京の都は門によって区画が分かれていた。
名家である高篠の当主である是実は毎朝邸宅から牛車に乗り仕事へと出かける。
都の真ん中、中央通りである
そこをさらに進んで
「納得がいきません」
そんな、朝のお仕事のために
控えるべきところでは控え、されど自分の意思はしっかりと主張する気の強さ。それが呉乃を気に入って傍に置いている理由だ。
是実は牛車のかすかな揺れに身を任せながらたおやかな笑みを浮かべる。
「私の命令だ。なにが納得いかない?」
「なにもかもです。是実様」
冷たく鋭い声で素早く言葉を返す呉乃。そのまっすぐなまなざしに秘められた意志の強さに是実は肩を揺らして笑う。
「なぜ私のような
「お前は私の
「その通りです。しかし内裏にまで出る者などいません」
「なにも朝堂院までついてこいというわけではない。牛車に控えていればよい」
当たり前だと呉乃は心の中で吐き捨てる。自分のようななんの身分もない女が帝のおわす内裏の中枢までなど、命を捨てるようなものだ。
そもそも牛車に控えていたとて、もしも誰かに見つかってしまったらそれこそことである。呉乃だけではなく主人である是実まで正気を疑われてしまう。
こうなったら牛車にこもりきりでやり過ごすほかないだろう。呉乃は目を伏せて息を吐き、うんざりといった調子で首を横に振った。
「出仕の
「それも無理な相談だ。
「それに実はそなたを連れてきたのはわけがあってだな」
気持ちを切り替えて、主人が出仕している間の暇つぶしを考えていると是実が妙なことを言い出した。
ただの側付きの
「今日私が
「帝直々のお召しですか? 内裏でなにか良くないことが?」
「いや、おそらく呼び出したのは
嫌悪感を隠さずに吐き捨てる是実。出てきた名前に呉乃もまた眉間に皺を寄せる。
帝の祖父という地位を利用し、さらに自身の孫娘を帝のもとへ
老獪な政治家である宗通は齢七十を過ぎてもなお、強い影響力を朝廷に及ばせていた。
そんな『藤原』そのものである宗通からの呼び出しだ。家柄的に『反藤原』である是実にどんな無理難題を吹っ掛けてくるのか。
「なんでも、巷で騒ぎとなっている『髪切り鬼』についてらしい」
「……かみきりおに? なんですかそれは」
「いや、私も
「はぁ……それで、その鬼を捕まえろとでも?」
「まだ分からん。ただ、面倒なことになりそうなのは間違いない」
躊躇うことなくため息を吐く是実。嫌という字が顔に浮かんで見える。
気の毒だとは思うが、それ以上に呉乃はうんざりしていた。
是実がわざわざ牛車に乗せてまで呉乃を連れてきた理由。それは今言った『髪切り鬼』とやらについて調べろということなのだろう。
「そこでだ。私が出仕をしている間にそなたは
そう言って是実は袖から一枚の紙を取り出した。
「この書状は……」
いわゆる信用状だった。この者には密命があり、そのために動いている。
これさえあれば女官がひとりで検非違使庁を訪れても問題ない――なんてことはない。
いくら権少将からの書状があるとはいえ、役所はそう甘くないのだ。
それは是実自身よく分かっているはず。呉乃が書状を見下ろして眉をひそめていると、
「これだけで検非違使庁に入れるとは私も思ってはいない。私の直属の部下にはそなたのことを話してある。この書状を出せば通してくれるはずだ」
「そういうことでしたら……まぁ、やりますけど」
「頼りにしているぞ。紅袖よ」
尊大な表情で微笑む是実。女殺しのその微笑みに呉乃は隠すことなくため息をつき、ついでとばかりに頭を下げた。