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第51話

国王は、椅子に身を預けたまま──

じっと、ティーナを見据えていた。


その瞳には、王としての威厳と、審判にも似た光が宿っている。


「……そなたが、ティーナか」


低く、重い声音が室内に響いた。問いというより、圧。

その視線はまるで、王城の壁すら貫くかのようだった。


けれど、ティーナは終始、自然体だった。

優しく、静かな微笑をたたえたまま──

まっすぐに、王の目を受けとめていた。


そして、気品に満ちた所作で、深々と礼をする。


「国王陛下、王妃様。このような光栄な場にお招きいただき、心より感謝申し上げます」


その声音は、凛として柔らかく、どこまでも澄んでいた。

幼い頃から培ってきた“制御”の力が、その一挙手一投足に宿っていた。


国王の眉が、わずかに動いた。

鋭い視線をそのままに、声音をひときわ低く落とす。


「……そなたの家は、男爵家か」


その口調には、貴族としての格の違いを示す冷ややかさが、ありありと滲んでいた。

あえて抑えられた言葉の刃──それは、相手の出方を測る、王の問いかけにして試練でもあった。


ティーナは──終始、おだやかだった。

力の制御という試練に鍛えられたその心は、誰にも崩せないのかもしれない。


背筋をまっすぐに伸ばし、ゆるやかに一礼する。

その所作は、ただ──相手への礼を尽くす、いつもと変わらぬ動作だった。


「はい。家名、バルティネス。男爵家でございます」


その声は澄みきっており、ただ、王の問いに礼をもって応じたにすぎなかった。

威圧にも、偏見にも抗うことなく──けれど決して、揺らぐこともなかった。


国王は、椅子の背に身を預けたまま──

その厳しい眼差しを、いささかも崩さなかった。


放たれる重圧は、まさに王としての威光そのもの。

室内の空気が、ぴんと張りつめる。


「……男爵家の娘が、王家と婚約できるとでも思っているのか」


低く、威圧するような声音。

その言葉は、試すためではなく──圧し潰すためのものだった。


ティーナは、深く丁寧に礼をとりながら、静かに口を開いた。


「はい。陛下の仰る通り、私では──身分が違うと存じます」


やがてゆっくりと頭を上げるその動作には、ただ美しさだけでなく、凛とした気品が宿っていた。


そして、優しい眼差しのまま、王の目を見つめて続ける。


「けれど、私は王子様を愛しております。王子様も、私を愛してくださっています」


その言葉には、ひとつの飾りもなかった。

ただ、まっすぐな想いと、揺るぎない真実だけがあった。


「身分の違いは、重々承知しております。そのうえで──本日、こうしてお目にかかれると伺い、まいりました」


その瞬間、私室に漂っていた空気が、音もなく張り詰める。


国王は、何も言わなかった。

ただ、黙したまま──毅然(きぜん)と立つ少女を、じっと見つめていた。


王妃は、ティーナの毅然(きぜん)とした返答に、内心、わずかな驚きを覚えていた。

けれど──その視線がふとティーナの背後へと移った瞬間。


「……あなた……どうして、ここに?」


思わず声が漏れる。

目を見開いた王妃が見つめていたのは、ティーナのすぐ後ろに、静かに控えていた侍女──ベアトリスだった。


ベアトリスは、礼節をわきまえた所作で、王妃に一礼する。


「はい。いまは、男爵家でお世話になっております」


その声は落ち着いており、礼を失わぬ簡潔な返答だった。

けれど、王妃の表情には、確かな動揺の色がにじんでいた。


国王が、隣にいる王妃へと視線を向けた。


「……知っているのか」


王妃は静かに頷き、ベアトリスへ一瞥を送りながら答える。


「先代王妃に仕えていた者です。メイド・オブ・オナー──侍女長でした」


「……なるほど。そういうことか」


国王は何かを思い出すように目を細め、その言葉に、ひとつ納得したようだった。


王子アルヴァンが一歩前に出て、堂々とした声音で告げた。


「この男爵家のティーナ嬢と、婚約を望んでおります」


そのまま視線を国王へまっすぐ向け、揺るぎない意志を込めて続ける。


「ティーナ嬢以外との婚約も、結婚も──一切、考えておりません」


ファリーナが椅子をきしませて立ち上がり、鋭い視線をティーナに向けて叫んだ。


「お兄様は、その女に騙されているのよ! どうしてお父様もお母様も気づかないの!」


王妃は、柔らかく諭すように娘に言った。


「ファリーナ。まずは、王子の話を聞きましょう」


けれどファリーナは、納得のいかぬまま、ぷいと横を向いてしまった。


アルヴァン王子は、まっすぐに国王を見据えた。


「今は、詳細を申し上げることはできませんが──

私とティーナで、この国の抱える問題を、必ずや解決してみせます」


そのひと言に、場の空気が静まり返る。

王子はなおも言葉を重ねた。


「その成果をもって、男爵家への報償として、家格をお上げいただければと考えております」


一礼し、揺るぎない声で続ける。


「報償につきましては、国王陛下の厳正なるご裁定に、すべてお従いいたします。

そして──もし、それが叶わぬ結果となりました折には、私自ら、この婚約を撤回いたします」


静謐のなか、王子の決意だけが、重く、はっきりと響いていた。


ノアティス国王の目が、鋭く細められた。


「──わしにも、言えぬというのか」


その声音には、王としての威厳がにじんでいた。


アルヴァンは深く頭を下げる。


「はい。申し訳ありません。それは──ティーナ嬢の安全を最優先とした判断ゆえにございます」


一瞬の沈黙ののち、顔を上げて言い切る。


「最初の成果は、必ず一月以内に上げてみせます。

どうか、それまでのご容赦を──」


国王は、厳しくも静かな声で返した。


「国のためになるのならば、よいだろう。

ただし──言い訳は、一切許さん」


王子は姿勢を崩さず、力強く応じた。


「はい。国のために、最善を尽くします」


──その声には、一切の迷いがなかった。


アルヴァン王子が、心配そうに言った。


「ティーナ嬢は、慣れぬ王宮で少し疲れているかと存じます」


ティーナは、ゆっくりと王子のほうへ目を向ける。

そして、いつもの癖のように、首をちょこんと傾けた──疲れてなどいないけれど。


その何気ない仕草に、場の空気がふとやわらいだ。

王妃も家臣たちも、そして国王ですら──その柔らかな所作に、ほんのわずか目を細める。


ファリーナもまた、一瞬だけ、思わず「……かわいい」と心の内で呟いていた。

だが次の瞬間、唇を固く結び、くるりと背を向ける。


「……わたくしは、お兄様には、ふさわしくないと思います」


そう言い残すと、足音も高く、部屋を飛び出していった。


ティーナは、その背を少し心配そうに見つめ、また小さく首を傾けた。

──体調でも、悪くなったのかしら……と。


その無垢な仕草が、張りつめていた空気を、すっとほどいてゆく。

──無意識の破壊力とは、まさにこのことだった。


そしてティーナは、再びアルヴァン王子のもとへと歩み寄り、

その背を──凛とした姿勢のまま、けれどどこか小動物のような愛らしさをたたえた足取りで、静かについていった。


その後ろ姿を見送りながら、王妃は微笑みを浮かべ、国王もまた、目を細める。


アルヴァン王子は──きっと、諦めることなどないだろうと。


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