朝の教室は、いつもより少し騒がしかった。
「ちょっと聞いた!? ユリウス様が婚約申し込みしたって!」
「相手……ティーナさんらしいよ……」
「えっ、あの男爵家の? 嘘でしょ、世も末じゃない?」
女子生徒たちの噂話は、まるで風に乗った花びらのように、教室中を飛び交っていた。そしてその視線が、一斉にひとつの場所へと集中する。
その中心にいたのは、きっちり第一ボタンまで留めた格式高い制服姿のユリウス。そして、その左右にはお馴染みの二人──熱血剣士レオンと、論理派のセイルが控えていた。
「で、本当に申し込んだのか?」
レオンが眉をひくつかせつつ、剣の鍔に自然と手が伸びる。
「申し込んだ。それがどうかしたか?」
ユリウスの返事はいつも通り、感情を湛えた瞳と共に淡々としていた。
「デート……まさか、先に動いたのか……?」
前髪をそっと整えながら、セイルが低く問いかける。普段なら口に出さぬことまで、今日に限っては抑えが効かない。
三人の視線が交錯したその瞬間──
教室の空気は一気に凍りつき、見えない火花がバチバチと散る。
*
昼休み。中庭の木陰、静寂に包まれた一角では、さっきの三人が集まっていた。
「いいか、女心に必要なのはな、情熱と腕力だ!」
レオンがパンを頬張りながら拳を振り上げる。
「その理論、前世紀で止まってるな」
セイルは小さくため息をつきつつ、サンドイッチの耳を丁寧にちぎる。
「とはいえ……勝負を仕掛けてくるなら、受けて立とう」
ユリウスは紅茶を一口。優雅な仕草の裏に、静かな闘志が光る。
ざわめく生徒たちが囲む中、三人は靴を脱ぎ、芝の上に即席の「土俵」を描いた。
「俺から行くぜ!」
気合満々のレオンが中央へ飛び出す。
「……では、受けて立とう」
セイルが冷静に立ち上がる。
一戦目──レオンVSセイル。
「はっけよい、のこったっ!!」
レオンが猛然と突進。セイルはすかさず体を横へずらすも、予想外のパワーに足を滑らせ、見事に押し出されてしまう。
「うぐっ……認めよう、パワーでは敵わん」
続いて名乗りを上げたのは、知将ユリウス。
「戦いに必要なのは、必ずしも筋肉ではない」
「ならば、技と読みで勝ってみせる」
セイルが立ち上がり、再び土俵に立つ。
二戦目──ユリウスVSセイル。
セイルが軽やかにフェイントを仕掛けるも、ユリウスは動じず構えを崩さず。
そして数回の攻防の後、ユリウスが一瞬の隙を見逃さず、肩を軽く当てて──セイル、アウト。
「くっ……詰めが甘かったか……」
会場がどよめく中、最後の戦いが始まる。
「さあ来い! これが男のラストバウトだ!」
燃えるレオンに、ユリウスが堂々と向き合う。
「ならば、真正面から行こう」
二人の視線がぶつかる。
ドン!
ぶつかり合う音と共に、芝生が揺れる。
数秒の拮抗の後──
「おおおおおっ!」
気迫で押し切ったレオンが、ついにユリウスを土俵の外へと押し出した。
「やっぱ最後は気合いだな!」
拳を天に突き上げ、勝利の雄叫び。
だが次の瞬間、彼の背後からぽそりと囁く声。
「でも、ティーナが君を選ぶとは限らない……」
振り返ると、そこにはセイルとユリウス。……ふたりとも、うっすら涙目で敗北の空気をまとっていた。
一方その頃──
ティーナは、木陰のベンチで友人たちとパンを分け合っていた。
「……相撲? 何か始まってるの?」
噴水の方を見ながらティーナが首を傾げると、エレオノーラが紅茶のカップをそっと置いて肩をすくめる。
「うん、またあのイケメン三人組が張り合ってるっぽいわよ。何がきっかけかは知らないけど、妙に燃えてるのよね」
「ふぅん……」
ティーナは興味があるのかないのか、ぼんやりと頷いた。
クラリスがふと顔を寄せてくる。
「ティーナ、ユリウス様に婚約申し込まれて……正直、嬉しくないの? なんかね、さっき“ティーナ”って聞こえた気がするの。もしかして、そのことで争ってるのかも……」
ティーナはパンをちぎりながら、小さく首をかしげる。
「嬉しくない……かな。うっかり壊したら、家、なくなっちゃうかもしれないし……」
その答えに、一瞬みんなが言葉を失った。
「やっぱり、超ド天然……!」
エレオノーラが思わずティーナに抱きつき、くしゃりとその髪を撫でる。
「でも大丈夫。私がついてるからね。天然ちゃんが迷わないように、ちゃんと支えてあげるんだから」
「うん……ありがとう」
ティーナは抱きつかれたまま、小さな声で応えた。
──そして放課後。
夕暮れが差し込む休憩室。窓辺のテーブルには、ひっそりとチェス盤が置かれていた。
まるで今日という一日が、まだ終わる気配を見せていないかのように。
「さて……第2回・ティーナ杯頭脳戦を始めようか」
ユリウスが静かに駒を並べ始める。
「ふん、俺は将棋派だが……受けて立つ!」
レオンは勢いよく椅子を引いたものの、ルールを思い出すのに5分かかった。
「……無駄に吠えるな」
セイルは淡々と盤を眺めてから、涼しい顔で第一手を指した。
──第1試合。
開始5分で、レオンの陣はぐちゃぐちゃに。
「どけ! 馬が! うわ、王様が逃げらんねぇ!」
セイルの表情は変わらない。「だから、序盤の駒損が命取りになると……」
そして第2試合。
ユリウスvsセイル。静かな戦いが始まる。
両者一歩も引かず、読み合いは十数手先まで。駒を置く音すら、どこか詩的な静けさ。
「見ろ、この布陣……まるで完璧な防衛線」
「詰んでるんだよ、それ……」
ユリウスの冷静な一手が、セイルの王を逃れられない檻に追い込んでいた。
「……完敗だ」
セイルは素直に頭を下げるが、どこか納得いかない顔だった。
──夜。
男子寮の屋上に、3人の影が並んでいた。
「では、最後の勝負だ」
ユリウスが掲げたのは……分厚い法学書。
「……で、出た、最終兵器」
レオンがそっと一歩引く。
「よし、問題だ。『王都立法第十三条の改定はいつ、誰によってなされたか』……3択だ」
「うっ……む、無理だ……!」
レオンは脳内で爆発音を響かせながら崩れ落ちた。
セイルも難しい顔をして唸る。「これは……記述式でない分、かえって難解だな……」
ユリウスは眼鏡を上げながら微笑む。「君たちでは、ティーナを幸せにするには知識が足りない」
そう言って、夜空に勝利を掲げるように手を伸ばした。
その頃――
バルティネス家の静かな寝室。
ティーナは布団を抱きしめ、すやすやと寝息を立てていた。
「今日も、力を使わないで済んでよかった……」
その夢の中に、あの三人が現れることはなかった。
彼らが熱く競い合っていた日々は、ティーナの辞書には一文字も刻まれていない。
──翌朝。
「なあ、そろそろ気づいてもらえねえかな……」
「毎日勝負してるのに、全く反応がないとは……」
「……まさか、興味すら持たれていないのでは?」
3人の表情に、ようやくうっすらと現実の影が射し始めた。
だが、その足は止まらない。次の勝負へ向けて、今日もまた火花を散らすのであった──。