「……で、本当に妊娠してるのか?」
病室のソファに腰をかけた健一が、静かに訊いた。声にはまだ半信半疑の色が混じっている。
美香はゆっくりと頷いた。
「ええ、5週目って。ちゃんと血液検査もしたし、心拍はまだだけど、胎嚢も確認できたって」
言葉にしながら、自分でもまだ信じ切れていない。医師の説明を何度思い返しても、現実感がついてこない。
「すごいな……」
と、健一は苦笑まじりに言った。
「この年で、また赤ちゃんか」
「“この年で”って、そっちも47でしょ。人ごとみたいに言わないでよ」
ふたりでふっと笑った。けれど、そのあと空気が少し重くなった。
「……で、どうする?」
健一の声は、真剣だった。
美香は答えられなかった。考えが、まだ整理できていない。医師からは、高齢出産のリスクについても説明された。流産の確率、染色体異常の可能性、母体への負担──どれも、耳に残っている。
「結衣には……まだ言ってないの」
「そりゃそうだよな。言ったら、たぶん、びっくりするどころじゃ済まないだろうな」
「……怒るかもしれないね」
その沈黙の中、美香は、頭の中で結衣の顔を思い浮かべていた。受験勉強に疲れながらも、なんとか前を向こうとする娘の姿。これからやっと、手が離れていくはずだった。なのに、自分は逆戻りをしてしまったのかもしれない。
「私……どうしたらいい?」
問いかけるような美香の声に、健一はしばらく黙っていた。やがて、少しだけ笑って言った。
「正直、俺もびっくりしてるよ。今さら育児なんて、もう体がついていかない気もする。でも……俺は、うれしいよ」
「え……?」
「だって、君との間にまた命ができたんだ。奇跡みたいなことだろ?」
その言葉に、美香は胸の奥が少しだけあたたかくなるのを感じた。
「結衣のときとは違う意味で、怖い。でも……怖いからって、すぐに手放したくない気もする」
健一はそう言って、美香の手をそっと握った。
病院から帰宅すると、リビングには勉強机に向かう結衣の姿があった。美香を見ると、彼女はペンを止めて首をかしげた。
「……どうしたの?顔色悪いよ」
「ちょっと、貧血で倒れちゃって。病院行ってたの」
「え、大丈夫?」
「うん、たいしたことなかったから。もう大丈夫」
結衣は少し眉を寄せたが、それ以上は何も聞かなかった。ただ、心配そうに水を用意してくれたその背中を見ながら、美香は思う。
今はまだ、言えない。
でも、いつか必ず伝えなければならない。
家族が、もう一度、変わろうとしている。