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第七話『鬼の正体』

 珠江から話を聞いた呉乃は是実と公治、そして女房頭であるなつと共に邸の裏口にある小道を訪れていた。

 先ほど珠江から聞いた足跡の話を聞くためだ。少し歩いたところで確かに足跡が残っている。

「ほう、これが髪盗り鬼の足跡か」

 顎を撫でて是実が身をかがませる。隣に控えた呉乃は咄嗟に彼の袖を引き「お召し物が汚れます」と釘を刺した。

「私も見つけたときは言葉を失いました。まさしく鬼の足。かように大きな足は見たことがありませぬ」

 石敷きの小道に立ったまま公治が言う。そう、呉乃達が見ている足跡は到底人とは思えない大きさなのだ。

「九寸、いや、もしかしたら一尺はあるかもしれません。なつ様、この足跡はなつ様が見つけたのでしたね?」

「えぇ、わたくしが見つけ、旦那様へ報せたのです」

 公治のすぐ隣に控えたまま女房頭のなつが答える。

 それを聞いて呉乃は黙り込んで足跡を見つめ、汚れるのも構わずしゃがみ込んだ。

 足跡付近の土を触り、また歩く。犯人を追うように小道を進み、残っている足跡を丁寧に触っていく。

 全ての足跡を触り終え、欠けた灯篭とうろうと塀の瓦を見つめる。

「すみません、垣根かきねの近くにある石灯籠いしどうろうが欠けていたのですが、あれは奥様が襲われるより前からあの状態でしたか?」

 戻ってきてすぐに質問をする。公治は奇妙なものを見つけたかのように首を傾げ、代わりになつが口を開いた。

「足跡を見つけたときには倒れていました。おそらく鬼が出ていく際に灯篭を足掛かりにして塀を乗り越えたのでしょう」

「……なるほど、確かに近くに足跡がありますね……是実様」

 呉乃は頷いて主人あるじを呼ぶ。その鋭いまなざしに是実はなにか察して歩み寄ってきた。

「いよいよ私の出番というわけだな、呉乃」

「はい、ここに検非違使けびいしを呼んでください。髪盗り鬼はここにいます」

 突然の宣言に場が凍る。是実は驚いて目を丸くし、公治となつは互いに目を合わせてぽかんと口を開ける。

「ここに? どういうことだ? まだ鬼が隠れているというのか?」

「はい、ここまでくれば明白でしょう。情報は揃っています。あとは確認と確保を――」

「待て待て、呉乃。鬼の正体が本当に分かったんだな? だ、誰なんだ? そやつは今どこにいる?」

 呉乃があまりにも当たり前に喋るので、是実は思わず口を挟む。

 またしても呉乃の悪い癖だ。自分が理解していることは周囲も理解できていると思い、説明を省いてしまう。

 なぜそんなことをといった表情で呉乃が視線を返す。是実は観念して「……みなに分かるよう説明してくれ」と呟く。

 そして呉乃はその言葉に応じ、スッと腕をあげてある人物を指さした。

「なつ様、貴女が髪盗り鬼ですね?」

 まっすぐな呉乃の告発に女房頭のなつは目を大きく見開き――かと思ったら怒りに顔を歪ませる。

「なにを言うかと思ったら、おかしなことを」

「みなさまが理解しておられないようなので、いちから説明いたしましょう。まずこの足跡は鬼のものではありません」

 なつの怒りをさらりと躱し、呉乃が説明を始める。しかし勝ち気な女房頭はそれを黙って聞くはずもなく、怒りの表情のまま近づいてきた。

「この端女が! なにを申すか! 今すぐその口を閉じねば――」

「待て、なつ」

 呉乃との距離を詰めようとしたところで、勇むなつを主人である公治が止める。

 困惑しきった顔でなつと呉乃を見ておそるおそる間に立つ。

「なつが鬼などと、にわかに信じられぬ。得心のゆく説明ができるのであろうな?」

 公治の声は震えていた。自身の女房頭を信じていいかどうか迷っているのだろう。

 だが呉乃はそんな感情に気づいていながらも全く気にせず澄ました顔をする。

「話を続けます。まずこの足跡ですが、かなり大きい。ですがこれまで発見された証拠はみな小さい足跡でした。それこそ女子供の足の大きさです」

「ならば此度は本物の鬼なのであろう」

「いいえ、鬼ではございません。そもそもみなさまは『本物の鬼』の足を見たことがあるのですか?」

「なっ、それは……」

「見たことがないな。確かに我らは本物を知らぬ。ならば逆もまた然り、なぜそれが偽物だと分かる?」

 話を進めたのは是実だ。呉乃はジッとなつを睨み、そのまま口を開く。

「此度の鬼は髪以外の物も盗みました。唐物からもの陶硯とうけん、墨、鉛丹えんたんが入った小壺、公治様が珠江様に贈られた扇、おそらくこれは人間の、それも賊の犯行と見せかけたのでしょう」

「なぜそんなことを? 鬼の仕業にした方が都合がいいだろう」

「鬼だろうと賊だろうと、ようは外からの仕業だと思わせられればどちらでも構わなかったのです。しかし、そのせいで過ちを犯してしまった……大きさを無視したとしてもこの足跡にはまだおかしい点がふたつあります。ひとつは綺麗すぎること。もうひとつは浅すぎること」

「浅すぎる? 足跡が?」

 是実の疑問に対して呉乃がしゃがみ込んで土を掴む。

 ぐいっと指で押すと土は形を変え、ゆっくりと指から零れ落ちていく。

「この土の柔らかさと盗んだ品々の重さを考えれば足はもっと深く沈み、足跡はよりはっきりと刻まれるはずです。それにあの塀の瓦、傷ひとつありません。鉛丹入りの小壺なんて重いものを持っていればそもそもあそこまで跳ぶことすらできません。跳べたとしても、どこかにぶつけたり、瓦に傷が付くでしょう」

「ならば身軽な者だったのだろう。重い荷物があったとしても飛び越えられるほどの」

 狼狽した様子で公治が言葉を返す。だが呉乃は少しも動じることなくさらに言い返した。

「いくら身体が軽くても持っているものは軽くすることなどできません。つまり、これは賊が外へ逃げたと思わせるもの」

「だ、だから内の者である私が犯人だと? 馬鹿馬鹿しい! そんなのなんの証拠にもならぬ!」

「確かに、これだけでは難しいですね。でしたら足跡のもうひとつのおかしな点について話しましょう。綺麗すぎるということです」

「だからなんだというのだ! この土なら跡が綺麗に残っていてもおかしくあるまい!」

「昨夜は雨が降っていたのに?」

 淡々とした口調で即座に切り返した呉乃の言葉になつはぐっと黙り込む。

 焦って公治へと視線をやるが、主人も困惑するばかりでなにも答えられない。

「言ったでしょう。この土は柔らかい。水が染みやすいので雨が降れば足跡など簡単に消えてなくなります。ですがここまでくっきり残っている。雨が降った後に足跡を作ったからです」

「待て呉乃。確かにそれなら外の者の仕業という証拠は残るが、検非違使が調べればすぐに偽物だと分かる。そうなれば邸の者が疑われるのではないか?」

「はい、是実様。この二度目の足跡は、まさしく邸の者へ疑いを向けさせるために作られたものなのです」

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