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第2話  まだ言葉にならない

春の風が、制服のリボンを軽く揺らした。

 海から吹く潮のにおいに、心がふっと緩む。


 高校2年生になって、まだ数日。

 新しいクラスの空気に馴染めずにいた私は、昼休みにこっそり校舎を抜けて、海まで来ていた。

 海は学校のすぐ裏にある。この町の特権だと思う。


 人の気配のない砂浜に立ち、私は海を見ていた。

 陽射しを受けてきらきらと輝く水面。けれどその下には、深く、濃く、重たい色が沈んでいる。

 青でもなく、ただの黒でもなく──そう、群青に近い何か。


 「……この色、好きだな」

 つぶやいて、足元の砂をかるく蹴った。


 そのとき、背後から声がした。


 「水瀬さん?」


 振り返ると、クラスで隣の席の子──白川澪がいた。

 髪が少し風に舞っている。私より小柄だけど、目がよく通る子だ。


 「……なんでここに?」

 思わず聞き返すと、彼女は少し笑って言った。


 「あなたが教室にいなかったから、気になって」


 私は困ったように笑って、海の方を向き直った。

 そう言ってくれる人がいたことが、ちょっとだけ嬉しかった。


 「……海の色って、不思議。青じゃないのに、青って言われてる」


 そう言った私に、澪がぽつりと応じた。


 「名前が追いついてないだけかもね。本当の色に」


 私は少し驚いて、横目で彼女を見た。

 澪はただ海を見ていた。その瞳に、強い光を秘めながら。


 自分の中にも、まだ言葉にならないものがある。

 誰にも見せたことのない色。

 それを私は、ずっと探している。


 ──名前のない色。

 今はまだ、群青に近いその色を、そっと胸にしまった。


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