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第二話『少将様からの頼みごと』

 京の都は門によって区画が分かれていた。

 名家である高篠の当主である是実は毎朝邸宅から牛車に乗り仕事へと出かける。

 都の真ん中、中央通りである朱雀大路すざくおおじを北上して朱雀門すざくもんをくぐると。そこはもう大内裏。帝と貴族がおわすまつりごとの中心部だ。

 そこをさらに進んで応天門おうてんもんをくぐると、朝議ちょうぎを執り行う朝堂院ちょうどういんが聳え立つ。選ばれた公卿くぎょうだけが参内さんだいを許される。 

「納得がいきません」

 そんな、朝のお仕事のために内裏だいりへと向かう是実に対して、呉乃は一切の不満を隠すことなく言葉を突き付けた。

 控えるべきところでは控え、されど自分の意思はしっかりと主張する気の強さ。それが呉乃を気に入って傍に置いている理由だ。

 是実は牛車のかすかな揺れに身を任せながらたおやかな笑みを浮かべる。

「私の命令だ。なにが納得いかない?」

「なにもかもです。是実様」

 冷たく鋭い声で素早く言葉を返す呉乃。そのまっすぐなまなざしに秘められた意志の強さに是実は肩を揺らして笑う。

「なぜ私のような端女はしためが是実様の出仕しゅっしについていかなければならないのです」

「お前は私の側女そばめだ。いついかなるときも主人のそばにはべり務めを果たす。違うか?」

「その通りです。しかし内裏にまで出る者などいません」

「なにも朝堂院までついてこいというわけではない。牛車に控えていればよい」

 当たり前だと呉乃は心の中で吐き捨てる。自分のようななんの身分もない女が帝のおわす内裏の中枢までなど、命を捨てるようなものだ。

 そもそも牛車に控えていたとて、もしも誰かに見つかってしまったらそれこそことである。呉乃だけではなく主人である是実まで正気を疑われてしまう。

 こうなったら牛車にこもりきりでやり過ごすほかないだろう。呉乃は目を伏せて息を吐き、うんざりといった調子で首を横に振った。

「出仕のともをするのはもう、分かりました。諦めます。しかし、ならばせめて牛車から降ろしてください。何度も言いますが私のような端女が主人あるじと共に牛車で参内など、他の公達に気でも触れたかと思われます」

「それも無理な相談だ。女人にょにんに労を強いて私ばかりが楽をするのは本意ではないからな」

 しゃくで口元を隠しながら是実が言う。なら今の状況はなんなんだと思う呉乃だったが、貴人に正論は通じない。これも諦めて肩を落とす。

「それに実はそなたを連れてきたのはわけがあってだな」

 気持ちを切り替えて、主人が出仕している間の暇つぶしを考えていると是実が妙なことを言い出した。

 ただの側付きの女官にょかんである呉乃を内裏にまで引っ張り出してきたのだ。さぞ特別な用事なのだろう。

「今日私がみかどからお召しになったのはある騒動に関してだ」

「帝直々のお召しですか? 内裏でなにか良くないことが?」

「いや、おそらく呼び出したのは宗通むねみちだろう」

 嫌悪感を隠さずに吐き捨てる是実。出てきた名前に呉乃もまた眉間に皺を寄せる。

 藤原ふじわらの宗通むねみち。この京の都を取り仕切る太政大臣だじょうだいじんであり、今の帝の後見こうけんでもある。京の都を席巻せしめようとしている藤原の当主だ。

 帝の祖父という地位を利用し、さらに自身の孫娘を帝のもとへ入内じゅだい女御にょうごの地位に就かせて政の中心部であるこの大内裏を藤原北家ほっけで席巻しようとしている。

 老獪な政治家である宗通は齢七十を過ぎてもなお、強い影響力を朝廷に及ばせていた。

 そんな『藤原』そのものである宗通からの呼び出しだ。家柄的に『反藤原』である是実にどんな無理難題を吹っ掛けてくるのか。

「なんでも、巷で騒ぎとなっている『髪切り鬼』についてらしい」

「……かみきりおに? なんですかそれは」

「いや、私も仔細しさいはまだ分からなくてな。なにせ内裏で噂になったのがつい最近のようだ」

「はぁ……それで、その鬼を捕まえろとでも?」

「まだ分からん。ただ、面倒なことになりそうなのは間違いない」

 躊躇うことなくため息を吐く是実。嫌という字が顔に浮かんで見える。

 気の毒だとは思うが、それ以上に呉乃はうんざりしていた。

 是実がわざわざ牛車に乗せてまで呉乃を連れてきた理由。それは今言った『髪切り鬼』とやらについて調べろということなのだろう。

「そこでだ。私が出仕をしている間にそなたは検非違使けびいし庁へ赴き、鬼とやらの情報を集めてほしい」

 そう言って是実は袖から一枚の紙を取り出した。

「この書状は……」

 いわゆる信用状だった。この者には密命があり、そのために動いている。権少将ごんのしょうしょうの名において検非違使庁への立ち入りならびに調べを許可する。とのことだ。

 これさえあれば女官がひとりで検非違使庁を訪れても問題ない――なんてことはない。

 いくら権少将からの書状があるとはいえ、役所はそう甘くないのだ。

 それは是実自身よく分かっているはず。呉乃が書状を見下ろして眉をひそめていると、主人あるじが「なに」と言ってくる。

「これだけで検非違使庁に入れるとは私も思ってはいない。私の直属の部下にはそなたのことを話してある。この書状を出せば通してくれるはずだ」

「そういうことでしたら……まぁ、やりますけど」

「頼りにしているぞ。紅袖よ」

 尊大な表情で微笑む是実。女殺しのその微笑みに呉乃は隠すことなくため息をつき、ついでとばかりに頭を下げた。

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