日曜の夜。夕食後のリビングは、テレビのバラエティ番組の笑い声で満ちていた。
健一はくつろいでビールを飲み、結衣はソファに寝転びながらスマホをスクロールしている。美香はキッチンで皿を洗いながら、何度も口を開きかけては閉じた。
「……あのね」
思い切って声をかけると、結衣が顔を上げた。
「なに?」
「ちょっと、大事な話があるんだけど……」
その言葉に、健一がビールを置き、結衣もスマホを伏せた。ふたりの視線が同時に向けられる。美香の心臓が跳ねる。今、この瞬間がタイミングかもしれない。いや、でも。
頭の中で、医師の言葉やエコー画像がぐるぐる回る。高齢妊娠のリスク、家族の生活の変化、娘の将来──すべてが絡み合って、言葉を押しとどめた。
「……いや、なんでもないわ。ちょっと疲れてただけ」
「なにそれ、脅かさないでよ」
結衣はそう言って笑い、またスマホに視線を戻した。
皿を洗い終えて手を拭きながら、美香は自分の弱さに少しだけ腹が立った。結衣を心配させたくない、タイミングを間違えたくない──そう自分に言い訳しながら、本当はただ、反発されることが怖いのだ。
その夜、布団に入っても眠れなかった。隣で寝息を立てる健一の背中を見つめながら、美香は小さくつぶやいた。
「……怖いな」
自分の体のことも、家族の反応も、そして何より、これからの人生がどこへ向かうのかも。
けれど、お腹の奥にいる小さな命だけは、確かに温もりを持ってそこにいる──そのことが、かすかな安心でもあった。