよ)


 生まれてしばらく。物心ついた頃に親には売られた。

売られた先で、さらに外国に売り払われた。

好事家どもに好き勝手される運命を辿るかに思えたが、買われた先の好事家が、よほどの悪事を働いたらしい。

その国の警察が押収に入り、ついでに不正に買われた私も保護してもらえることになった。


 保護された先では、当面の食い扶持を保つため、軍に加入させられた。

兵役中は収入が入るため、コツコツ貯め続けることで、兵役終了後それを元手に一人で自立できるだろうという、大人たちの算段。


 誤算だったのは、私の資質。

どうも、この道が天職であったらしい。

それだけの素質が私にはあった。


 本来であれば兵役を終え、自由にできる年月が経っても、私はそこに居続けた。

そうして十年くらい前。ようやくカフウの軍が、違法に売られた私を見つけた。

彼らは私が所属していた軍と何かしらのお話をし、私はカフウに帰ることができた。


 そんな私だから、親の愛というものはとんと分からない。

けれどあの子達は、それをふんだんに与えられて育ってきたようだ。


 でなければ、親が死んだくらいで、あそこまで。

目が溶けてしまうくらいに。この世の全てを殺しそうな顔をして。喉が枯れ、声が出なくなるくらいに叫んでも、まだ足りないと尚叫ぶように。

そこまでして大泣きはしないだろう。


 心配なのは、三人のうちのひとり。

恐らく双子の、ハーフカラーの男の子、その一人。

スポーツ刈りをしている方ではなく、髪の長い、ひとつ縛りの男の子。


 彼は、他の二人が激情を露わにしているときでさえ、一人静かに冷静に、状況の分析をしていた。

次起こす行動を、彼らに代わり考える様は、一言で言えば異質であった。

ただの歳の割に落ち着いた子供と思えばそうであろうが、私はに末恐ろしさを感じてしまった。


 ――「母君については不運だった。けれど君たちが無事でよかったと、我々は心から喜んでいる」


 そう言ったあの日。

兄妹二人を扉のこちら側から見ていた彼は、ゆっくりと振り返り、ゆったりとした口調で問いかけた。


「本当にそう思いますか」


 そうして、同じくらいゆったりと簡単な動きで、再び自身の肉親へ視線を向けた。

その時の彼の興味は、とっくに兄妹にしかなく、あの瞬間、彼の中で私は路端の石と位置付けられたことを肌で感じた。


「それ、あいつらの前で絶対に言わないでくださいね。これ以上、無神経な周囲に振り回されたくないので」


 まるで鯨のような瞳だった。

何もかもを見透かすような、落ち着いたとか、理性的なとか、言葉を繕えば色々と言えてしまうあの瞳を、無機質なものに感じてしまった。

感情を映さない、まるで人ならざるものの瞳。

全てを見通される、闇のような深さを持った、色違いの二つの瞳。

私はあの目に、肝が心底縮み上がるような恐ろしさを感じた。

彼の中の、何かのトリガーを引いてしまえば、躊躇ためらいなくそれを撃ち抜いてしまう、躊躇ちゅうちょのない恐ろしさを。


(せめて、どうか)


 私に出来ることは、人には理解出来ない鯨の瞳を持った彼が、それを誰にも向ける暇が無いくらい、めいっぱいの幸せの中で流されることを祈るだけ。


 人生の不幸を一つ体験してしまった、あの子たちの幸せを祈るだけ。

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