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第23話

「今日はな……俺の誕生日なんだよ!」


レオンの声が、川辺に気持ちよく響いていく。

頭上の空は澄みきり、木々の影がゆるやかに揺れている。


「だからって、どうしてまた川なのさ」


セイルが呆れたように水筒を置き、日傘の位置を少し直している。


「いいだろ? 自然の中で祝うって、最高じゃんか。空、風、川、レオン!」


エレオノーラが果物のバスケットをそっと水に沈めながら、ぼそりとつぶやく。


「……最後のは自然じゃないわよ」


ティーナはレジャーシートの端にちょこんと座り、小さな団扇を握っている。

その視線は水面に落ち着き、頬には穏やかな表情が浮かんでいた。


「……でも、皆さんとこうして外にいるの、悪くないですね」


ユリウスがクーラーボックスを開けながら、ふっと笑う。


「どう考えても、ここは誕生日会の場所として正しいとは思えないけど……レオンが満足してるなら、まあいいか」


「家の中にじっとしてると、身体がさびそうでさ。こういう日は外に限るって決めてるんだ」


「それ、去年も言ってたよね。森で焚き火囲みながら」


「俺の誕生日はいつだって野外活動なんだよ。……文句ある?」


ベルシアがフルーツナイフを手にして、皮をくるくると見事に剥いている。

その口元から、ひとつため息がこぼれていく。


「全く……私まで付き合わされるとは。しかも従者を置いてこいとか最悪」


セイルがその手元を見て、少しだけ目を丸くする。


「ベルシア、ナイフの扱いが上手いんだな。まさか、君がこんなに器用だとは思わなかったよ」


「まったく……男って、外見しか見ないのよ。これくらいできて当然。私は完璧なんだから」


セイルが小さく呟く。


「最後のひと言がなければ、けっこう可愛いと思うんだがな……いや、ベルシアらしいか」


「でもさ、俺たち、なんだかんだで友達になったよな。きっかけはティーナだけどさ」


ティーナは指先で川の水をすくい上げている。

陽の光がきらきらと反射し、その瞳に淡く映っている。


「……流れてますね、川。止まらないものって、なんだか安心します」


「いまだに自分がみんなを集めてるってこと、わかってないのかもな。天然×無自覚は最強っていう理論、成立してる」


なぜか全員が無言で大きく頷いている。


イケメン三人組も、ティーナの気持ちがドンパッチに向いていることは、とうに理解していた。

そして、もう諦めていた。


ティーナは川の流れを見つめたまま、やさしく微笑んでいる。


「今日は……楽しいですね。私も呼んでくださって、ありがとうございます」


その何気ない言葉と仕草に、場の空気がそっとやわらぎ、

周囲の仲間たちは思わず「かわいい」と呟いてしまっていた。


「ミーナとクラリスも来ればよかったのに」


そうつぶやいたティーナに、ベルシアが肩をすくめる。


「男爵家のあの二人は、私が一緒って知った途端、しどろもどろになって断ってたのよ」


レオンが川に足をつけ、水しぶきをあげながら振り返る。


「おーい! 冷たくて気持ちいいぞ!」


セイルはタオルを広げながら、ぽつりと呟く。


「これ……本当に誕生日会なのかな……?」


「川で騒ぐ元気さが、レオンらしさってことで」


ユリウスが火を起こしながら言葉を添える。


「……きれい。レオンさん、こういう場所……似合います」


ティーナが、川の光に目を細めながら静かにそう言った。


「だろ? 俺、川とも友達になれる気がしてきてる!」


ティーナはふっと笑い、小さくうなずいている。


ユリウスがその横顔に目をやり、そっとささやく。


「……ティーナ、少し元気が戻ってきたみたいだね」


「……ドンパッチ君、大丈夫でしょうか。しばらく学校にも……来ていませんし」


エレオノーラがそっと隣に腰を下ろし、ティーナの肩を軽く叩く。


「まったくもう、ユリウスの言葉はスルーなんだもん。悪気がないってところが、いちばん困るよね、ユリウス」


「いや……そんなことは……ない、こともないな」


そのやりとりを聞いていたレオンが、ぱっと手を叩き、元気よく叫ぶ。


「よし、乾杯だ! 俺様の誕生日、ばんざい!」


皆が小さくつぶやくように口を揃える。


「主役が自ら乾杯って、ほんとレオンだけだな」


「でも……誕生日おめでとう」


ユリウスがコップを掲げると、皆が続いてそれを真似る。


「おめでとう!」


「ありがとうな、みんな!」


笑い声がはじけて、川のせせらぎと重なっていく。

風が通り過ぎて、葉がさらさらと揺れていた。


そのときだった。

