潮が満ち始めているのか、さっきまで乾いていた砂に水がしみ込み、足元が少し沈んだ。
波が引くたびに、砂粒がするすると流れ落ちていく。
それをぼんやりと見ていると、澪が口を開いた。
「蒼、もし…来年、私がここにいなかったら、どうする?」
あまりにも突然で、風の音よりも聞き取りづらい声だった。
「……どういう意味?」
問い返しても、澪は海を見たまま。
視線は遠く、水平線のもっと先にある何かを探しているようだった。
「別に。…ただ、そうなったとき、蒼はどうするかなって思っただけ」
その言葉が冗談なのか本気なのか、判断できなかった。
でも、胸の奥に冷たい水が一滴、落ちたような感覚があった。
私は少し間を置いてから答える。
「……絵を描く。澪がいなくても」
澪がこちらを見た。驚いたような、でも安心したような笑顔。
「そっか。…じゃあ、安心だね」
その笑顔の奥に、かすかな翳りがあった。
それは、私の“名前のない色”に、また新しい濃淡を加えた。
波打ち際まで歩いていくと、冷たい水が足首をかすめた。
澪も隣に来て、同じように波を感じていた。
「じゃあさ、約束しよう」
「約束?」
「来年の春も、この海で会うこと。…もし、私がいなくても、ちゃんと絵を見せに来て」
「……うん」
短く答えたその瞬間、夕陽が海に沈みかけ、空の群青と水面の橙が溶け合った。
その色には、やっぱりまだ名前がなかった。