目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第43話

――雲ひとつない朝だった。

青空のもと、広場には兵も民も、老いも若きも集まり、張り詰めた静寂に包まれていた。


壇上のクラウスは、鎧と剣を陽光に輝かせながら、ゆっくりと街の人々を見渡した。そのまなざしは、まるでひとりひとりを抱きしめるかのように、やさしくも強かった。


「クスタリカの民たちよ!」


高く澄んだ声が、石畳を走り抜け、隅々まで響き渡る。

思わず息を呑むように、誰もがその場に立ち尽くした。


「私がクラウス将軍である!」


その名を、子どもたちまでもが知っている。英雄の噂は、物語となり、願いとなり、この街の希望そのものとなっていた。


「王の命を受け、この街の防衛を任された」


クラウスの声は迷いなく響いた。


「だが、今の状況では、その任を全うすることはできない」


空気が震える。


「敵は十万を超える大軍。対する我が兵力は三万に過ぎない」


ざわめきと動揺の波が広場を駆け抜ける。

しかし、クラウスは続けた。


「総司令官ガリウス・デヴァルドの精鋭二万はここにはいない。

この街を守る兵の多くは、奴隷兵であり、装備も万全とは言えない。

敵は兵数でも、武器でも、我々を圧倒している」


事実を、決して誤魔化さず告げる。その誠実さが、かえって民たちの胸を打った。


「それでも私はこの街を守ると決めた」


言い切った瞬間、誰もがその横顔に目を奪われた。


「この街を守る方法はひとつしかない──民の力を結集することだ」


「武器を取れとは言わない。戦うのは我々兵の責務だ。だが、諸君たちの協力なくして勝利はない」


「私は一人たりとも死なせない。命をかけて、この街を守る」


真剣なまなざしが、遠くの塔の上まで貫いた。


「君たちは、この街と共に滅びる道を選ぶのか?」


「女子どもが奴隷にされることを、受け入れるのか?」


「私は断じて、そんな事は許さない。命を投げ出してでも敵を止める」


声が震えるほどの熱と、涙がにじみそうなほどのやさしさ――

「あなたたちも、命を懸ける覚悟でこの街を守ってください」


「そうすれば、必ずこの街は救えます」


広場に沈黙が満ちた。


やがて、どこからともなく男が叫ぶ。「俺たちの町だ!」

次いで別の声が続く。「俺たちが守る!」

それは雪崩のように、街の隅々まで伝わり、


「英雄クラウス将軍なら守ってくれる!」「そうだ!」「間違いない!」


最後には、広場が一つの声になる。「英雄クラウス将軍万歳!」


クラウスは民の熱に包まれながら、静かに剣を天に掲げた。


その時、朝の光は一段と強く降り注ぎ、彼の鎧を、そして人々の決意を、黄金色に照らした。


壇上の周囲では、彼を支える司令官たちが鎧をまとい、黙ってその背中を見つめていた。

マルレーネもまた鎧姿で、広場の端からクラウスの横顔を見つめていた。

あの朝からずっと続く胸の鼓動は、いまだ静まる気配を見せなかった。


ただ一人、ロクス司令官だけは、拳を強く握りしめ、噛みしめていた。

――クラウスから「あなたも名将になれる」と言われた、その一言が胸に残っていた。


クラウスの演説から街は動き出した。

民たちは家を出て広場に集まり、若い者は力を、老いた者は知恵と手を、女や子どもは物資を、互いに惜しみなく差し出した。


鍛冶場には朝から火が絶えず、町中から鉄や木材が集まった。

新しい武具と盾、投石器、鎖の仕掛け。

家々の壁は解体され、防衛線や遮蔽物として外壁に積み上げられた。


罠を仕掛ける者、通路を封鎖する者。

まきびしやロープ、袋小路の構築、仕掛け壁の設置など、知恵を絞り工夫が繰り返された。

ただし火だけは使わなかった。延焼を恐れて――それがクラウスの判断でもあった。


街全体が「自分たちの町を守る」という強い意志に包まれた。

誰一人諦めてなどいない。


正規兵も奴隷兵も区別なく、鍋を囲んで同じ粥をすすり、夜はともに火を囲みながら、明日を語り合った。


「お前、手伝えるか?」「うん、縄を結ぶのは得意なんだ」

「なあクラウス将軍、本当に……勝てるのか?」

「勝つさ。必ず」


クラウスは準備の合間にも民の中を歩き、時に膝をついて子どもと話し、老婆の手を取って感謝を述べた。


その姿に、住民も兵も誇りと勇気を取り戻していった。


夜になると、砦の外から不穏な太鼓の音が響きはじめた。

「いよいよ来るぞ」

「ここが正念場だ」


月のない漆黒の空の下、クスタリカの四方の門には、小さな灯が並んでいた。

静かに揺れるその炎は、闇を照らす光であり、人々の胸にともされた決意と希望そのものだった。


やがて総攻撃を告げる重いドラの音が、街全体を震わせた。


クラウスは、マルレーネにそっと言葉をかける。

「お前は安全な場所にいろ」

「いやです、私は一緒に戦います!」


クラウスは苦笑しながらもう一度抱きしめた。

「じゃあ、隣にいてくれ。お前がいると、俺は何があっても立ち続けられる」


マルレーネはうなずき、涙をこぼしそうになりながら「必ず、生きて帰ってきて」とだけ伝えた。


敵軍のたいまつの列が、闇の彼方にゆらめく。

クラウスは剣を手にし、民と兵士たちの前に立つ。


「ここが、我々の街だ!」


――決戦の夜が、静かに、しかし確かに、始まろうとしていた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?