国王は、椅子に身を預けたまま──
じっと、ティーナを見据えていた。
その瞳には、王としての威厳と、審判にも似た光が宿っている。
「……そなたが、ティーナか」
低く、重い声音が室内に響いた。問いというより、圧。
その視線はまるで、王城の壁すら貫くかのようだった。
けれど、ティーナは終始、自然体だった。
優しく、静かな微笑をたたえたまま──
まっすぐに、王の目を受けとめていた。
そして、気品に満ちた所作で、深々と礼をする。
「国王陛下、王妃様。このような光栄な場にお招きいただき、心より感謝申し上げます」
その声音は、凛として柔らかく、どこまでも澄んでいた。
幼い頃から培ってきた“制御”の力が、その一挙手一投足に宿っていた。
国王の眉が、わずかに動いた。
鋭い視線をそのままに、声音をひときわ低く落とす。
「……そなたの家は、男爵家か」
その口調には、貴族としての格の違いを示す冷ややかさが、ありありと滲んでいた。
あえて抑えられた言葉の刃──それは、相手の出方を測る、王の問いかけにして試練でもあった。
ティーナは──終始、おだやかだった。
力の制御という試練に鍛えられたその心は、誰にも崩せないのかもしれない。
背筋をまっすぐに伸ばし、ゆるやかに一礼する。
その所作は、ただ──相手への礼を尽くす、いつもと変わらぬ動作だった。
「はい。家名、バルティネス。男爵家でございます」
その声は澄みきっており、ただ、王の問いに礼をもって応じたにすぎなかった。
威圧にも、偏見にも抗うことなく──けれど決して、揺らぐこともなかった。
国王は、椅子の背に身を預けたまま──
その厳しい眼差しを、いささかも崩さなかった。
放たれる重圧は、まさに王としての威光そのもの。
室内の空気が、ぴんと張りつめる。
「……男爵家の娘が、王家と婚約できるとでも思っているのか」
低く、威圧するような声音。
その言葉は、試すためではなく──圧し潰すためのものだった。
ティーナは、深く丁寧に礼をとりながら、静かに口を開いた。
「はい。陛下の仰る通り、私では──身分が違うと存じます」
やがてゆっくりと頭を上げるその動作には、ただ美しさだけでなく、凛とした気品が宿っていた。
そして、優しい眼差しのまま、王の目を見つめて続ける。
「けれど、私は王子様を愛しております。王子様も、私を愛してくださっています」
その言葉には、ひとつの飾りもなかった。
ただ、まっすぐな想いと、揺るぎない真実だけがあった。
「身分の違いは、重々承知しております。そのうえで──本日、こうしてお目にかかれると伺い、まいりました」
その瞬間、私室に漂っていた空気が、音もなく張り詰める。
国王は、何も言わなかった。
ただ、黙したまま──毅然(きぜん)と立つ少女を、じっと見つめていた。
王妃は、ティーナの毅然(きぜん)とした返答に、内心、わずかな驚きを覚えていた。
けれど──その視線がふとティーナの背後へと移った瞬間。
「……あなた……どうして、ここに?」
思わず声が漏れる。
目を見開いた王妃が見つめていたのは、ティーナのすぐ後ろに、静かに控えていた侍女──ベアトリスだった。
ベアトリスは、礼節をわきまえた所作で、王妃に一礼する。
「はい。いまは、男爵家でお世話になっております」
その声は落ち着いており、礼を失わぬ簡潔な返答だった。
けれど、王妃の表情には、確かな動揺の色がにじんでいた。
国王が、隣にいる王妃へと視線を向けた。
「……知っているのか」
王妃は静かに頷き、ベアトリスへ一瞥を送りながら答える。
「先代王妃に仕えていた者です。メイド・オブ・オナー──侍女長でした」
「……なるほど。そういうことか」
国王は何かを思い出すように目を細め、その言葉に、ひとつ納得したようだった。
王子アルヴァンが一歩前に出て、堂々とした声音で告げた。
「この男爵家のティーナ嬢と、婚約を望んでおります」
そのまま視線を国王へまっすぐ向け、揺るぎない意志を込めて続ける。
「ティーナ嬢以外との婚約も、結婚も──一切、考えておりません」
ファリーナが椅子をきしませて立ち上がり、鋭い視線をティーナに向けて叫んだ。
「お兄様は、その女に騙されているのよ! どうしてお父様もお母様も気づかないの!」
王妃は、柔らかく諭すように娘に言った。
「ファリーナ。まずは、王子の話を聞きましょう」
けれどファリーナは、納得のいかぬまま、ぷいと横を向いてしまった。
アルヴァン王子は、まっすぐに国王を見据えた。
「今は、詳細を申し上げることはできませんが──
私とティーナで、この国の抱える問題を、必ずや解決してみせます」
そのひと言に、場の空気が静まり返る。
王子はなおも言葉を重ねた。
「その成果をもって、男爵家への報償として、家格をお上げいただければと考えております」
一礼し、揺るぎない声で続ける。
「報償につきましては、国王陛下の厳正なるご裁定に、すべてお従いいたします。
そして──もし、それが叶わぬ結果となりました折には、私自ら、この婚約を撤回いたします」
静謐のなか、王子の決意だけが、重く、はっきりと響いていた。
ノアティス国王の目が、鋭く細められた。
「──わしにも、言えぬというのか」
その声音には、王としての威厳がにじんでいた。
アルヴァンは深く頭を下げる。
「はい。申し訳ありません。それは──ティーナ嬢の安全を最優先とした判断ゆえにございます」
一瞬の沈黙ののち、顔を上げて言い切る。
「最初の成果は、必ず一月以内に上げてみせます。
どうか、それまでのご容赦を──」
国王は、厳しくも静かな声で返した。
「国のためになるのならば、よいだろう。
ただし──言い訳は、一切許さん」
王子は姿勢を崩さず、力強く応じた。
「はい。国のために、最善を尽くします」
──その声には、一切の迷いがなかった。
アルヴァン王子が、心配そうに言った。
「ティーナ嬢は、慣れぬ王宮で少し疲れているかと存じます」
ティーナは、ゆっくりと王子のほうへ目を向ける。
そして、いつもの癖のように、首をちょこんと傾けた──疲れてなどいないけれど。
その何気ない仕草に、場の空気がふとやわらいだ。
王妃も家臣たちも、そして国王ですら──その柔らかな所作に、ほんのわずか目を細める。
ファリーナもまた、一瞬だけ、思わず「……かわいい」と心の内で呟いていた。
だが次の瞬間、唇を固く結び、くるりと背を向ける。
「……わたくしは、お兄様には、ふさわしくないと思います」
そう言い残すと、足音も高く、部屋を飛び出していった。
ティーナは、その背を少し心配そうに見つめ、また小さく首を傾けた。
──体調でも、悪くなったのかしら……と。
その無垢な仕草が、張りつめていた空気を、すっとほどいてゆく。
──無意識の破壊力とは、まさにこのことだった。
そしてティーナは、再びアルヴァン王子のもとへと歩み寄り、
その背を──凛とした姿勢のまま、けれどどこか小動物のような愛らしさをたたえた足取りで、静かについていった。
その後ろ姿を見送りながら、王妃は微笑みを浮かべ、国王もまた、目を細める。
アルヴァン王子は──きっと、諦めることなどないだろうと。