草の向こうから、ざわりと小さな音が立つ。

風が木々を揺らす気配に紛れて、誰かの足音が静かに近づいてくる。


陽を浴びた金色の髪が、草の隙間からふっと現れる。

その姿が輪の前に現れた瞬間、川辺の空気がきゅっと引き締まっていく。


「まさか……本当に君たちに会えるとはね」


その声に、全員が反射的にそちらへと視線を向けている。

木々の間から現れたのは、アルヴァン王子だった。

陽の光に包まれたその姿は、自然の中でも気品を隠しきれずにいる。


ティーナが驚いたように立ち上がり、帽子のつばにそっと手を添える。


「……王子様?」


「ちょうどこのあたりを歩いていてね。まさか、君たちがここにいるとは……まったく、嬉しい偶然だよ」


王子は落ち着いた笑みを浮かべながら言葉を重ねる。

その横で、護衛のジグルドが無言のまま控えている。

表情ひとつ変えないその顔には、「こいつは数日待てないのか、ストーカーだぞ」と言いたげな空気が漂っていた。


ベルシアとエレオノーラが素早く立ち上がり、ドレスのすそを優雅に取って、丁寧にカーテシーを見せている。


「アルヴァン殿下、このような場所でお会いできるとは、光栄に存じます」


ユリウス、セイル、レオンの三人も姿勢を正し、ぴしりと揃えて一礼していた。


「殿下がこのような場所へ……なにかご公務でしょうか」


アルヴァン王子は一瞬、視線を遠くに移す。

少し離れた場所には、橋の工事現場がかすかに見えている。


「この川に橋を架ける計画があってね。その視察に来ていたところだったんだ」


ジグルドが王子の背に寄り添いながら、小さな声で釘を刺してくる。


「その賢さを、なぜ変装とかでごまかす……」


だが王子は、それを軽く聞き流し、再び輪の中に穏やかな視線を向ける。


「君たちがあまりにも楽しそうで……つい、心が引かれてしまってね。よければ、私も少しだけご一緒させてもらえるかな」


その申し出に、誰も否とは言えない。

誰もがわずかに緊張を抱えながらも、自然とうなずいている。


王子は一歩進み出て、ティーナの前で立ち止まる。

そして、やわらかな声で問いかけた。


「ここに座っても構わないだろうか」


ティーナは一瞬だけ戸惑ったようにまばたきをして、すぐに柔らかな所作で頭を下げている。


「……はい。どうぞ、お掛けくださいませ」


王子は軽く礼を返し、ティーナの隣へと静かに腰を下ろす。

その動きには一切の威圧感がなく、ただ、あたたかい余韻が残されていた。


彼の声には、力強さと気品、そしてどこか落ち着いた深さがあった。

それは、かつてティーナがドンパッチと交わした言葉の中にあった、あの不思議な安らぎとよく似ていた。


ティーナはふと、王子の目を見つめる。


そこにあったのは──まぎれもなく、ドンパッチ君の瞳だった。


「……どうして……」


言葉にはならないその問いが、静かに空気を揺らす。

けれど、心の奥で渦巻いていたものが、ほんの少しずつほどけていくのを、ティーナは感じていた。


王子のそばで、その存在に触れることで、暴走する力が、少しずつ鎮まっていく。


その光景を見つめながら、皆の胸にはある思いが浮かんでいた。


“やはり、王子はまだティーナを想っているのだな”


そして同時に、そっと胸に残していた。


“ティーナの心はドンパッチにあるのだ。出遅れたなと”


誰もそれを口には出さない。ただ、視線の温度がそれを物語っている。


ティーナは無垢な声音で問いかける。


「王子様も……川に入られるのですか?」


王子は、ほんの一瞬だけ間を置き、笑みを浮かべて応じていく。


「君が望むなら、川でも山でも、私はどこへでも行くよ」


ティーナはそのまっすぐな言葉をそのままは受け取り小動物の様に首をかしげている。


“私のために、そこまでする必要はないのに。”


王子の心拍は、わずかに高まっていた。


“これでも……届かないのか。”


それでも彼は、ティーナの横顔を見つめ続けていた。


ティーナの視線は、ふと川へ向く。

きらめく水面が、まるで返答のように光を揺らしていた。


その後ろでは、皆が輪になって座り、レオンの誕生日を囲んで乾杯の声が広がっていた。


「誕生日おめでとう、レオン!」


「ありがとな!」


笑い声があがり、水音と風とともに空に溶けていく。


ティーナは胸元にそっと手を添える。

小さく、深く呼吸をしていた。


そして──「今日も何も壊さない」と微笑でいた。


ただ確かに、いつものように。


そのころ、川の下流では、まだ誰も気づかぬ異変が、静かにその輪郭を現しはじめていた。

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