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第27話

王子アルヴァンは、天井を見上げて叫んでいた。


「うおおおお……! どうすりゃいいんだ!」


壁に反響する自分の声が、やけに間抜けに響いてくる。絹のような金髪も、すっかりぐしゃぐしゃだ。


「ティーナとは仲良くなれた……でも、あの子は男爵家の娘だぞ? 前例なんて、どこにもない!」


枕元の書類を手当たり次第にめくってみても、どの家系図にも“王家と男爵家の婚約”なんて一例も見つからない。


そして、手を止めて呟く。「爵位を上げるには……国への貢献が必要だ」


浮かぶ方法はただひとつ。ティーナの力を使い、国に何かしらの恩恵をもたらすこと。


だけど、それは彼女の力を世にさらすことでもあり、危険に巻き込むことも意味している。その想像が胸の奥をじわりと締めつけていく。


いくら考えても、アルヴァンにはほかの道が見つからない。


やがて、力尽きたようにベッドに倒れ込み、意識がそのまま深い闇の底へ沈んでいく。



翌朝、窓から差し込む陽射しで目を覚ます。


「寝てしまっていたか……」と、小さな声が漏れる。髪はまだ乱れたままだ。


ふいに何かを思い出し、ばっと目を見開く。


気がつけば、また声を張り上げていた。


「うおおおお……! どうすりゃいいんだ!」

「ティーナの気持ちを聞いていない!」

「うっ、それが先だろう……!」


両手で金髪をぐしゃぐしゃにかき乱し、ベッドの上で回転している。



一方で、ティーナは寝室の薄明かりの中で、ある確信へたどり着いている。

──ドンパッチ君と、アルヴァン王子は同じ人だ。


倉庫の前で教師たちを率いていたあの澄んだ青い瞳。

ドンパッチ君と同じその瞳に、ティーナはもう疑いを持っていない。

さらに、教室に戻ってきたドンパッチ君からは、土の香りではなく、あのとき感じた華やかな香りがふんわりと漂っている。


それから、もうひとつ──

胸の奥にそっと手を置き、ティーナは静かに自覚している。

──わたし、ドンパッチ君のことが、好きだ。


それはつまり、アルヴァン王子を好きになっていた、ということでもある。

ふわりと胸の奥が熱くなる。

でも同時に、どこか遠く引き離されていくような切なさも広がっていく。


「王子様だったんだ……わたしとは違う世界の人……」


枕に顔をうずめ、小さく首をかしげる。

「でも……なんで、王子様がドンパッチ君の格好をしてるんだろう……?」


そんな疑問も浮かぶけれど、やっぱりティーナはどこまでも天然だった。


気持ちを切り替え、そっと心に語りかける。

──わたしは、何も壊さない。それだけは、がんばる。


そう心に決めて、ティーナもゆっくりと眠りへ溶けていく。



翌朝、教室に入ると、ドンパッチ君はすでに席についている。

「おはようございます」と声をかけようとしたティーナだけれど、言葉が喉の奥で止まる。

顔がふわりと熱くなり、胸の奥が高鳴る。

目を逸らしながら、そっと自分の席に腰を下ろした。


ドンパッチ君も、どこかいつもと違う。

小さな声で何かをぶつぶつ呟いていて、ティーナが隣に座ったことにも気づいていないようだった。


「……ティーナは、どう思っている……」

「もし、嫌いと言われたら……」

「むりだ、言えない……」


ドンパッチ君──アルヴァン王子の頭の中は、どう切り出せばよいか分からず真っ白になっている。

恋愛に関しては、誰よりも純粋で、不器用なままだ。


二人は隣同士に座ったまま、言葉もなく、緊張のあまりただ前だけを見つめている。



教室の後ろでは、エレオノーラ、ミーナ、クラリスの三人が様子を見守っている。


ティーナは下を向いて席につき、ドンパッチ君もぶつぶつと何かを呟きながら、二人でじっと前を見ている。


エレオノーラは、くすっと微笑む。「ティーナ、やっと気づいたのかな」

ミーナが元気よく頷き、「うん、ふたりとも、ちょっと顔赤いよね!」

クラリスも筆を置いて微笑み、「このままうまくいくといいね……」


三人の視線には、からかいや冷やかしではなく、純粋な期待と温かさがこもっている。

仲間の想いが芽生える、その瞬間を応援するように、ふたりの背中を見つめている。


しばらく三人は様子をうかがっていたが、二人の間に何の進展も見られない。

エレオノーラはため息をつきながら、ティーナの背後に回り込む。そして、ふわりと抱きついて、からかうような声をささやく。


「……ティーナ、顔が真っ赤よ? どうしたの?」


「そ、そんなことないです……っ」


ティーナは懸命に否定するけれど、その声には戸惑いが滲んでいる。

エレオノーラはおもしろそうに笑みを浮かべ、首をかしげて問いかける。


「じゃあ、今日はドンパッチ君と全然話してないのは……どうして?」


ティーナは「べ、べつに……」と言いかけて、言葉を飲み込み、黙り込んだ。

ミーナがぱっと手を叩き、声を弾ませる。


「もしかして、ケンカしたとか?」


ティーナは驚いたように首を大きく横に振る。


「そんなことありません……ドンパッチ君とケンカなんか、絶対しません!」


その真剣な声に、クラリスはそっと微笑み、やわらかな声で尋ねる。


「じゃあ、どうして話しかけなかったの?」


三人のまなざしがティーナに集まる。

ティーナは息をのむように視線を落とし、黙り込む。頬はまだ赤いまま、唇はきゅっと結ばれている。

胸の奥では、まだ形にならない想いがかすかに揺れている。


それでも、三人の目には変わらぬあたたかさが宿っていて、やさしくティーナの背中を見守り続けている。



そんなやり取りは、教室のざわめきの中でも、ドンパッチ──アルヴァン王子の耳にきちんと届いていた。

ティーナが「絶対にケンカなんかしません」と言った瞬間、ドンパッチの手がふと止まる。


……嫌われてはいない?


ティーナの揺れた声。赤く染まった頬。「べつに」と言いかけて詰まった様子。

──もしかして……好意?


その考えが浮かんだ瞬間、アルヴァン王子は自分の頬が熱くなっていくのを感じている。


「……え? まさか……そういうこと?」


小さく呟いたその声には、戸惑いと驚きが混じる。

けれど、その奥で少しずつ確かな勇気が灯りはじめている。



そしてその瞬間、アルヴァン王子は──しっかりと、覚悟を決めていく。


放課後、もしふたりきりになれたなら、そのときこそ自分の言葉で気持ちを伝えよう。

ティーナの優しさも、強さも、あの笑顔も。どれだけ大切に想っているかを偽りなく伝えたい。


それは王子としての責任ではない。ただ一人の青年としての、まっすぐな想い。


放課後のチャイムが鳴り、教室では誰もふたりの心に気づかぬまま、帰り支度が進んでいく。

窓の外には、沈みかけた太陽が雲を焼き、真っ赤な夕焼けが空いっぱいに広がっていた。


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