いつもと変わらない朝の教室に、ひとつの知らせが静かに落ちた。
「ドンパッチ君は、家庭の事情で、週に二回だけの登校となります。今日はお休みです」
先生は、いつも通りの、ほんの少しだけ緊張を含んだ口調でそう告げた。
教室にざわめきが走る。
「……えっ、なんで?」
「働かなきゃいけないのかな」
「さびしくなるな……」
あちこちから心配そうな声が上がり、空気には、ぽっかりと穴が空いたような静けさが広がっていた。
ティーナは、ふいに胸の奥が詰まるのを感じていた。
そっと目を閉じる。──どうして、そんなことに。
けれど、すぐに思い直す。
自分だって、名ばかりの男爵家で育ち、裕福とは言えない暮らしをしている。
きっとドンパッチくんにも、誰にも言えない事情があるのだろう。
悲しそうな顔なんて、見せたくなかった。
彼はきっと、誇り高く、ただ静かに努力を重ねているのだ。
ティーナは、そっと胸に手を当てる。
──大丈夫。きっと、大丈夫。
今、自分にできることを考えよう。
そう心に言い聞かせると、胸の重さがほんの少しだけ軽くなっていった。
──そうだ。次に来たときには、いなかった日のことを、たくさん話してあげればいい。
「何も変わっていない」って、そう思ってもらえるように。
そう考えるうちに、締めつけられていた心が、ふわりとほどけていく気がした。
ティーナは、小さくうなずいていた。
そして、ほんのりと、静かに微笑んだ。
──また、会える。きっと大丈夫。
そう、自分にそっと言い聞かせるように。
人目を避けるように、アルヴァンとシグルドは壁際に並んで立っていた。
シグルドは珍しく困ったように眉をひそめ、低い声でつぶやく。
「……王子、もう無理です。国王様をごまかすのは」
アルヴァンは小さく舌打ちをし、壁にもたれる。
「なんとかしろよ、シグルド……!」
声は抑えているつもりだったが、必死さがにじんでいた。
だが、シグルドはただため息をつく。
「今度ばかりは、冗談抜きで首が飛びます」
その言葉に、アルヴァンはぐっと唇を噛んでいた。
せっかく……せっかく、ティーナと自然に話せるようになってきたのに──。
胸の奥で、焦りと悔しさが渦を巻いていく。
だが、父であるノアティス王の目をごまかし続けるには、もはや限界が迫っていた。
アルヴァンは、意を決して、強い足取りで王座の間へ向かっていく。
重厚な沈黙が満ちる王座の間。
ノアティス王は玉座に深く腰を下ろし、鋭い眼差しでひとりの若者を見下ろしていた。
アルヴァン──次期国王たる王子は、毅然とした態度でその前に立っている。
「……何か、あったのか」
低く、威厳を湛えた声が、広々とした空間に静かに響いていた。
「はい。どうか、学園へ通う回数を増やすご許可をいただきたく、参上いたしました」
ノアティス王の眉がわずかに動く。
「理由を述べよ」
アルヴァンは、ティーナのことには触れず、慎重に言葉を選んだ。
「学園には、多くを学ぶ機会がございます。
知識のみならず、人を知り、腹心となるべき者を見出すためにも、必要な時間と考えております」
その答えに、ノアティス王は眉を寄せる。
「アルヴァン──自ら言っていたであろう。学園へ行くのは週に一度で十分だと。
我も、そう思っていた。だが、急に──なぜ考えを改めたのだ」
アルヴァンは、一瞬だけ言葉に詰まりながらも、何とか声を絞り出す。
「……人を知り、腹心となるべき者を見出すために、必要と考えたゆえでございます」
「人を知りたいのなら、まず民を知れ。腹心は、我が目で見極める。──よいな、アルヴァン」
アルヴァンは、黙って膝をつき、頭を垂れる。
「お前に課せられた責務は、次期国王として、国を治める術を学ぶことである。
学園で学ぶべきことは、もはや残されておらぬ。──わかったな!」
アルヴァンは立ち上がらず、なおも膝をついたまま、深く頭を垂れていた。
(だめだ……正当な理由が、どうしても思いつかない……どうすれば……)
心臓の鼓動がやけに耳に響いてくる。
考えても考えても、空白ばかりが広がっていく。
それでも、言葉を諦めたくはなかった。
そのとき──
王妃セリシアが、そっと扇子を口元にあて、穏やかに口を開く。
「陛下──アルヴァンは、まだ十八。
友との時間も、これからを歩むうえで、きっとかけがえのない財産となりましょう」
王妃の声は、静かに、しかし温かく包み込むようだった。
ノアティス王は、ほんのわずかに目を細め、そして嬉しそうに言った。
「さすがは、我が王妃よ。──よかろう」
厳しかった表情がわずかに和らぎ、王の口元に小さな笑みが浮かぶ。
「週に二度だけは、許可する。ただし──他の職務が一つでも滞れば、その条件は即刻破棄だ。いいな」
──この国王も、どうやら妻には甘いらしい。
アルヴァンは、深々と膝をついたまま頭を下げる。
「……ご許可、誠に有難く存じます」
重苦しい沈黙が満ちていた王座の間を、まるでスキップでもするかのような足取りで後にした。
王子が去った後。
王妃セリシアは、扇子を口元に寄せたまま、静かに呟く。
「アルヴァンが見初めた子、楽しみ……」
やわらかな微笑みを浮かべながら。
だがその声は、王の耳には届いていなかった。