授業の終了を告げる鐘が鳴っている。
ドンパッチは机についたまま一瞬じっとしてから、静かに立ち上がる。呼吸を整えようと深く息を吸い込むが、胸の奥でざわつく緊張がなかなか収まらない。頭の片隅で「今日こそは」と小さな決意が膨らみはじめ、ティーナのほうへと歩み寄る。
「ティーナさん……あの、今日、このあと、少しだけお時間いただけますか」
思ったよりも声が震えていることに自分でも気づいて、内心で戸惑いが広がっている。その震えがティーナにも伝わったのか、彼女は目をまるくして驚きの表情を浮かべる。反射的に小さく頷き返していた。
「……はい」
「では、行きましょう」
なぜか行き先を説明しないまま、ドンパッチは自分の背中を押すようにくるりと向きを変える。歩き方はぎこちないが、一歩ごとに「もう戻れない」という覚悟が感じられる。
教室の隅ではエレオノーラが眉を寄せてふたりの様子をうかがっている。
「……『じゃあ行きましょう』って、どこに行くのかくらい伝えなきゃ、もう……」
ため息まじりの小声で、そっとぼやいている。
ミーナは机から身を乗り出し、目を輝かせている。
「ねえ、ついていってみようよ!」
声が弾んで、冒険が始まるような雰囲気に包まれている。
クラリスも「面白そう……」とささやきかけるが、エレオノーラが首を振って静止する。
「……やめておこう。ティーナも、きっと嫌がるわ」
それでも、好奇心を抑えきれない空気が漂っている。教室を出ていくふたりの背中に、じわじわと視線が集まっていく。
エレオノーラは肩をすくめ、小さくぼやく。
「まあ……ある意味、お似合いなのかもね」
廊下に出ても、ドンパッチは呼吸を整えようとしきりに深呼吸を繰り返している。周囲の視線が集まっていることに気づきながらも、足を止めることができない。
ティーナは顔を真っ赤に染めたまま、その背中を一生懸命追いかける。いつもの凛とした雰囲気とは違い、どこか頼りなげな歩き方になっている。
ドンパッチの心には、「ついにやったぞ」と叫ぶような高揚感と、先走った決意が入り混じっている。告白の覚悟はできているが、「どこで言うか」までは考えが及ばず、内心で焦りが広がっている。
「……ティーナのことになると、どうしても空回りしてしまう」
すれ違う生徒たちは、ふたりを不思議そうに見つめている。小声で笑いながらささやく生徒の声が廊下に広がっていく。
「……あれってさ、なんか連行されてるみたいじゃない?」
ドンパッチは廊下の途中で立ち止まり、ゆっくりとティーナのほうを振り返る。
突然、片膝を床について胸に手を当て、もう一方の手をティーナへ差し出す。芝居じみた仕草に、廊下の空気が静まり返る。
通りすがりの生徒たちも足を止め、「劇の練習なのかな」「いや、本気なのかも」とささやき声があちこちで広がっていく。
ティーナは予想外の展開に戸惑いながらも、「これは劇の練習なんだ」と心の中で受け止めている。「わたしも、ちゃんと演じなきゃ」と意識が切り替わり、さっきまでの恥ずかしさがいつの間にか冷静な集中に変わっていく。
廊下には、生徒たちの視線が集まっている。
「なにあれ……告白?」「劇じゃなくて、本気?」という声が、さざ波のように広がっている。
騒ぎに気づいたエレオノーラたちも、「何か始まってる?」と顔を見合わせながら駆け寄ってくる。
ドンパッチは、ざわつく空気の中で、意を決して声を張る。
「ティーナさん、僕はあなたを愛しています。僕と、婚約を前提に、お付き合いしてください」
声が震えているのに、まっすぐな思いだけは誰の耳にも届いている。
ティーナは、まるで劇の一幕のように、凛とした声で「はい、喜んで。……わたしも、あなたのこと、愛しています」と答える。差し出された手をそっと取るその姿に、周囲は静まり返る。
まるで舞台の主人公とヒロインのような光景が、廊下の空気ごと一変させていく。
女子生徒たちは胸に手を当てて、「いいなぁ、私もあんなふうに言われたい」と憧れを口にしている。
エレオノーラたちは、口を開けたまま呆然とふたりを見つめていた。
ティーナ自身は、心の奥に不思議な感触が広がりながら、「……うまく劇の相手ができたかな」と微笑みを浮かべている。
そのとき、ドンパッチはティーナをそっと抱き上げ、お姫様抱っこの姿勢で人垣を抜けていく。
「えっ、お姫様抱っこ!?」「今の何が起きたの?」「ティーナちゃん、嫌がってない……」「これは反則……」
廊下の女子たちは、驚きと羨望の視線を送りながら、ふたりの姿を見送る。
やがて屋上にたどり着く。
薄く夕日が差し込む空間で、ドンパッチは満面の笑顔を見せる。「僕の告白を受けてくれて……ありがとう」
ティーナは少し首をかしげて、やわらかく微笑んでいる。
「……劇の練習、まだ続けるのですか?」
ドンパッチは固まったまま動かない。
劇だと思われていたことを、ようやく悟る。
けれど、もう後戻りはできない。
「……ティーナさん、ごめんなさい。これは劇じゃない。僕の本当の気持ちです」
深く息を吸い込んで、もう一度片膝をつく。
右手を胸に、左手をゆっくりと差し出す。
「ティーナさん。僕はあなたを愛しています。どうか、婚約を前提に……お付き合いしてください」
ティーナの顔はさらに赤く染まり、胸の高鳴りを隠しきれない。
それでも、まっすぐな想いを受け止めようと小さく頷く。
「……はい、喜んで。……わたしも、あなたのこと……愛しています」
声はかすかに震えているが、その分だけ本心が伝わっていく。
ドンパッチは、思わず右手を天高く掲げて、全力のガッツポーズを取っている。
ティーナは困ったような笑みを浮かべながら、小さく呟く。
「でも……ドンパッチ君のことは好きですけど……王子様との婚約なんて、わたしには……」
ドンパッチはガッツポーズのまま、屋上の風に包まれて立ち尽くしている。
茜色に染まる空には、静かに雲が広がっていく。
ふたりを包む余韻だけが、長く静かに残っている。