昼休みの中庭には、春の陽差しがまぶしく降り注いでいた。
石造りのベンチのまわりを囲むように、ティーナ、エレオノーラ、クラリス、ミーナの四人が腰を下ろしていた。
「昨日の講義、先生また脱線してたわね。どうして途中から魚の肝の栄養価の話になるのよ……」
クラリスが眉をひそめながら言うと、ミーナがふっと吹き出した。
「本当に。毎回思うけど、あの話のどこに試験が出るの?」
誰かが何かをこぼすたび、空気はくすくすと笑いにほどけていく。
エレオノーラは、手にしたサンドウィッチを片手に、ティーナへとぐっと身体を寄せた。
「でもね、ティーナのノート、あれは芸術よ? 完璧な板書、流れるような文字。私は感動したわ。お礼に──ぎゅーっとしてあげるっ!」
ティーナは少し肩を引きながらも、目元にわずかな微笑みを浮かべていた。
「……エレオノーラ、みんなが見ています」
「だからいいの。見せつける愛って、時には必要なのよ!」
「恋人じゃないですけどねー」と、ミーナがつっこみ、クラリスが笑いながら紅茶をそっと口に運んだ。
その和やかな空気が破られたのは、ひときわ冷たい声が響いた瞬間だった。
「まあ。仲良しごっこね」
石畳をコツコツと鳴らしながら現れたのは、深紅のリボンをなびかせた一人の少女──ベルシア。
学園の生徒会的な立場を担う伯爵令嬢であり、その名にふさわしい高慢さを纏っていた。
「貴族の昼休みに、まるで下町の茶屋みたいな騒がしさ。節度がないわね」
エレオノーラがゆっくりと立ち上がる。
軽やかな笑みを浮かべていたが、その瞳は少しも揺れていない。
「ベルシア。なにか御用かしら?」
「ええ、ちょっと忠告にね。公爵家の娘が男爵家の者と親しくするなんて──貴族の品位に関わるわ」
その言葉に、クラリスとミーナが息を詰めた。
ティーナはそっと目を伏せ、手のひらに力が入らないよう意識を集中させた。
けれど、エレオノーラは臆さなかった。
「誰と仲良くするかは、私が決めることよ。教育係に聞く必要はないわ」
「あなたの教育係が無能なのね。紹介してあげましょうか?」
「そういうの、興味ないの。わたし、選ばれるより、選ぶ側だから」
空気が張り詰めたまま、沈黙が落ちる。
ベルシアは少しだけ唇を歪めたが、なおも高圧的な声を響かせた。
「これは貴族全体の問題よ。下位の者に情を移すなど──」
クラリスが堪えかねたように口を開いた。
「……気をつけます」
ミーナもそっと頷いた。
けれど、ティーナだけは、驚きの余り、じっとベルシアを見つめたままだった。
自分の中にある力が暴走しないよう抑え込んでいたため、目を
しかし、ベルシアは、ティーナのそのまなざしに僅かにたじろいだ。
そして──自分でも気づかないまま、視線を逸らした。
「……今日はこのくらいにしておくわ」
ひとことだけ残して、背を向ける。
その去り際、彼女の胸の中に残っていたのは、見下ろしたつもりの少女の瞳が、まるで“自分の芯”を貫くようだった、という苛立ちとざわめきだった。
ベルシアの姿が石畳の向こうに消えると、
中庭の空気は少しずつ緩んでいった。
「気にしないで。あんなの、ただ吠えてるだけよ」
エレオノーラは何事もなかったようにティーナの隣に戻り、軽く肩を寄せた。
その表情は明るく、いつもの彼女だった。
クラリスはそっと息を吐いて言う。
「……でも、やっぱり怖いわ。あの人、本気で家柄のことを振りかざしてくるし」
「貴族って大変ね」
ミーナが冗談めかして肩をすくめると、皆が少し笑った。
ティーナも小さく笑っていた。
けれど、その胸の奥にはまだ、ぬるく残る何かがあった。
「……エレオノーラ、どうして、あんなに堂々と……」
ぽつりとこぼれたその言葉に、エレオノーラはふっと笑って、ティーナの頭を子猫んをさわるように撫でた。
「だって私は、ティーナが好きなんだもの。理由なんて、いる?」
その言葉は、まるで春の風のように、静かにティーナの胸をくすぐった。
力じゃなく、言葉で跳ね返すことができる人がいる──そのことが、どこか眩しく感じられた。
ティーナたちは午後の授業に向けて歩き出していた。
空気はもうすっかり日常に戻っていたが、ティーナの中には、何かが確かに芽生えていた。
強さとは何か。
言葉とは何か。
“好き”という気持ちは、人をこんなにも真っすぐにできるのか──
エレオノーラの笑顔を思い浮かべながら、ティーナはそっと小さく頷いた。
それは、心の奥で静かに動き出した“変化”だった。
──その頃、王宮・第三書庫。
積み重なる古文書の間にある窓辺で、アルヴァン王子は静かに視線を落としていた。
「……あと六日か」
ぽつりと零れた言葉は、誰に向けるでもない。
その背後から、護衛であり友人でもあるシグルドがやってきた。
「王子、何かお探しで?」
「……少女を探してる。友人から頼まれたんだ」
少し目を泳がせながら言うと、シグルドは腕を組んだまま目を細めた。
「またその“友人”ですか」
「小柄で、目が綺麗で……凛々しくて、輝いていて……」
言葉を繋ぐごとに、アルヴァンの声音は真剣さを帯びていく。
しかし──
「……それじゃ誰だか分かりませんよ」
シグルドは深いため息をついた。
「でも、あの目は一度見たら忘れられない」
「そりゃあ、本人を見れば分かるでしょうけど……」
アルヴァンは視線を窓の向こうへ向けた。
あの日、光にきらめく噴水の前で出会った少女。
名前も、所属も、何も知らない。
ただ、その目だけが記憶の底に焼きついて離れなかった。
──王子が学園に通うのは、形式的なものに過ぎない。
民の教育を知るという名目のもと、週に一度のみ、国王の命で定められていた。
けれど、アルヴァンはその日を、ただひとつの目的のために待っていた。
『次に会えたら──』
もしもう一度、あの少女と出会えたなら。
そのときは、名を尋ねよう。声をかけよう。
それが、王子という立場を越えてでも叶えたい、たった一つの願いになり始めていた。