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第22話

いつもと変わらない朝の教室に、ひとつの知らせが静かに落ちた。


「ドンパッチ君は、家庭の事情で、週に二回だけの登校となります。今日はお休みです」


先生は、いつも通りの、ほんの少しだけ緊張を含んだ口調でそう告げた。


教室にざわめきが走る。


「……えっ、なんで?」

「働かなきゃいけないのかな」

「さびしくなるな……」


あちこちから心配そうな声が上がり、空気には、ぽっかりと穴が空いたような静けさが広がっていた。


ティーナは、ふいに胸の奥が詰まるのを感じていた。

そっと目を閉じる。──どうして、そんなことに。


けれど、すぐに思い直す。

自分だって、名ばかりの男爵家で育ち、裕福とは言えない暮らしをしている。

きっとドンパッチくんにも、誰にも言えない事情があるのだろう。


悲しそうな顔なんて、見せたくなかった。

彼はきっと、誇り高く、ただ静かに努力を重ねているのだ。


ティーナは、そっと胸に手を当てる。

──大丈夫。きっと、大丈夫。

今、自分にできることを考えよう。

そう心に言い聞かせると、胸の重さがほんの少しだけ軽くなっていった。


──そうだ。次に来たときには、いなかった日のことを、たくさん話してあげればいい。

「何も変わっていない」って、そう思ってもらえるように。


そう考えるうちに、締めつけられていた心が、ふわりとほどけていく気がした。


ティーナは、小さくうなずいていた。

そして、ほんのりと、静かに微笑んだ。


──また、会える。きっと大丈夫。

そう、自分にそっと言い聞かせるように。


人目を避けるように、アルヴァンとシグルドは壁際に並んで立っていた。

シグルドは珍しく困ったように眉をひそめ、低い声でつぶやく。


「……王子、もう無理です。国王様をごまかすのは」


アルヴァンは小さく舌打ちをし、壁にもたれる。

「なんとかしろよ、シグルド……!」


声は抑えているつもりだったが、必死さがにじんでいた。


だが、シグルドはただため息をつく。


「今度ばかりは、冗談抜きで首が飛びます」


その言葉に、アルヴァンはぐっと唇を噛んでいた。

せっかく……せっかく、ティーナと自然に話せるようになってきたのに──。

胸の奥で、焦りと悔しさが渦を巻いていく。

だが、父であるノアティス王の目をごまかし続けるには、もはや限界が迫っていた。


アルヴァンは、意を決して、強い足取りで王座の間へ向かっていく。


重厚な沈黙が満ちる王座の間。

ノアティス王は玉座に深く腰を下ろし、鋭い眼差しでひとりの若者を見下ろしていた。

アルヴァン──次期国王たる王子は、毅然とした態度でその前に立っている。


「……何か、あったのか」


低く、威厳を湛えた声が、広々とした空間に静かに響いていた。


「はい。どうか、学園へ通う回数を増やすご許可をいただきたく、参上いたしました」


ノアティス王の眉がわずかに動く。


「理由を述べよ」


アルヴァンは、ティーナのことには触れず、慎重に言葉を選んだ。


「学園には、多くを学ぶ機会がございます。

知識のみならず、人を知り、腹心となるべき者を見出すためにも、必要な時間と考えております」


その答えに、ノアティス王は眉を寄せる。


「アルヴァン──自ら言っていたであろう。学園へ行くのは週に一度で十分だと。

我も、そう思っていた。だが、急に──なぜ考えを改めたのだ」


アルヴァンは、一瞬だけ言葉に詰まりながらも、何とか声を絞り出す。


「……人を知り、腹心となるべき者を見出すために、必要と考えたゆえでございます」


「人を知りたいのなら、まず民を知れ。腹心は、我が目で見極める。──よいな、アルヴァン」


アルヴァンは、黙って膝をつき、頭を垂れる。


「お前に課せられた責務は、次期国王として、国を治める術を学ぶことである。

学園で学ぶべきことは、もはや残されておらぬ。──わかったな!」


アルヴァンは立ち上がらず、なおも膝をついたまま、深く頭を垂れていた。

(だめだ……正当な理由が、どうしても思いつかない……どうすれば……)

心臓の鼓動がやけに耳に響いてくる。

考えても考えても、空白ばかりが広がっていく。

それでも、言葉を諦めたくはなかった。


そのとき──

王妃セリシアが、そっと扇子を口元にあて、穏やかに口を開く。


「陛下──アルヴァンは、まだ十八。

友との時間も、これからを歩むうえで、きっとかけがえのない財産となりましょう」


王妃の声は、静かに、しかし温かく包み込むようだった。


ノアティス王は、ほんのわずかに目を細め、そして嬉しそうに言った。


「さすがは、我が王妃よ。──よかろう」


厳しかった表情がわずかに和らぎ、王の口元に小さな笑みが浮かぶ。


「週に二度だけは、許可する。ただし──他の職務が一つでも滞れば、その条件は即刻破棄だ。いいな」


──この国王も、どうやら妻には甘いらしい。


アルヴァンは、深々と膝をついたまま頭を下げる。


「……ご許可、誠に有難く存じます」


重苦しい沈黙が満ちていた王座の間を、まるでスキップでもするかのような足取りで後にした。


王子が去った後。

王妃セリシアは、扇子を口元に寄せたまま、静かに呟く。


「アルヴァンが見初めた子、楽しみ……」


やわらかな微笑みを浮かべながら。

だがその声は、王の耳には届いていなかった。


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