●4.南條村
日本に戻った林原は、叔父の店の軒先を掃除していた。
「あら、林原さん、お戻りだったのですか。このお店の再開はいつ頃になりそうですか。お宅のおはぎのファン結構いますから」
隣の店の奥さんが声をかけてきた。
「あぁ、そうですか。一応叔父から受け継いだ和菓子のレシピは、データベース化してますから」
「それじゃ、楽しみにしているわね」
林原は『郷に従え』党のホームページを終了させると、PC画面に求人サイトで応募してきた履歴書などが収められたフォルダーを開いていた。一人の応募者に目が留まった。応募写真に悲壮感が漂い、ぜひとも採用してくれと言わんばかりの顔の30才前後の女性がいた。一次面接の際もその雰囲気が漂っていたことを思い出していた。一次面接合格の連絡をすると、その日の夕方には二次面接に来ることになった。
「柿沢さん、今日は二次面接にきていただき、ありがとうございます」
林原はノートPCの画面に履歴書を表示させていた。
「それで、採用ですか」
柿沢は、思わず声が出てしまっていた。
「あのぉ、長野県に新たな和菓子店舗を出すのですが、そちらで勤務することは可能ですか」
「長野ですか。でも向こうでの住宅手当とか、あるのですか」
「店舗と住宅を兼ねて、移住者向けの古民家を借りようと思います」
「古民家ですか、かなりの田舎になりますか」
「はい」
「それで家賃とかは、折半ですか」
「いえ。当方が負担します。たぶん、格安か何年か住めば、あなたのものになると思います」
林原の当方が負担の言葉に心が動いたようだが、すぐには返事をしないか柿沢。
「東京を離れることになるので、無理にとは言いません」
林原はさらに柿沢の反応を待った。
「いつからですか」
「早い方が良いですが、採用と決まれば、まず下見に行きましょう」
「今いるアパートは来月で出ていく契約になっていますから、私を採用してください。苦労は覚悟します」
「それは良かった。あなたを採用します」
林原は柿沢と握手していた。
長野県南條村はビニールハウスや農家の家屋が点在する静岡県境に近い山間部であった。林原たちは南條村役場が紹介する古民家に来ていた。築90年の2階建ては、見た目にはしっかりとしていた。
「中は結構ガタが来てる。この窓枠は腐っているから、取り換える必要があるな」
林原は、窓の開け閉めをしていた。
「これだけの広さがあると和菓子も作れて、喫茶店もできそうです」
柿沢は内部を見回していた。
「それでは、1階は和菓子工房と一部喫茶室にして、2階の半分も喫茶室にして、残り半分を柿沢さんのプライベートスペースにしましょう」
「わかりました。それで私はいつからこちらに引越せば、良いのですか」
「住みながらリフォームを我々でやるとすれば、明日にでも引越せます。住民票も移して転居届も出せば、それでOKです」
「なんか、つい先日までの息苦しい都会暮らしが、変えられるんですね。夢みたいです」
「柿沢さんは田舎暮らしを希望していたのですか」
「はい。でもこんなうまい話は、詐欺とかではないですよね」
「それはないです。ここをリフォームしてもらいますし、和菓子も作ってもらいますから。それに詐欺だとしても、詐欺です、なんて言いますか」
「それもそうですね」
今まで暗い表情だった柿沢は初めて笑顔を見せていた。
「ああ、それと私は『郷に従え』党の党首もしているので、その立場上、私の店を任せる者には、その地域のし
きたりなどに従ってもらいます」
「『郷に従え』党ですか。新興宗教とかですか」
柿沢は真顔に戻っていた。
「それも断じてありません。最近、オーバーツーリズムで高尾山が荒らされているので、立ち上げたものです」
林原は、キッパリと言い放っていた。柿沢はここまで来て今さら断り難いので、あえて何も言わないようだった。
移住者のためのリフォーム代は村が4割負担してくれるので、ある程度住めるようにしてから、柿沢を送り込むことにした。その結果、柿沢はアパートを引き払う前日に、ようやく引越しとなった。
「どうですか。これなら掃除程度でなんとか暮らせますので、コツコツとできるところからリフォームの続きをやってください」
林原は、引越し当日に立ち会っていた。
「それで、お店のオープンはいつ頃になりますか」
「1ヶ月後を予定しています。電気は来ているし、大型の冷凍庫を入れておきましょう。当初は本店で作った菓子を冷凍で持ってきますから」
「わかりました」
「…最初はこんなものでしょう」
林原は開店から2週間の売り上げデータをノートPCで確認していた。
「販促看板を作ってみたんですが」
柿沢は廃校から譲り受けた黒板にチョークで風景画を描き、喫茶室のメニューなどを書き添えたものを見せていた。
「これ、柿沢さんが描いたのですか。絵の才能があるんですね」
「才能ってほどでもないですけど」
「それでね柿沢さん、大口の注文が入りました。2週間後に復活する竹明神社の例大祭で振る舞われるおはぎ100コです。竹明神社の御神体はクスノキですから、それをモチーフに何か描いてください」
「村の人に受け入れてもらえるような絵を描いてみます」
「あぁ、それと3ヶ月後に村長選があるので、柿沢さんに出馬してもらいたいのです」
「ええっ、私がですが」
「ここは高齢化が進んで、なり手がいないそうで、柿沢さんが村長になってくれれば、いろいろとやりやすくなりますから」
林原は、本来の出店の要となる部分を吐露したのだが、柿沢がどんな反応を見せるか不安であった。
「出馬してもらうからには、『郷に従え』党として私が支援しますから、面倒なことは何もありません」
「はっ、はい。となると私も党員に」
「まぁ、一応そう言う形になりますけど」
林原の言葉に、なし崩し的に党員にさせられたという気持ちが湧いてくる柿沢であった。
「断ると、どうなるのですか」
「お店を辞めていただき、東京に戻ってもらうことになります」
「絵も描けないわけですか」
ささやかな幸せをつかみかけていた柿沢にとって、東京に戻ることは、考えられなかった。
「そうなりますけど、村長になるのと、お金に苦労する都会暮らしとでは、どちらが得かは…明白ではないでしょうか」
「林原さん、初めからそのつもりだったのですか」
柿沢が核心をついてきたので、林原はちょっと動揺していた。
「はい。でも柿沢さんにとって不利なことは何もありません」
「郷に従えって、良い言葉とは思います。しかし、それを広めてどうするつもりですか」
「初めはドイツ人たちの思い付きと思っていましたが、世界情勢を見るにつけ、グローバル政党を作り世界を安定させたいと考えるようになりました」
「ドイツにもお仲間がいるのですか。グローバル政党ねぇ」
「お店もそうですが、一緒にやっていくからには、考え方が一緒でないと何も進みません」
「…私は人生に疲れた身です。林原さんに採用してもらえなければ、露頭に迷う所でしたが、救われた恩があります。取りあえず党員として出馬しましょう。ただし党員は1年ごとに更新という形で、継続するかは私の自由ということで良いですか」
「わかりました。それで行きましょう」
林原は、何か胸のつかえがとれたような気がしていた。
前村長が退任した後、村長選が始まるのだったが、候補者は一人だったので自動的に当選となった。柿沢が村役場に初登庁した際には、林原に促され就任演説をしていた。
「私は4ヶ月程前に引っ越してきた新参ものですが、郷に従え党員なので、皆さまの村における習慣やルールを忠実に守り、発展させるつもりです」
柿沢が言い終えると、村議会議員たちは。満足そうに拍手を送っていた。