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第40話

ノルドはロクス司令官から怒鳴られていた。


「てめえの部隊は何だ! 練度も士気も最低だ!」


怒声は容赦なく飛び、周囲の兵たちの視線が冷たく集まった。


「これでは私が無能と言われる」


司令官は苛立ちを隠さず、ノルドを激しく蹴りつけた。


「こんな奴に俺の奴隷兵を任せたのは間違いだった。次は前線に送るぞ」


ノルドは土下座しながら頭を土につけて謝っていた。


「申し訳ありません。この部隊は私でも……頑張ります」とだけ繰り返した。


しばらく蹴って気が晴れたのか、司令官は戻っていった。


周囲の奴隷兵たちは心配そうにノルドを見つめていたが、ノルドは逆に怒鳴り返した。


「お前たちが、俺の言うことを聞かないからだ!」


なぜか、その姿に少し笑ってしまっている奴隷兵達もいた。


奴隷兵は強い者ほど先に死ぬ。

ならば、弱く見せるしかない。

──それが、奴隷兵の生き残れる唯一の手であり、ノルドの部隊は演技を続けていた。

──勝てる機会が来るまで、ひたすらそれを待ち続けるために。


ロクス司令官が率いる正規兵も最弱であり、ノルドたちの奴隷部隊もまた最弱部隊であった。


ロクス司令官は、敵に対して最も軽視された裏側の城壁を任されたことで、激しい憤りを抱いていた。それは、彼の部隊が戦力として最も評価されていないという判断の現れだった。


一個大隊の構成は総勢五千。司令官一人、副司令官四人、そして正規兵二千、奴隷兵三千である。


そして、クスタリカを守るようにの四つの砦が、最前線として要所に配置されていた。要の砦であり、主力部隊、各五千が配置されていた。総兵力二万である。


最後の防衛拠点であるクスタリカは、四つの城壁で守られていた。

四つの城壁にそれぞれ一個大隊が割り当てられており、クスタリカの総兵力は二万である。


クスタリカ全体を統括する総司令官ガリウス・デヴァルドの指揮下には、先鋭部隊二万がいた。これにも奴隷兵三千が含まれていた。奴隷兵は捨て駒として扱われるためである。


クスタリカの総防衛戦力は、六万であった。


ロクス・ハーリン司令官が率いる部隊には、ノルドたち奴隷兵も含まれていた。


ノルドたち奴隷部隊は、泥の上を歩いていた。さびた槍、磨かれていない革鎧、くたびれた顔。列は崩れ、歩調も揃っていない。見ようによっては戦力にすら見えなかった。


クスタリカの街では、正規兵たちの談笑が響いていた。

「敵は少ないらしい」「最前線が善戦してる」「一週間くらいで終わるかもな」──

ノルドは、歩を止めずに耳だけを傾けた。


浮ついた声に、ノルドの確信は深まった。

──これは、仕組まれた敵の罠だ。少ない部隊で砦を攻略するなど不可能だ。

──総司令官ガリウスが有能であることを祈っていたが、正規兵の動き、他部隊の奴隷兵の様子を見る限り、ただの凡庸な司令官だと感じていた。ノルドたちの奴隷部隊は、他の部隊から一番笑われていたが。


三日後、クスタリカでは「前線優勢」「敵軍後退中」「敵軍の援軍なし」という報が飛び交っていた。


クスタリカの総司令官ガリウスは、「この機に乗じて殲滅戦に出る」と高らかに宣言し、精鋭部隊2万を引き連れて敵へと向かった。


ノルドは、それらの行動から理解した。

──おそらく、ガリウスが率いる部隊は崩壊する。

──それでも、自分の推測が外れることを祈っていた。


裏門城壁は活気がなく、夜が来るたび、風が音を奪い、城壁には沈黙が広がった。

ノルドは身を伏せるようにして城壁から離れ、民家の影を縫い、小道をたどって一軒の扉を叩いた。


そして、灯りが漏れる扉を叩いた。


「マルレーネ、俺だ、ノルドだ」


不安げな顔で待っていたマルレーネの顔が綻びドアを開ける。


「ノルド大丈夫、はやく入って」


ノルドは、戦火から逃れる策や街を守るための方法を、マルレーネと共にこの小屋で相談していた。それは、同時に彼女と心を通わせる特別な時間でもあった。


最初の夜、ノルドは小さな声で呟いた。

「……きみに危険なことをさせてすまない」

その声音には、不安が滲んでいた。


マルレーネは首を横に振り、やわらかく微笑む。

「わたしは大丈夫です」


また別の晩、ノルドはしばらく沈黙したあと、俯きながらぽつりと言った。

「きみは……疲れていないか?」


そのときは、マルレーネがいたずらっぽく笑う。

「大丈夫ですってば。見てのとおり、元気です」


その笑顔に、ノルドも少しだけ肩の力を抜いていた。


さらにある夜には、ノルドがふと呟く。

「きみがいなければ……僕には何もできない」

その声には、どこか頼りなさが混じっていた。


マルレーネはきゅっと表情を引き締め、まっすぐにノルドを見つめて答えた。

「そんなこと、言わないで。ふたりだから、できることがあるの」


ふたりのあいだに沈黙が落ちた。遠く、夜風に紛れてかすかな鐘の音が聞こえる。


そして戦火が近づき、ノルドがもうここに来られなくなった最後の夜。


ノルド──クラウスは、ぽつりと呟いた。

「……やれることはやった」

その声には、満足と諦めが混じっている。


マルレーネは、しっかりとした声で言った。

「まだでしょ。ふたりで生きることが、終わってない」


クラウスはまっすぐマルレーネを見つめ、火の粉がふっと舞い上がる。


「そうだな……もし生き残れたら──結婚しよう」


マルレーネは小さく目を閉じ、そしてしっかりとうなずいた。

「……はい」


クラウスは、マルレーネを抱き寄せ、静かに守るように腕を回した。


その夜、クスタリカの街には不穏な空気が漂っていた。司令部では伝令が走り回り、どの家にも灯りが消えずにともされている。砦の外では、遠く敵軍の太鼓の音が響き始めていた。


ノルドは、闇の向こうを見つめたまま、マルレーネの手を離さなかった。

「どんな手段を使っても、きみだけは守る」

そのささやきに、マルレーネは静かにうなずく。


ふたりが祈るように願った夜の静けさは、やがて遠ざかっていく。

やがて、遠くで最初の爆音が鳴り響いた。


それは、最後の砦の町、クスタリカ総攻撃の始まりだった――。


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