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第2話 日本

●2.日本

 林原は旅費が底をついたので、ベルガーたちと別れ日本に帰国した。3週間ぶりに高尾山口商店街にある店舗兼住宅に戻ってみると、相変わらず店のシャッターの前に空き缶やペットボトル、何が入っているかわからないコンビニの袋やスナック菓子の袋が捨ててあった。林原は老人介護施設に入っている叔父夫婦に代わり店を任されているが、まだ店を再開するか迷っていた。店先のごみを掃除していると、こんなことをやっている場合でないと感じた林原。早々切り上げて、日本でも『郷に従え』党の賛同者を集めるために、ドイツ語版のホームページを基にして日本語版を作りアップした。しかし1週間に2~3人程度のアクセスで、書き込みなどの反応はなかった。

 林原がテレビを付けると、ちょうどワイドショーで外国人問題をボードで説明していた。

「日本は人手不足が待ったなしなので、外国人をどんどん受け入れなければ、立ち行かなくなります」

左派系の女性コメンテーターが言っていた。

「外国人を受け入れるのは良いですが、日本に来るからには、日本の法律はもちろんのこと習慣なども守る人でないと、とんでもないことになります」

右派系の男性コメンテーターがすぐに応じていた。

「それでしたら、事細かなマニュアルを配布したらどうでしょうか」

「注意書きだけで、従うとは思えませんけど。日本は性善説に則り過ぎています」

「あなたは外国人と見れば、誰でも性悪説を唱える排外主義者ですか」

女性コメンテーターの言葉にあ然とする男性コメンテーター。

「今日はお時間ですので、この辺で終わりに致します」

司会者が中途半端な所で割って入っていた。

 「これだから日本はダメだ。郷に入れば郷に従えじゃないか」

林原はぶつぶつ言うと、テレビを蹴飛ばしていた。日本は外国の誰かが提唱した言葉なら聞く耳を持つが、日本のことを憂う日本人が言うことには耳を貸さない風潮があった。林原は『郷に従え』を広めるには日本に逆輸入する形がスムーズではないかと感じ、次はアメリカに渡航することにした。


 アメリカ行きをベルガーに連絡すると、ホームページにアメリカ人のアン・ケリーからチャット意見が寄せられているとのことだった。フリージャーナリストの彼女は母方の家系がドイツ人なのでドイツ語が堪能であった。

 林原はチャットの録画を見せてもらった。

「アメリカに移住したからには、溶け込む努力をする必要があります。まさに郷に従えです」

ケリーは見た感じ30才前後の女性であった。

「我々に賛同いただけましたか」

ベルガーがドイツ語で聞いていた。

「もちろんです。本来のアメリカン・スピリットがなくなるので、アメリカにも郷に従えの理念は、広められると思います」

「それでは、我々はあなたを党員として迎え入れます」

「あのぉ、そちらの共同党首の方は日本人の林原氏ですよね」

「はい。今彼は日本にいてドイツにはいませんが、郷に従えの言葉を提唱した日本人は林原氏です」

「直接、林原氏に言いたかったのですが、アメリカのリトル東京では、日本語新聞は電子版も含めて購読者が減っています。それは紙離れということもありますが、日本人は現地に溶け込もうとするので、英語で事足りるからです。いつまでもルーツにこだわらない立派な姿勢だと言えます」

「そうですか」

「しかし中国人や韓国人は自分たちのタウンをつくり、価値観や生活習慣を押し通し、英語が話せなくても暮らせるようにします。そこが同じ東洋人でも違う所です。しかし見た目では判断し難く、日本人が中国人などと間違われ、排他的なアメリカ人に襲われることがあります。非常に残念です。それに中南米の不法移民は治安を悪くしますから『郷に従え』の旗印のもとに団結できる気がします」

