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第9話

朝の教室は、いつもより少し騒がしかった。


「ちょっと聞いた!? ユリウス様が婚約申し込みしたって!」

「相手……ティーナさんらしいよ……」

「えっ、あの男爵家の? 嘘でしょ、世も末じゃない?」


女子生徒たちの噂話は、まるで風に乗った花びらのように、教室中を飛び交っていた。そしてその視線が、一斉にひとつの場所へと集中する。


その中心にいたのは、きっちり第一ボタンまで留めた格式高い制服姿のユリウス。そして、その左右にはお馴染みの二人──熱血剣士レオンと、論理派のセイルが控えていた。


「で、本当に申し込んだのか?」

レオンが眉をひくつかせつつ、剣の鍔に自然と手が伸びる。


「申し込んだ。それがどうかしたか?」

ユリウスの返事はいつも通り、感情を湛えた瞳と共に淡々としていた。


「デート……まさか、先に動いたのか……?」

前髪をそっと整えながら、セイルが低く問いかける。普段なら口に出さぬことまで、今日に限っては抑えが効かない。


三人の視線が交錯したその瞬間──


教室の空気は一気に凍りつき、見えない火花がバチバチと散る。



昼休み。中庭の木陰、静寂に包まれた一角では、さっきの三人が集まっていた。


「いいか、女心に必要なのはな、情熱と腕力だ!」

レオンがパンを頬張りながら拳を振り上げる。


「その理論、前世紀で止まってるな」

セイルは小さくため息をつきつつ、サンドイッチの耳を丁寧にちぎる。


「とはいえ……勝負を仕掛けてくるなら、受けて立とう」

ユリウスは紅茶を一口。優雅な仕草の裏に、静かな闘志が光る。


ざわめく生徒たちが囲む中、三人は靴を脱ぎ、芝の上に即席の「土俵」を描いた。


「俺から行くぜ!」

気合満々のレオンが中央へ飛び出す。


「……では、受けて立とう」

セイルが冷静に立ち上がる。


一戦目──レオンVSセイル。


「はっけよい、のこったっ!!」


レオンが猛然と突進。セイルはすかさず体を横へずらすも、予想外のパワーに足を滑らせ、見事に押し出されてしまう。


「うぐっ……認めよう、パワーでは敵わん」


続いて名乗りを上げたのは、知将ユリウス。


「戦いに必要なのは、必ずしも筋肉ではない」


「ならば、技と読みで勝ってみせる」

セイルが立ち上がり、再び土俵に立つ。


二戦目──ユリウスVSセイル。


セイルが軽やかにフェイントを仕掛けるも、ユリウスは動じず構えを崩さず。


そして数回の攻防の後、ユリウスが一瞬の隙を見逃さず、肩を軽く当てて──セイル、アウト。


「くっ……詰めが甘かったか……」


会場がどよめく中、最後の戦いが始まる。


「さあ来い! これが男のラストバウトだ!」

燃えるレオンに、ユリウスが堂々と向き合う。


「ならば、真正面から行こう」

二人の視線がぶつかる。


ドン!


ぶつかり合う音と共に、芝生が揺れる。


数秒の拮抗の後──


「おおおおおっ!」


気迫で押し切ったレオンが、ついにユリウスを土俵の外へと押し出した。


「やっぱ最後は気合いだな!」

拳を天に突き上げ、勝利の雄叫び。


だが次の瞬間、彼の背後からぽそりと囁く声。


「でも、ティーナが君を選ぶとは限らない……」


振り返ると、そこにはセイルとユリウス。……ふたりとも、うっすら涙目で敗北の空気をまとっていた。


一方その頃──


ティーナは、木陰のベンチで友人たちとパンを分け合っていた。


「……相撲? 何か始まってるの?」


噴水の方を見ながらティーナが首を傾げると、エレオノーラが紅茶のカップをそっと置いて肩をすくめる。


「うん、またあのイケメン三人組が張り合ってるっぽいわよ。何がきっかけかは知らないけど、妙に燃えてるのよね」


「ふぅん……」

ティーナは興味があるのかないのか、ぼんやりと頷いた。


クラリスがふと顔を寄せてくる。


「ティーナ、ユリウス様に婚約申し込まれて……正直、嬉しくないの? なんかね、さっき“ティーナ”って聞こえた気がするの。もしかして、そのことで争ってるのかも……」


ティーナはパンをちぎりながら、小さく首をかしげる。


「嬉しくない……かな。うっかり壊したら、家、なくなっちゃうかもしれないし……」


その答えに、一瞬みんなが言葉を失った。


「やっぱり、超ド天然……!」


エレオノーラが思わずティーナに抱きつき、くしゃりとその髪を撫でる。


「でも大丈夫。私がついてるからね。天然ちゃんが迷わないように、ちゃんと支えてあげるんだから」


「うん……ありがとう」


ティーナは抱きつかれたまま、小さな声で応えた。


──そして放課後。


夕暮れが差し込む休憩室。窓辺のテーブルには、ひっそりとチェス盤が置かれていた。

まるで今日という一日が、まだ終わる気配を見せていないかのように。


「さて……第2回・ティーナ杯頭脳戦を始めようか」

ユリウスが静かに駒を並べ始める。


「ふん、俺は将棋派だが……受けて立つ!」

レオンは勢いよく椅子を引いたものの、ルールを思い出すのに5分かかった。


「……無駄に吠えるな」

セイルは淡々と盤を眺めてから、涼しい顔で第一手を指した。


──第1試合。

開始5分で、レオンの陣はぐちゃぐちゃに。

「どけ! 馬が! うわ、王様が逃げらんねぇ!」


セイルの表情は変わらない。「だから、序盤の駒損が命取りになると……」


そして第2試合。

ユリウスvsセイル。静かな戦いが始まる。


両者一歩も引かず、読み合いは十数手先まで。駒を置く音すら、どこか詩的な静けさ。


「見ろ、この布陣……まるで完璧な防衛線」

「詰んでるんだよ、それ……」

ユリウスの冷静な一手が、セイルの王を逃れられない檻に追い込んでいた。


「……完敗だ」

セイルは素直に頭を下げるが、どこか納得いかない顔だった。


──夜。

男子寮の屋上に、3人の影が並んでいた。


「では、最後の勝負だ」

ユリウスが掲げたのは……分厚い法学書。


「……で、出た、最終兵器」

レオンがそっと一歩引く。


「よし、問題だ。『王都立法第十三条の改定はいつ、誰によってなされたか』……3択だ」


「うっ……む、無理だ……!」

レオンは脳内で爆発音を響かせながら崩れ落ちた。


セイルも難しい顔をして唸る。「これは……記述式でない分、かえって難解だな……」


ユリウスは眼鏡を上げながら微笑む。「君たちでは、ティーナを幸せにするには知識が足りない」

そう言って、夜空に勝利を掲げるように手を伸ばした。


その頃――


バルティネス家の静かな寝室。

ティーナは布団を抱きしめ、すやすやと寝息を立てていた。


「今日も、力を使わないで済んでよかった……」


その夢の中に、あの三人が現れることはなかった。


彼らが熱く競い合っていた日々は、ティーナの辞書には一文字も刻まれていない。


──翌朝。


「なあ、そろそろ気づいてもらえねえかな……」

「毎日勝負してるのに、全く反応がないとは……」

「……まさか、興味すら持たれていないのでは?」


3人の表情に、ようやくうっすらと現実の影が射し始めた。


だが、その足は止まらない。次の勝負へ向けて、今日もまた火花を散らすのであった──。


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