「ケリーさんのありがたいご意見は林原氏に伝えておきます。もし彼がアメリカに行く機会があれば、ご連絡いたします」

ベルガーは丁重に応対していた。


 林原は叔父の店の運用資金を少しばかり拝借してアメリカ行きを決意した。彼は早朝便でロサンゼルスに行くため、カーシェアリングの車で成田空港に向かっていた。途中、ファストフード店のアップルパイとポテトが食べたくなり、高速から一般道に下りていた。千葉県内の一般道は夜中と言うこともあって、かなり順調に流れていた。ほとんど信号に引っかからなかったので、そのまま一般道で空港まで行こうか思っていた時、ちょうど目の前の信号が赤になった。信号の付近は中古車屋と閉鎖されたガソリンスタンドがあるだけであったが、とぼとぼと高齢者が横断歩道を渡っていた。かなり遠くから歩いて来たらしい。

 ふと、中古車屋の展示駐車スペースに目が行くと、人影が動くのが見えた。キャップを深々と被り、マスクをしている。一目見ただけで怪しいと感じた。林原は信号が青になったので、走り出した。だがどうも気になるので、少し走ると閉鎖されたレンタルビデオ店の駐車スペースに車を寄せて止まった。車の窓を開けて、中古車屋の方を注視していた。すると突然ヘッドライトが点灯し、1台がプラスチック・チェーンをぶっちぎって、道路に出た。その後からも5台が出てきた。盗難車はそれぞれ別々の方向に走っていくが、そのうちの1台が林原が止まっている横を通過して行った。いてもたっても入られず、林原は、追跡し始めた。しばらくすると、林原の尾行に気が付き、速度を上げ始めた。林原はカーシェアリングの車なので、無理をして車体に傷などを付けると、余計な料金が発生するので、追跡を諦めようか迷った。

 速度を上げた盗難車は、信号のない横断歩道を横切ろうとしている男性と接触し、突き飛ばして行った。その男性はかすり傷程度だったのか、走り去る車に怒号を浴びせていた。それを見た林原は、絶対にこいつを捕まえようと、心に火が付いた。

 アクセルを踏み込み一気に加速した。盗難車は交通量の多い国道を横切る信号で止まっていた。林原の車に気が付くと、赤信号を無視して、横から来る車にクラクションの中、突っ切って行った。ちょうど林原の車が信号に差し掛かった時には、青になったので、そのまま突き進んだ。

 林原の車は時速100キロを軽く越えていたが、盗難車も高性能の高級車だったので、かなりの速度で逃走していた。だが突然、速度が落ちてきた。展示車だから、ガソリンは少なめだったのかもしれない。盗難車は近くのコンビニの駐車場に入った。林原の車が盗難車の横で急停車した。ドアを開け、外に飛び出す林原。タイヤの摩擦の臭いが漂っていた。窃盗犯は一歩早く外に出て、コンビニに駆け込もうとしていた。林原もコンビニに走った。

 店内には客はおらず、店員が一人いるだけであった。窃盗犯は商品棚越しに向こう側の通路にいた。林原が回っていこうとすると、すぐに反対方向に行く。行きつ戻りつしているうちに林原はコンビニの奥側になり、窃盗犯が出入り口側になってしまった。トイレやドリンク類が並ぶ冷蔵ケースが林原の背後になった。

「えぃ、しゃら臭ぇ」

林原は、後ろから1リットルと1.5リットルのペットボトルを取り、立て続けに窃盗犯の頭部に投げつけた。上手く命中し、窃盗犯はふらふらになった。林原は商品棚を駆け上り、窃盗犯の上に飛び降り抑え込んだ。窃盗犯は色が浅黒く東南アジア系の顔をしていた。何か自分の国の言葉で、罵っていたが意味はわからなかった。

「店員さん、警察を呼んでください。こいつは俺が取り押さえておきますから」

林原は商品棚の上で仁王立ちになっていた。


 林原はこの一件で早朝便には間に合わなかった。それどころか、犯人逮捕の顛末についてマスコミの取材を受けることになった。林原の顔をニュース映像で流れ、彼が『郷に従え』党の党首であることも報じられた。

 その翌日以降、日本語版の『郷に従え』党のアクセスは格段に増え始め、入党者もある程度増えていった。林原はロサンゼルスに予定よりも一週間ほど遅れて行くことになった。

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